▽御機嫌ようフロイライン、御子江


「ご令嬢」
私をその名で呼ばないで。フロイラインなんて柄じゃないの。できれば決して、貴方にだけは、そんなことをさせたくなかったのに。

私の足元に跪いた御子柴少尉が、深く頭をこちらに傾け、許しを乞うように地面を見つめる。私が許すと言わない限り、お国に忠実な御子柴さんはこのまま微動だにしないのだろう。小さく、気づかれないようにため息をつく。だから知られたくなかったの。私が一体何者か、なんて、知る必要もなかった。貴方とはずっと、街で偶然お会いしては、近くの喫茶店でお紅茶と、甘いものをご馳走してもらえるような、そんな関係でいたくって。
けれどそれももう、今日でおしまい。これから先御子柴さんは、街で私を見かけても、その場で敬服するだけで、私をお茶になんて誘ってはくれない。もう二度と、私の好きだったあの顔で、笑いかけてくれることもない。そんな事実を受け入れたくなくて、固まる喉を無理矢理に動かし、私はか細く口にする。
「顔を上げてください、御子柴さん」
貴方の熱い金色の目が、私の瞳を真っ直ぐに捉えた。そこにかつて確かにあった、私に対する親しみも、あからさまな好意も何一つ、失われてしまっていた。もしも私がこんな立場ではなくて、貴方が軍人さんではなかったら。夢物語に思いを馳せる。そうであったなら、私たちは出会うことすらなかったのだと、誰よりもよく知っているのに。



2014/01/27 17:38


▽僕のことすぐに忘れてね、渚真


引鉄をちょうだい。君の心を砕くための。僕の過ちを正すための。

大好きなマコちゃんを、大嫌いになるために、僕は僕の口を塞いだ。端から綺麗に縫い合わせて、二度と開かないようにした。だって僕が、昔のように、何かを言えばマコちゃんはきっと、また僕を思い出してしまうから。それだけ長い時間を一緒に過ごしてきたのだ。哀しいことに。全て、何もかも無駄だった。
真っ黒になりたいな、と願って。愛おしい気持ちに蓋をする。僕が苦しむのは仕方ないけれど、マコちゃんが唇を噛むのは駄目で、だからこそ引鉄が欲しくて仕方がないのにマコちゃんは、いつまで経っても。

引鉄をちょうだい。君の心を粉々に、二度と元に戻らないように砕いてしまう、その為だけの。僕はいつまでも僕の過ちに、苦しめられたままでいるから。



2014/01/24 17:34


▽腕の中のキスアンドクライ、凛真


まるでキスアンドクライのように、そこが安心できる場所かは結果が出なければ分からない。相反する二つの感情が、シュレーディンガーの理論によって共存し続ける。俺にとって、凛の腕の中はそんな場所だった。
頭上から降ってくる何気無い一言に、俺がどれほど浅ましい期待を抱いて、それを表出さないように自制しているのか、多分凛には想像もつかないだろう。君の一言を待ち望んでいる。そう言えば、聞こえだけは素晴らしいかもしれないけれど。
今日も俺は凛の言葉を待って、与えられた結末が、柔らかくあったことに安堵する。中毒性のあるその場所に、明日も俺は飛び込んで行く。



2014/01/23 12:01


▽プレーンヨーグルト、遙真


紙製の小さなスプーンでプラスチック容器の中身を掬い、のんびりと口に運ぶ。真琴がそうやって口にしているのは、よく見慣れた青と白のパッケージ、砂糖も入れないプレーンヨーグルト。あんまり黙々食べているから、そんなに美味しいのかと不思議に思い、顔を近づけ、口を開けた。こちらの意図を察した真琴が、一掬い分のヨーグルトを舌の上に落としてくれる。
「甘くないな」
「うん、甘くないね」
「美味いのか?」
「甘くないけどね」
真琴が満足しているのなら、別に俺がどうとか言うことではない。ただ、真琴の好みにしては、味気ないのじゃないかと少し、不思議に思っただけで。
口の中にまだ残っている、プレーンヨーグルトの酸味を確かめながら、俺はまだ真琴について、知らないことがあるのだという、苦い事実を噛み締めた。



2014/01/22 18:48


▽その世界、凛真


悲しいから眠っていろと、凛が言うので、俺はずっと目を閉じたまま、もういいよと言われる時を待って、そのあいだ瞼の裏の黒い背景を、虹色の吹流しが音を立てて流れるし、お腹が空いてしかたないのに、聞こえるのはいつも知らない言葉ばかりで、不自然に明るいコンビニエンスストアの蛍光灯みたいな、真新しいさざなみを跳ね返そうと、魔法使いになりたくなって、早くお迎えがこないのかなと、凛のことを待っているのに、いつまでも待っているのに、まだ目を開けてはいけなくて、結局悲しいから、眠っているのをやめた俺を、凛がとても優しくて、燃えるように熱い眼で見た。

ーーーーああ、そう、凛は、俺のことが、この世の誰より好きなんだね。



2014/01/21 18:38


▽まこちゃんの卒業が不安な渚くん


卒業式が近くなっても、マコちゃんはいつも通りだった。僕の方がじりじりと、焦ってしまっているような気がする。だって、もうすぐ会えなくなるのに。今までみたいに毎日、毎日、触れることができなくなるのに。
僕とマコちゃんを繋いでいた一番大きくて確かなものは、学校と、部活。それがあと何日もすれば、根こそぎなくなってしまうのに。不安になる僕と裏腹に、マコちゃんは毎日どことなく嬉しそうだ。早く卒業したいの、と聞くと、そうだね、そうかもね、なんて答えてくる。僕ばかりが焦って、怖くて、落ち着かなくて。
耐えられなくてマコちゃんに抱きつく、僕のことを優しく抱きしめ返して、マコちゃんはいつも通りに笑う。



2014/01/20 12:30


▽あの人に振られた真琴先輩、怜→真


真琴先輩が振られたそうです。誰に、というのは無神経な質問でしょう。そうでなくとも、聞くまでもなく、答えは最初から知っていました。真琴先輩の幼馴染。ずっと隣にいた人。誰よりも大切な人。その人に、真琴先輩は振られたのです。
部室の暗がりに蹲って、静かに静かに涙をこぼす真琴先輩に寄り添いました。隣でその背を絶え間なく撫でました。彼の悲しみが僅かでも癒えるように、と。
そんな中、真琴先輩が呟いたのは、やっぱりあの人の名前でした。拒絶されても、嫌悪されても、それでも真琴先輩はあの人が好きなのです。
僕は大いに絶望しました。自身の内で燻っていた、歪みを今更自覚しました。僕は真琴先輩が好きだった。だから、今なら、もしかしたら、などと。
その時の僕は確かに真琴先輩の隣にいました。けれど、真琴先輩に望まれた訳ではありませんでした。僕ではどうしても駄目でした。真琴先輩の心に居座る、あの人を僕は初めて少し、ほんの少しだけ恨みました。



2014/01/20 12:30


▽唇の荒れた渚くん2、渚真


渚、渚、と手招くと、怜と戯れていた渚がロッカーの前で鞄を探る俺の方にちょこちょこ近づく。
「持ってきたぞ、あれ」
「ほんと?!」
ぱあっ、と顔を輝かせて、期待を込めた視線を向ける渚の目の前に、鞄の底から引っ張り出した、手のひら大の容器を突き出す。ぱちぱち渚が瞬きをして、首を傾げた。
「これ、はちみつ?」
「そ、蜂蜜。知らないか?蜂蜜はリップクリームの代わりになるんだ」
「へえー」
「はい、こっち向いてんーってして」
小指の先で蜂蜜を掬う。んー!と唇を噤んだ渚の、かさついた表面に塗り込んでいく。満遍なく蜂蜜をのばされた渚の唇は、つやつやと滑らかに輝いて、昨日よりも乾燥が落ち着いているように見えた。
「甘い」
「こら、舐めたら意味無いだろ」
ぺろりと唇を舐めてしまった渚を呆れながら諌め、もう一度小指の先に黄金色をした蜂蜜を掬った。



2014/01/20 12:29


▽唇の荒れた渚くん、渚真


「リップクリームってあんまり好きじゃないんだよね」
「そうなのか?」
「だってべたべたするでしょ。でも、最近唇カサカサなんだ。まこちゃん、いいリップクリーム知らない?」
べたりと机に張り付いて、上目遣いに俺を見上げる渚がそんな事を言うものだから。俺はううん、と考えて、それからにこりと渚に微笑む。
「明日持ってくるよ」
「ほんと?ありがとー!……じゃあ、今日のところはこれで、ね?」
渚の顔が近づいて、唇に触れるかさついた皮膚。触れるだけのそれが離れた後、
「結構酷いな」
「でしょ」
これならさぞかし痛いことだろう。そう思って。
明日、忘れないようにしないとな。先ほど思いついたばかりの、渚もきっと気に入るだろうリップクリームのことを、しっかり記憶に刻み付けた。



2014/01/20 12:28


▽まこちゃんを膝枕する怜ちゃん


普段、真琴先輩よりも背の低い僕が、真琴先輩を見下ろすことはないから今の状況はなかなか新鮮だった。太腿に頭ひとつ分の重み。恥ずかしそうに顔を背ける、真琴先輩のすべらかな頬がほんのりと赤く染まっている。
「も、もう降りていいかな」
「まだダメです。あとちょっと」
「うう……」
縋るような真琴先輩の言葉にとびきりの笑顔をお返しして、彼の傷んでぱさついた榛色の髪を撫でる。真琴先輩が身じろぎする。指先で額を押しとどめ、まだダメです、と繰り返した。



2014/01/20 12:27


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