▽わんわん、怜真


「僕は真琴先輩の犬です」
言い切ることに、躊躇はなかった。かつて朽ちかけた僕に対して、真琴先輩が言葉を投げかけた時のように、迷いも不和も存在しない、高らかな声でそう宣言した。能う限りの美しさを込めた。誰の反論も許さなかった。
「ただ跪き頭を垂れて」
「その意に反することを厭い」
「心さえも惜しみなく」
愛するひとに、主に、自らの総てを捧げることの喜びを、僕は知っている。溢れ出る喜悦を撚り合せ紡ぐ。鋼よりも硬い誓い。恐れることなど何もない。
「僕は貴方の犬だ。貴方がそれを許すよりも前」
貴方に恋をした時から、ずっと。



2014/02/12 18:06


▽君と電話で、怜真


なんでもない一日の終わりかけ。そろそろ寝ようかなという時に、珍しく怜から電話が掛かってきた。
「はい、もしもし」
一体なんだろうと思いながら、怜の話を聞いてみるけれど、電話越しに彼が口にするのは他愛のない、世間話ばかり。それじゃあもしかしなくとも、この緩やかな世間話が彼の用事だったのかな、となおさら、珍しい気分になる。怜は渚と仲が良くて、こういうことは、彼とばかりするのじゃないかと思っていたから。
「あはは、そうだね」
とても楽しくて、なんだか嬉しくて、顔が自然と緩んでしまう。気軽に電話してもらえるぐらい、気を許してもらえたのなら、それ以上嬉しいことはなかった。俺にとって怜は大切な後輩で、大切な部活の仲間だった。
「うん、……うん。じゃあ、そろそろ」
ついつい長話してしまったけれど、ちらりと横目で覗き見た時計の針はもう随分進んでいて。同じくそれに気づいたのだろう、怜が会話を切り上げようと控えめにした提案に乗っかる。また明日、という何気ない言葉を、特別なもののように噛み締めながら、紡ごうとしたその時だった。
「……え?怜、今、なんて」
別れ際の挨拶の代わりに、飛び込んできたとんでもない言葉に一瞬、思考が停止する。待って、待ってよ、今の言葉、本当なのか確かめたいのに、怜は小さく笑ったあと、それでは、と言って電話を切った。取り残されてしまった俺は、多分、聞き間違いなんかじゃないのだろう、怜の言葉を思い出して、燃えるように熱い頬の温度をどうにか冷まそうと必死だった。



2014/02/10 18:40


▽貴方の涙が好きです、怜真


そんなにも、透明な涙を、貴方は惜しげも無く瞳から零す。僕のために流す涙はどうしてこんなに美しいのだろう。
「真琴先輩」
広げた両腕に、貴方が飛び込む。抱きとめた身体の重たさと、歓喜に心がきつく高鳴る。泣かないで、なんて決して口にしない。もっと、もっと泣いてほしい。貴方の崩れた表情も、塩気を孕んだ水分も、嗚咽も、呼吸も、全部僕のものだ。
溜め込まれたたくさんの涙を全て捧げてもらいたくて、慈しむように背中を撫でた。震える貴方の幼さに、僕は囁く。
「貴方が優しいことなんて、誰よりも僕が知っています」
だからほら、安心して、いつまでも絶え間無く泣いて下さい。



2014/02/06 18:59


▽ふたりぼっち、怜真


部室の外は雨が降っていて、塩素の匂いが立ち込める空間に、ふたり、取り残されてしまった俺と怜が、並んで座る古びた長椅子の軋みを耳に心地よく聞いた。よせばいいのに寄り添って、馬鹿みたいにくっついている。繋がれた俺の右手と怜の左手が、身体の中でいちばん熱い。
プレハブを叩く雨音が、声をかき消してしまいそうになる。俺のささやきを、どうしても聞きたい怜が焦れたように瞳を覗き込む。もう少し空気を吸い込んで、その時許される目一杯のしたたかさで、愛しい今日の思い出を、俺はひとつずつ大切に語った。



2014/02/06 18:18


▽お料理練習中、怜真前提遙+真琴


完成した肉じゃがを、ハルがひとくち口にする。もぐもぐと咀嚼して、飲み込み、言った。
「絶望的な味がする」
「う、うう……」
端的で分かりやすい感想に呻き、項垂れた俺の頭を撫でながら
「最悪じゃない。火は通ってる」
といいのか悪いのかよく分からないフォローでハルが慰めてくれるけれど、やっぱり落ち込む。どうしてうまくできないんだろう。味は悪いし、見た目も不恰好だし、これじゃあいくら努力したって料理ができるようになどなれないんじゃないだろうか。そんな思いに囚われる。
でも、それでも。
「……もう一度、作ってみる」
なにしろ、怜が待っているのだ。楽しみにしていると言ってくれた。だからこそ俺は諦めるわけにはいかなくて、沈む心を奮い立たせながら再度、じゃがいもに取り組んだ。



2014/02/05 17:53


▽僕を置いていくなんて、怜真


痛みとともに、水底から引き上げられる。ぼやけていた視界が少しの後明瞭になった。眦や、いたるところにとどまっていたたくさんの滴が、伝い落ち、俺から離れていった。空気のある陸上で、背後から、強く、抱きしめられる。
「なんて、馬鹿なことを!」
「……濡れるぞ」
「だからなんだって言うんだ!」
冷たさに感覚の奪われた身体では、怜の腕にこもる力の十分の一も分からない。濡れて張り付く薄手のシャツ越しに、多分とてもきつく、痛く、閉じ込められているのだろうと、それだけはかろうじて認識できた。普段の丁寧な口調を壊して、荒々しく鋭い言葉で俺を罵りながら、怜はただ俺を抱きしめた。今更、神経を取り戻した指先が、寒さに震え続けるのを、俺はじっと眺めている。



2014/02/04 12:26


▽どこにもゆかないで、怜真


「食事はお気に召しませんでしたか」
皿の上には今朝用意したものとそっくり同じ料理が、盛り付けもそのままに残されていた。表面の乾き始めたそれらを、手際良く片付け、新しい食事を並べていく。四角い部屋の隅にうずくまり、硬く膝を抱えたまま、暗がりに逃げ込もうとする真琴先輩は僕の方など見向きもしない。皿を引き上げながら真琴先輩に呼びかける。
「食べなければ死んでしまいます」
「……ここから出せ」
「できません。さあ、準備ができました。食事を」
暖かいシチューと彩り鮮やかなサラダに、バケット。ここに来てもう五日。何も食べていない真琴先輩には、並べられた料理が何より魅力的に思えるはずなのに、相変わらず真琴先輩は一口たりとも、手を伸ばそうとしなかった。強情だな、と思うが、それももうそろそろ限界だろう。人は空腹を我慢できても、喉の乾きには決して耐えられない。冬の寒い時分であるから、真琴先輩が万が一にも凍えてしまうことなどないように、部屋には暖房がよく効かせてある。
「水だけでも飲んでください」
真琴先輩は動かない。彼の拘束は両手首だけで、足には何もしていないから問題なく歩けるはずだろうに。もしかして、この長い絶食で、歩く気力すらないのだろうか。その可能性に思い当たった僕は、料理を並べた盆を持って真琴先輩に近づいた。うずくまる傍らにしゃがみ込み、床に置いた銀盆の皿からスプーンでシチューをひと掬いした。
彼の口元に運んだそれが、勢いよく跳ね除けられる。僕の頬に熱いシチューがかかった。手の甲で拭い、ため息をつく。
「お腹が空いているでしょう」
「今すぐここから出せ」
「ですから、それはできない。貴方はずっとここにいるんです」
「っ怜、お前、何でこんな……!!」
「貴方を守るためだ」
俯いていた真琴先輩が、漸く顔を上げ、僕を見た。満足に食事を摂らないせいか、夜をまともに眠らないせいか、酷く血色の悪いその頬に、手を伸ばし、慈しむように触れる。真琴先輩は怯えて身を竦ませ、ここに来る前と何も変わらない、透き通った翠玉で僕を見つめる。やつれて尚美しいこの人を、悲しみから守るために僕は。
「我儘を言わないで下さい、どうか」
真琴先輩が悲しむだろう、事実を何一つ知らぬまま彼はここにいる。このままずっと知らないで、何もかもが揃ったこの部屋の中、ゆっくりと老いていってほしかった。感情の何もかもを凍らせてしまう真琴先輩など、僕はもう二度と見たくない。あんな、痛ましい姿はもう二度と。
「……不便でしょう。いずれこれも外して差し上げます」
真琴先輩の手首を拘束する、無骨な手錠を指先でなぞる。金属の冷たい硬質感が、皮膚を通して伝わってくる。真琴先輩がこの部屋の外を、かつて暮らしていた場所のことを真っ白に忘れてしまったその時に、僕は手錠を外すのだろう。



2014/02/01 17:29


▽にせものなんて大嫌い、怜真


自己犠牲を厭わない人は、犠牲にしているのが自分だけではなく、その人を大切に思う誰かの心も犠牲にしているのだということを知らない。あるいは、認め難くて見ないふりをしている。だからこそ、己を殺すが如く躊躇いもせず、自己犠牲を厭わない真琴先輩という人に対して、僕はあまり良い感情を抱いてはいなかった。むしろその自己犠牲を目の当たりにする度、嫌悪に近いものさえ脳裏を過ぎり、ますます黒く重苦しい感情を心の底に蓄積した。
その犠牲が、果たしてどれほどの人を傷つけているのか、真琴先輩は知らない。真琴先輩の後ろで、哀しげに眉を顰める遙先輩の様子にさえ、気づかない。最低な気分だった。欺瞞に満ちた、その光景に吐き気がして、おさまらなかった。
真琴先輩が僕を振り向く。凪いだ瞳で僕を貫く。その優しさに覆われた表情を、どうしても切り裂いてやりたかった。



2014/01/30 18:15


▽飛び込む、怜真


何も怖れることなどなかった。僕は、あの人が好きだったから。
水面は静かに凪いでいる。飛び込み台に立つ僕を、胸まで水に沈めながら、真琴先輩は待っていた。僕がそこに辿り着くまで、待ち続けてくれるのだろう。どうしても、僕を拒絶するその青。僕の身体を重たく変える、残酷でやわらかな愛しい青。
肺一杯に空気を吸い込む。虹色を反射するゴーグルで、視界を覆い、上体を屈める。次の瞬間、思い切り、蹴って。
僕が目を開けたとき、そこには真琴先輩が居た。待ち侘びて仕方なかったような、輝きに満ちた顔をしていた。



2014/01/29 12:46


▽君の机にくっついてみる、怜真


怜がいつも、勉強や読書に使っているのだろう、勉強机に片頬をぴたりとつけ、その冷たさを楽しんだ。そっと目を閉じ、意識を沈める。背後で部屋の扉が開く音。飲み物を用意するために、台所に行っていた怜が戻ってきたのだろう。
「真琴先輩?」
「うん」
「何をなさっているのですか」
別に、怒っているような口調ではなかった。単に不思議そうな響きだけがそこにはあった。俺は机に突っ伏したまま、喉を鳴らし
「怜の机だなあ、って」
なんて当たり前のことを口にすると、怜はやっぱり不可解そうに、はあ、と声を漏らすばかりで、それ以上何も言わなかった。



2014/01/28 12:26


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