プールの真ん中で空を仰ぐ。両手足を広げてただ浮かぶ。
    さざ波ひとつない水面に、沈んだ鼓膜を揺らす泡の音。

    今日はとてもいい天気だ。どこまでも続く青空と、真っ白に光る大きな太陽。半身を覆う水は冷たくていつまでも浮かんでいたくなる。
    泳がないのならコースを変われ。普段であればそう言って真琴を引っぱる幼馴染も今はいない。ここには自身しか。他の誰も。

    時間の流れがひどく緩やかで、十秒が五分にも十分にも感じた。
    こんなに静かなのは久しぶりだ。そういえばここ最近は一人でいるということがなかった。
    いつも誰かしらが傍らにいて、それは幼馴染の二人であったり、新しく水泳部の一員になった美意識の強い彼であったり。

    マネージャーのコウちゃんとは今度一緒に喫茶店に行く約束をしている。
    内容については黙秘するけれど、お互いに相談したいことが山ほどあった。似たような悩みを持つ者同士、彼女と自分は仲がいい。

    塩素の匂いごと空気を吸い込む。独特の息苦しさが心地よかった。微かな水の流れ以外、蝉の鳴く音も誰かの呼ぶ声もすべて遮られてしまっている。
    重たい水を掻き分けて誰かが近づいてきていることはわかっても、それが誰かはわからなかった。頭上で誰かの足が止まる。
    照りつける日差しを遮るように、目の前に伸ばされる見知った片腕。
    誘われるままその手を掴みプールの底に足をつく。

「珍しいですね。遙先輩ならともかく、あなたがそうしているのを見るのは初めてだ」
「あと少しすれば怜もこうして浮かんでいたくなるよ」
「水泳部の性というやつですか」
「水がなければ生きていけないってわけじゃないんだけどね」

    たまに水が恋しくなる。そういう時は何も考えず、水に浮かんでいればいいのだと教えてくれたのはハルだった。彼はその教え通り暇さえあれば水に浸かってただ静かに目を閉じている。

「僕もそうなれるでしょうか」
「なりたいの?」
「遙先輩は憧れです」
「そうだなあ、……ハルのあれは生まれつきみたいなものだから。なるとか、ならないとか、そういうのじゃないと思う」
「そうなんですか。残念です」

    さほど残念そうでもない言い方で怜がため息をつく。察しのいい彼のことなので尋ねる前から答えなどとうにわかり切っていたのだろう。
    そういう彼の面倒臭いところはどうにも嫌いじゃないなと思う。

「そういえば」怜が言った。「真琴先輩はどうしてバックを選んだんですか」
「どうしてって……一番好きだったから、かな」
「なぜ一番好きなんですか」

    別にバックへの転向を考えているわけではなく純粋に好奇心です。
    そんな風に言い添えた怜からの問いかけに沈黙を返す。プールの底を蹴りつけてもう一度空を仰いで浮かぶ。

「……バックは、水と空を一緒に感じられる。それってすごく贅沢だと思うんだ」
「ああ、……なるほど」
「けど人それぞれだと思うよ。ハルなら多分、水だけで十分だって言うだろうし」

    飛沫をあげずに水へと沈んだ。怜の声が聞こえない。何か言っているような気はするのだけれど。
    水の底から空を見上げると濃さの違う青が混ざり合って、どこまでが水でどこからが空なのかちっともわからなくなってしまって。ゴーグルなしの滲んだ視界では引かれた白線さえ判別できない。

    沈んだままぼうっとしていると、今度は自分から手を掴む前に無理やり水面へと引っ張り上げられた。こちらの都合なんて欠片も考えていない横暴な行為で、太陽の下に引きずり出される。なんて眩しい。
    不機嫌さを隠そうともしない怜の怖い顔。そんなに心配することないのに、そう思って微笑みかける。

「練習しようか。二人しかいないけど」
「……ええ、そうですね。二人しかいませんが」

    眼鏡をかけていない怜の額に滴る水滴を払う。冷たい水を抜け出して、乾いたプールサイドに上がる。
    今日はとてもいい天気で、頭上にはどこまでも続く青空と真っ白に光る大きな太陽。半身を覆っていた冷たい水はほんの少しだけ遠くなった。
    隣にいる怜が青い水面を恋しそうに見つめる。

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