僕と真琴先輩がいわゆる恋人という関係になって、はやひと月がたとうとしている。お互いにあまり恋愛経験のないことによる面映さや、気恥ずかしさにも少しは慣れて、手を繋ぎ、抱きしめるところまではなんとか進むことができた。……できたのだが。
僕よりも背の高い真琴先輩を抱きしめたままため息をつく。まただ。どうして。そんな思いがぐるぐると頭の中を回る。原因は僕に抱きしめられていながら、僕の背に回されることなく体の横に垂れ下がったままの真琴先輩の両腕だった。
「あの」
「な、なに?」
「出来れば腕を、僕の背中に」
「わ、かった。……そう、だよね」
そうやって促してようやく真琴先輩の腕が僕の背におずおずと回された。けれど真琴先輩は微妙に僕と離れていて、お互いの間にあるわずかな距離が縮まらない。はあ、と再びため息をつく。覚えている限りいつもこうだ。
僕は一度も真琴先輩をきちんと抱きしめたことがなかった。形だけ抱きしめてはいても、拳一つ分にも満たない隙間がふさがったことはない。そのことについて尋ねると、真琴先輩は困ったような顔をして曖昧に言葉を濁すばかり。
何度尋ねてもそんな調子で、何か嫌われるようなことをしたのだろうかと理由もわからないまま謝ってみたが、嫌ってなんかない!と必死に弁解されてしまった。なのに、理由は教えてくれない。どうしたらいいのか分からなかった。
考えられる理由はもう、ひとつしかない。この予想があっていたとしても、嫌われているのではないのならまだ救いがある。僕は気づかれないように深呼吸をして、真琴先輩をそっと突き放す。
「僕のこと嫌いなわけではないんですよね」
「嫌いじゃない!……っ好きだよ。俺は、怜が好きだ」
「それなら、僕に抱きしめられるのが嫌なんですか」
「そ、れは……っ」
「……あなたが嫌なら、もうしません。嫌われていないだけで十分です」
「……っ違う!」
弾かれるように顔を上げた真琴先輩が次の瞬間、しっかりと僕に抱きついていた。縮まらなかった距離が嘘のような、ぎゅうぎゅうと苦しいほどの力。真琴先輩は僕の肩に鼻先を押し付けてじっと黙ったままでいる。
突然のことに驚き、身動きをとるのも忘れていた僕は我に返り、どうすべきか悩む間もなく真琴先輩を抱きしめ返した。頬に触れる柔らかな毛先。現実離れしていて落ち着かない。しばらくその暖かさに触れたあと、囁くように問いかける。
「どういうことか教えてもらえますか?」
「……重く、ないかな。俺」
「え?別に、重くはありません。むしろ心地いいくらいです」
「そ、そっか。……俺さ、男だし、怜より背も高いし、抱きついたりしたら重いんじゃないかって、それで」
ごめん、と真琴先輩が言った。僕はあっけに取られてしまって、ぽかんと口を開けていた。
まさかそんな理由で抱きついてもらえなかったとは。いくら真琴先輩が気を使うたちだとはいえ、これはちょっと使いすぎだろう。とはいえ本人にしてみれば真剣な悩みだったのだろうから責めようにも責められない。
「怒ってるよな?ほんとに、ごめん」
「……もう、いいですよ。今はこうして抱きしめてもらえていることですし」
真琴先輩の髪に指を差し込みそろりと撫でた。そう、今僕は初めて真琴先輩を抱きしめている。こんなにも近い距離に真琴先輩がいる。僕の腕の中に。
「今後はちゃんと僕のことを抱きしめてくださるんでしょう?」
問いかけに真琴先輩が頷く。頑張るから、と小さな声。
抱き合ったまま随分たったが、もう暫くこのままでいたくて僕は腕に力を込める。無意識か、それとも甘えてくれたのか、真琴先輩が額をそっと僕の肩に擦り付けた。