母さんが死んだのは二年前、私が高校一年生の時だった。事故で相手の運転手は即死。別れを告げることもできずに、母さんは私の目の前から去っていた。霊安室で冷たい体をぼんやりとしたまま見ていたことしか覚えていない。心が現実に追い付かない。慌ただしく葬式が終わり、やっと心が追い付いてきた頃あの女がきた。忘れもしない四十九日のあの日。まだ残暑が厳しく蝉が追い立てるように鳴いていた。玄関の扉が大きく開け放たれ、父親と知らない女が抱き合っていた。膝丈のフレアスカートと少し型遅れのブラウスに細いふくらはぎがやけに目についた。ベージュのパンプスは脱げ落ちストッキングのまま玄関で父に抱きつく女。瞬時に敵意が心に火をつける。
「あなたは誰。」
「こ、これはだな」
「父さんは黙って。私はこの人に聞いているのよ。」
母さんとよく似たハスキーボイスが、女を威圧したのか、冷徹な視線を受け父の胸に顔を押し付けた。濡れた黒真珠のような瞳が特徴的で薄い唇を噛みしめていた。その内に啜り泣きを始めた。随分、幸薄そうな女だ。母さんとは正反対の男に頼らねば生きていけない、馬鹿女。女が口を開かずともだいたいのことを把握し始めた。これは父の浮気相手、というわけなのだろう。母の死を知ってずかすがと乗り込んできた、のか。軽蔑の視線を二人に向けていると、大きな荷物を持った少年が後ろから顔を見せた。幼い顔立ちの少年がこちらを伺うように見ている。大きな荷物と、少年。私の怒りは限界を越えた。紺色のプリーツスカートの裾を握り締め三人へと怒鳴った。
「外へ出なさい。一歩たりともこの家に入ることは許さないわ。」

近くのファミレスに移動した。セーラー服の少女が一人ソファー席に足を組み座っているのに、大人二人と少年一人をもう一つの席におしやっている光景はお笑い草だろう。トントンと指でテーブルを叩きながらなんとか冷静に話を聞こうとした。だいたいの話は私の考える通りであっていた。この女は母さんが生きている頃からの浮気相手で父から、母さんの死んだことを聞き、息子を連れて我が家へ乗り込んできたらしい。実際のところは家賃が払えずに家を追い出された、というのが正解だ。どこまでも馬鹿な女、恥知らずめ。女だけじゃない、私の認めたくはないが父も。苛々し過ぎてお冷やを一気に飲み干した。
「あなた聞いてないの?」
黙って話を聞いていた私が口を開いた瞬間、父親の肩がびくりと揺れた。
「あの家は元々母の実家のもので、名義は父ではないわ。だから母が亡くなったあとは私のものよ。母は父に財産をほとんど遺していないもの。」
母の実家は旧家で父とは格差婚だった。あまり、母さんはひけらかすことはしなかったけれど父は大層母の実家から嫌われていたようで、家も土地の名義も父のものではない。母の葬式が終わったあと弁護士が来て全てやってくれたらしい。母の実家、織田の家は私をとても可愛がってくれた。信長伯父様が全部私とためにとやってくれたのだ。多分、この女のことも知っていたのかもしれない。
「だから、ここに住むことは許さないわ。あなたも出ていきなさい。父親としてのプライドがあるならね。ごねるようなら信長伯父様が後見人なって下さってるから全てお話するわよ。」
凍てつく声で二人ともまとめて切り捨てた。父親は伯父様の名前を出せば何も言えないことを知っていた。持っている権力も、全てが伯父様に敵わない。惨めな男に冷えた氷の視線を送り、侮蔑を隠さなかった。

結局、私は父親を追い出し浮気相手には逃げられたと風の噂で聞いた。あの家は揉め事にならないよう伯父さまが売りに出してしまった。だから今は本家に伯父さまの所にお世話になっている。けれど高校を卒業したら東京へいく。いつまでもお世話になることはできない。帰蝶さまは居てもいいと言ってくださるけれど、そういう訳にはいかないだろう。
珍しく雪が降ったので外へ出てみた。雪は降り積もっており、除雪しアスファルトの見えるところを敢えて避けていく。キャメルのブーツの踵が濡れたアスファルトを踏み締めながら、リズムを刻む。
「楽しそうですね。」
ふと後ろからかかった声にゆっくりと振り向くと、美形の男が立っていた。銀色の髪に白皙の青年。
「光秀、お前はここでなにをしているの?」
「大切なお話があるんですよ。信長公から聞かされるかもしれませんが。」
明智光秀。伯父様の右腕で大変優秀な男。周りから認められている、と同時に恐れられている変態。
「貴女と私の結婚が決まりましたよ。」

冷めた紺碧の瞳が私を射ぬく。濡れた鴉の羽根のような黒髪は短く、面差しはお市様によく似ているのに態度や雰囲気は信長公のそれだ。信長公のたった一人の、姪。高圧的で相手を威圧するオーラを纏い実の父親を叩きのめす根性といい、私としてはなかなかに気に入っている。黒いタイツの包まれた足はふともとが程よく肉がついており、胸もそこそこある。別に太っているというわけではないものの、お市様のようにスレンダーではなく健康的な美少女だ。信長公は可愛い姪ですら政略結婚の道具として使うらしい。前々から彼女との結婚の話は進んでいたが、信長公は姪の意思を聞かずに決めてしまった。ひどい人だと笑みを浮かべながら思う。その話を聞いた少女の反応を期待した。
「そう、わかったわ。」
あっけらかんとそう言うと歩みを止めることなく前へ進んでいく。見知らぬ男とは言えないが、それでも対して知らない男と結婚するということにここまで淡々としているだろうか。
「なんでそんなに、淡々としているのか聞きたそうな顔をしているわね。伯父様の言うことには勿論従うわ。だってお世話になっているんだもの。」 
父親を追い出したあと彼女の面倒をみたのは信長公だ。その恩があるから、と表情ひとつ変えずに言い切った。コートの裾を掴んでしまった。振り返った顔は美しく、凄絶なまでの美貌が微笑んだ。父親に捨てられ母親もいない。信長公が拾わなければ誰も、彼女に手を差し伸べる人間はいただろうか。否、プライドが高く孤高に生きる美しい人間の側にいたいと思う人間はたくさんいるはずだ。これから蕾が大輪の花が開くように、辺りの人間を引き寄せて止まない美女になる。私は一番近くにいる人間になりたいとそう気付いた。最初は信長公から言われた、そんな理由ではあったがなかなかにいいものを手にいれた。そう気付いた自分に拍手を送った。
「光秀?」
「ーーー貴女ってひとは。」
その温かで細い体を抱き寄せ顎を掴み接吻をした。顔を離すと唾液が伝い互いの唇を濡らす。いきなり舌を入れたのは不味かっただろうか。ぽかんとした顔は年相応の少女のものだ。こんな風にした経験はなかったのだろうか。
「光秀、あなたなにを。」
顔がだんだんと赤く頬を染めた頬に手を置いた。冷たいけれど、ちゃんとぬくもりを感じることができる。私はおろかな彼女の父親とは違う。一生裏切らない、側にいて守ってやろう。彼女がいればまともな人間になれるようなそんな、確信がある。これからゆっくりと彼女の心の奥底に隠されたものに触れていこう。焦らなくていい、少しずつ見せていてくれればいい。
「私、貴女のこと気に入りましたよ。」
戸惑った顔もなかなかに面白い。これら興味が尽きることはないだろう。私達は今日、生まれた。
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