分かってない。渚くんも、怜くんも。不満というほどではないけれど、やっぱりちょっとだけ思うところがあって、一人唇を尖らせていたら着替え途中の渚くんがそんな私の様子に気づいた。

「どうしたの江ちゃん。フグみたいな顔して」
「ええ本当に。フグみたいな顔です」
「フグフグ言うな!……二人とも、本当に分からない?」
「分からないって……何が?怜ちゃん分かる?」
「さあ……」

    冗談でもなく真剣に、全く分からないらしい二人のために、その場で立ち上がりくるくる回る。黄色い無地と、イワトビちゃんシークレットバージョンを交互に見せられて、二人は不思議そうに首を傾げているけれど、そもそも見るところはそこじゃない!
    二人に気づいてもらう前に、回転しすぎて気分が悪くなってきてしまった。もう諦めよう、そう思って、ぴたりと回るのをやめた時。背後で扉が開く音。

「遅れてごめん。ホームルームが長引いちゃって」
「…………」

    そう言って部室に入ってきたのは、早く水に入りたくてうずうずしている遙先輩と、申し訳なさそうに眉を下げた真琴先輩だった。定位置にカバンを降ろした真琴先輩が、ふと私の頭に目を留めてふんわり微笑む。

「あ、コウちゃん、髪飾り変えたんだね。よく似合ってる」
「…………っ部長!!」
「うわぁっ!な、なに?どうしたの?」
「部長だけです!気づいてくれたの!!」
「えー!さっきから言ってたのって髪飾りだったの?!」

    そんなの分かるわけないよ、と呆れたように頬を膨らます渚くんに勝ち誇った笑顔を向ける。部長は気づいてくれました!そう告げると、渚くんは悔しそうに言葉を詰まらせた。
    この間の休日、街中でふと立ち寄ったお店のショーウィンドウに並んでいた綺麗な髪飾り。黒地に赤で模様の縫い取られたゴム紐と、控えめに存在を主張する繊細な花のチャーム。私は見た瞬間に心を奪われてしまった。お財布の中身は心許なかったけど、お店の人が言うには一点物の手作りらしいし、余裕が出来るまで待って誰かに買われてしまったら。そう考えた時はもう、お店の人に向かってこれください、と言った後だった。
    だというのに、渚くんや怜くんときたら。人の髪飾りが変わったことに、まるで無関心なのだから、拗ねたい気分にもなってしまう。遙先輩に関していえば、むしろ気づかれた方が驚いてしまうから別にそこは構わなかった。余談だけれど、お兄ちゃんなら多分私のことを一目みた瞬間、髪飾りに気づいてくれるだろうなって思う。お兄ちゃんは意外とそういう細かいところに目を配ってくれるから。
    それにしても、真琴先輩は流石だ。ぱっと見ただけで気づいて欲しいところに気づいてくれて、褒める言葉まで抜かりない。水泳部のメンバーで一番女の子にモテるのは真琴先輩だと思う。誰よりも優しくて、いつも笑顔で、頼り甲斐もあるし気配りもうまい。
    うんうん、と一人頷く私をよそに、じっと黙っていた怜くんが真琴先輩に歩み寄る。

「真琴先輩、髪切ったんですか」
「え?マコちゃん髪切ったの?全然変わってないように見えるけど……」
「この辺り、少し短くなったような」
「ああ、うん。切ったけど、でもほんの少しだよ?よく気づいたね、怜」

    怜くんの手が真琴先輩の耳横に伸びて、言われてみれば確かに少しだけ短くなった髪に触れる。真琴先輩は驚いたように目をぱちぱちと瞬かせて、それから嬉しそうに笑った。つられたように怜くんも笑う。
    何だかちょっと、納得いかない。なにがって、それは。

「江ちゃんの髪飾りには気づかないのに、マコちゃんのちょっとした変化にはすぐ気づくんだもんね」
「……やっぱり、渚くんもそう思う?」

    私の心情を的確に言い表した渚くんは、微笑みあう二人をどこかぼんやりとした顔で見つめていた。しょうがないなあ、とか、好きにしてよ、とか。そんな風に思っている顔で。多分私も今、渚くんと同じような表情になっているんだろうな。
    部室の空気がなんだか甘い。二人の世界を作られる前に、ぱんっと一度手を打ち鳴らす。

「さあ!皆さん揃ったことですし、今日も張り切って練習しますよ!」

    ほら早く、着替えて着替えて!急かす私に促されて、もうとっくに着替え終わっている遙先輩を除いた三人が慌ててカバンから水着を取り出す。脱ぎかけの白いシャツから露わになった上腕三頭筋をしっかり目に焼き付けて、私はあらぬ場面を見てしまう前に部室から外に出た。
    陽射しが強くて、眩しくて、額に手のひらを翳して遮る。ふう、と思わずため息をつく。

「……あれで、付き合ってないのよね」

    どこまでも無自覚。どこまでも天然。ところ構わず甘い空気をかもし出す、あの仕方ない二人を思って、私はやれやれと肩を竦めた。

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