「あの、真琴先輩」
「…………」
「少しだけ離していただけませんか」
「…………」
「このままだと、貴方の涙を拭えない」
真琴先輩は黙ったまま僕に抱きついて離れなかった。痛いほどの力だ。僕の胸元に顔をうずめて、何度もしゃくりあげながら泣きじゃくる。こんなにも真琴先輩を悲しませてしまったという事実が深く心に突き刺さる。自分が情けなくて仕方ない。
理由は分かっている。先の水泳部合宿での、僕の過ちが原因だ。自分の力量も把握せず、夜の海を軽視した僕は嵐に巻き込まれ、溺れたところを助けられた。真っ先に飛び込んでくれたのは、同じテントに寝ていた真琴先輩だったという。僕は、真琴先輩を、水泳部の皆を危険に晒した。思い出すだけで後悔に満たされる。
助け出された後から岩鳶町に戻ってきた日まで、真琴先輩に特別取り乱した様子はなかった。滞りなく普段通りの日常に戻って暫くのこと。二人残った部室の中で、真琴先輩は突然僕に抱きつき、その両瞳からぼたぼたと大粒の涙を零した。
この人は、今までずっと耐えていたのだ。感情を限界まで溜め込んで、耐えきれなくなった今日、ようやく僕に縋ったのだ。変わった様子が無かったからといって、何も思わないはずがなかったのに。
真琴先輩の背中を撫でる。心配をかけて、気づけなくて、貴方をこんなにも泣かせてしまって。ありとあらゆる意味を込め、僕は何度もすみませんと告げる。
「……怜が、居なくなるかと、思った」
今にも消え入りそうな声で真琴先輩がつぶやいた。胸が締め付けられるようだった。真琴先輩の背に回した腕に力を込めて抱き寄せた。ここにいます。僕の言葉に真琴先輩が小さく頷く。
幼子を寝かしつけるように、手のひらでゆっくりと拍をとる。真琴先輩が顔を上げた 。腫れぼったいその目元に、唇を寄せて涙を拭う。くすぐったそうに身をよじり、真琴先輩がほんのわずかだけ笑う。その表情に安堵する。
「今度から、練習したい時は俺も連れていって」
「はい。ぜひ、お願いします」
「……でも、夜の海はダメだよ」
「心得ています。あの時の僕は、本当に馬鹿だった」
「上手くなりたいと思うのは悪いことじゃない、けど」
もう二度と、あんな思いはしたくない。
小刻みに震える真琴先輩の指に、自身の指を絡めてしっかりと握りしめる。手のひらを伝わるあたたかさが嬉しい。
ようやく真琴先輩は泣き止んでくれたようだったが、だからと言って僕たちはお互いを離したりはしなかった。暗黙の了解を交わしたみたいに隙間をなくし、ぴたりと寄り添う。存在を確かめ合う。
「焦らなくても、怜なら大丈夫だから」
「そうでしょうか」
「そうだよ。約束する」
「練習には、先輩が付き合ってくださるんですよね」
「うん。たくさん練習して、県大会頑張ろう」
恋人らしくはない会話だったが、僕たちはきっとこれでいい。いまさら思い出したように真琴先輩が顔を赤くする。やけに頬が熱い僕自身も、多分真琴先輩と同じような顔をしているのだろう。