単なる遊びの延長でしかないちょっとした賭けのつもりだったのに、まさかこんなことになるなんて。額に滲んだ冷や汗が今にも伝い落ちそうだ。がちがちと奥歯を打ち鳴らす僕を、この場に連れてこられた真琴先輩が心配そうに窺っている。


    ことの始まりは昼休み。
    次のジャンケンで負けた方は勝った方のいうことをひとつ聞かなくちゃいけないってどう?そう言って勝負をしかけてきたのは、直前まで至極退屈そうに机に突っ伏していた渚くんだった。無邪気に輝く透き通った目に僕は絆され、あろうことかその勝負を受けてしまった。
    いうことを聞くとはいってもどうせ、ジュースをおごって、だとかお弁当の卵焼きをひとつちょうだい、だとかそんなものだろうと油断してしまったのがいけなかったのだ。僕にそう信じさせるほど渚くんは可愛らしく小首を傾げていたし、その表情の何処にも人をからかう意地の悪さが見当たらなかったから。
    その時の僕はまだ、渚くんがそういう可愛い顔をする時ほど危ないのだということを全然、全く、知らなかった。今ならあの時の自分に忠告することができるのに。やめておけ、と。
    残念ながら過去は変えられず、渚くんとのジャンケンに挑んだ僕はつまり端的に敗北した。僕の美しく華麗なパーは渚くんの残酷なチョキによって無残にも切り刻まれてしまったのだった。
    それで、何をすればいいんですか。僕の問いかけに、渚くんは先ほどまでと同じ純粋無垢な表情のまま、えーとね、と前置き、言い放った。

「じゃあ怜ちゃん、ちょっとマコちゃんに告白してきて」

    そうして、現在の状況に至る。




「あの、ま、まこ、真琴、せんぱ、い」

    話を切り出そうと試みるだけで舌がつっかえて名前を呼ぶことすらままならない。逃げ出したくてしかたがない。単なる罰ゲームだと何度も自分に言い聞かせ、なけなしの蛮勇でもって僕はこの場に留まっている。頭頂部から足先まで、全身震えていない場所が無いぐらいだ。
    僕、約束破る人って嫌いだな。告白してこいという渚くんの言葉に、当然ながら異を唱えた僕に渚くんはそう言った。言葉自体は比較的柔らかいのに、含まれた威圧感はこれまでの人生で受けてきたプレッシャーの比ではなかった。それだけで逃げられないと悟った僕に満足したのか、じゃあ早速行ってきてと送り出されたその足で、僕は真琴先輩を二年の教室まで迎えに行った。
    珍しく遙先輩と一緒ではなかった真琴先輩を教室から連れ出し、部室に引き入れて、おそらくどこからか様子を窺っているのだろう、渚くんの気配を感じながら告白を試みることはや数回。どれもことごとく直前で怖気づき、未だ僕が出来たことといえばどもりながら名前を呼ぶ、ただそれだけである。
    連れてこられてから終始そんな様子だというのに、真琴先輩は一向に焦れた様子も苛立った空気もなく、僕の言葉をじっと待っている。安心させようとしてくれているのか、口元には僕も見慣れた真琴先輩の柔らかな笑みが浮かんでいる。

    視界の端に映った時計の針が、あと十分足らずで昼休みの終了を告げようとしていた。これまでのペースからいって、次が最後のチャンスだろう。言うなれば罰ゲームであるこの告白をチャンスというのもおかしいが、少なくとも今の僕にとってこの気まずい時間を終わらせるためにどうしても必要なチャンスだった。告白して、断られて、実は罰ゲームだったのだと冗談にするだけで、すべて終わる。
    僕は大袈裟に深呼吸をした。膠着した神経回路に強固な命令を送り込むには大袈裟なぐらいが丁度いいのだ。今から僕は告白する、という意志を身体の隅々まで行き渡らせる。よし、大丈夫。舌も動く。

「っ真琴先輩、」少しつっかえたが許容範囲だ。「す、好き、です。僕と付き合ってもらえませんか」
「うん、いいよ」
「そうでしょうとも!…………は?」
「いいよ。俺と付き合おうか、怜」
「な、何を言っているんですか!!あなたは!!」

    思わずそう叫んでしまったのも無理はないだろう。一笑に付されるのではなかったのか。相変わらず真琴先輩はふんわりと笑っているだけで真意が全く伺えない。後輩の男から告白されて、どうしてそんな風に笑っていられるのか。寸分たりとも理解できない。
    とにかくこのまま誤解を突き通すわけにもいかないので、早口に事情を説明する。渚くんとの勝負に負けて告白することになったこと。わざわざ呼び出しておいて本当に申し訳ないのだが、これは単なる罰ゲームであること。
    聞きながら真琴先輩はうん、そっか、わかった、と相槌を打ってくれる。分かってもらえたのか、と安心する僕に向かって真琴先輩が口を開いた。

「でも、嘘じゃないだろ」
「嘘じゃ、ない……?」
「罰ゲームだったけど、怜の告白は真剣だと思った。だから俺も真剣に答えた。……違ったかな」

    真剣、真剣だって。どういうことだ、僕はあくまで罰ゲームを遂行しただけで、そこには申し訳ないという想い以外、ほかに心など無いはずで。目の前がぐるぐる回る。眼鏡越しの景色が覚束なくゆがむ。
    いつの間にか真琴先輩が、言われたことに追いつけず混乱する僕のすぐ近くに居た。僕の顔を覗き込み、ほんのわずかだけ首を傾けた。

「怜は俺と付き合うの、嫌?」

    瞬間、僕は理解した。嘘など最初からなかったこと。きっかけが罰ゲームであったとはいえ、真琴先輩とお付き合いをするということに僕自身は何のわだかまりも抱いておらず、好きだと告げたときの僕は全身の震えが止まらないほど真剣だったということを。
    渚くんはきっと僕自身も気づいていなかった僕の気持ちを知っていたのだろう。僕の気持ちだけではなく、真琴先輩の想いも知っていたのかもしれない。その上で僕の背中を押した。強引すぎる方法で。
    呆然と立ち尽くしてしまう。頭の中はこの上なく明瞭で、だからこそ自覚のないままにしでかしたこととその結果が信じられない思いだった。間近にある真琴先輩の頬へと無意識のうちに指を添えた。くすぐったそうに真琴先輩が笑った。うん、わかった。と先輩が言う。

「これからよろしく、怜」
「なにがなんだかよく分かりませんが……よろしくお願いします」
「そのうち、嫌でも分かるようになるよ」

    僕は数度首を振った。いいえ、そうじゃない。と口にした。

「嫌なはずがありません。さっき気づいたばかりですが、僕は、あなたが好きなので」

    真琴先輩の頬をなぞる指先が熱をもっている。一目で隅々まで見渡せるほど綺麗に片付いた頭の中には単純な僕の恋心と美しい気分だけが残っていた。

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