部室の扉を開けた瞬間、ものすごい衝撃が身体を襲う。反動で尻餅をついてしまって、お腹をさすりながら見上げると額に汗をかいた怜が
「だ、大丈夫ですか!すみません!!」
泣きそうな目をして、そこにいた。
「大丈夫。でもいきなり飛び出したら危ないよ」
「はい……。それについては弁解のしようも……「そーれー!」うわあああこっちにこないで下さい渚くん!!」
きらきらとした無邪気な顔で、何か黒くて小さい物を掲げた渚がこちらに来た。何か、黒くて小さい……セミ?
気づくやいなや、俺も叫ぶ。
「うわぁああっ!!」
その光景はまさに阿鼻叫喚。セミを摘まんだ渚から俺と怜は必死に逃げ回る。情けないと言われても、だって、嫌いなものは嫌いなのだ。怖いものは、怖い。見てる分にはよくても、近寄ってこられちゃたまらない。
昔から虫は苦手だった。けど、最初からってわけじゃない。俺が虫嫌いになった原因は多分、小さい頃から一緒に遊びまわっていたハルだ。ハルはああ見えて虫が好きで、よくその辺で何かしら捕まえては俺に見せびらかしていた。見せびらかすだけでは飽き足らず、あくまで純粋な好意の上で、俺の服に虫を投げ入れたり、顔に捕まらせたりしてくれた。お陰で俺は、現在まで見事に虫嫌いを引きずっている。
渚が掴んでいる蝉にしたって、ハルの家のお風呂を借りているときに、虫かごいっぱいのそれを放された思い出が今もありありと蘇る。タイル張りの壁にとまれなかったセミは、俺の身体から浴槽まで至る所にぶつかってミンミンと煩く鳴き続けていた。もちろん髪にくっついてきたり、顔面に張り付かれたりもした。うう、思い出したくない。
とにかく俺は虫が苦手で、汗をにじませながら隣を走る怜もきっとそうなのだろう。面白がって追いかけてくる渚に向かい、声の限り叫ぶ。
「止まれって!!お願いだから!!」
追い詰められて泣きそうな声に、渚は流石に足を止めた。ミンミン羽を鳴らすセミを見つめて「可愛いよ?」なんてのたまう。
「可愛くありません!!今すぐそのセミを離して下さい!!」
「ちぇー。せっかく捕まえたのに」
バイバイ、と渚が手の中のセミに告げ、振りかぶって空中へと投げる。セミはそのまま彼方へと消えて、俺たちはようやく息をついた。 肩で息をする怜と顔を見合わせる。それにしても。
「怜も虫、苦手だったんだね」
「ええ、まあ……」
「でも怜ちゃん、ちょうちょは好きだよね?」
「蝶は別です!繊細な意匠が施された羽根はまさに芸術!」
まあ、触ることはできませんが。きっぱりとそう言い切った怜はやけに潔い顔をしている。虫嫌いをこんなに堂々と宣言できるなんて。ちょっと羨ましい。
じっと横顔を見つめる俺に気づいたのか、怜が不思議そうな視線を向けた。どうかしましたか、と聞かれたので、咄嗟に首をぶんぶん振った。
「ううん。ただ、その。……一緒だな、って」
「虫嫌い、ですか」
「うん。こんなことに親近感湧くの、おかしいかもしれないけど」
「……正直なところ、僕も同じことを思っていました」
「ほんとに?」
ぱあ、と自分の顔が輝くのが分かった。同意してもらえたことが嬉しくて、思わず顔に笑みが浮かぶ。勢いに任せて怜の手を取ると、日焼けの薄い怜の頬は何故か薄っすら赤く染まった。ふらりと瞳を彷徨わせて、口を開き、それから噤む。
重ねたままの俺たちの手に、渚の手が加わった。
「怜ちゃんとマコちゃんで虫苦手同盟、結成だね!」
「渚くん、それでは語呂が悪すぎる。ここはアンビューティフルバグズノーサンキュー同盟でどうでしょう」
「それもう語呂とかいう問題じゃないよ!」
数分に及ぶ話し合いの後。結局同盟の名前は決まらなかったけれど、俺と怜は虫嫌いという新たな共通点をきっかけに、お互いの距離をもう少しだけ縮めた。それから暫くして、俺たちは恋人という関係になったのだけれど。
それはまた、別の話。