"生"が皆に等しく与えられるように、"死"もまた避けることのできない通過点である。この世に生を受けたその瞬間から、地球上のあらゆる生命は死に向かって歩みを進める。死ぬために生きている、と言い換えてもいいだろう。人間だろうが虫けらだろうが、男だろうが女だろうが、それだけは確実に違わない。残念ながら死に到達した生物は、もう二度と生の世界へは戻ってこないのだから、その先にどんな素晴らしい世界が広がっているのかは、生きている者の誰も知らないわけだが。


「レイリーさん、こんにちは」

「ああ、……久しぶりだな」


 もう二年ほど働かせていただいているカフェに、久方ぶりの来客が扉の鈴を鳴らしたのは、午後三時を少し回ったところだった。白い髪の毛に白いお髭、また少し増えただろう顔の皺。見た目だけは明らかな老人なのに、しかし取り巻く雰囲気に一切の隙を見せない彼こそが、海賊王の腹心、シルバーズ・レイリーさんである。シャボンディ諸島に身を置いている彼は、のらりくらりと様々なグローブを行き来しては、本当にたまに、このカフェに足を運ぶ。この店で扱っているキリマンジャロが大好きなのだと聞いた。


「いつものを頼む」


 来る度、それまでの空白が何ヶ月に渡るかもわからないくせに、必ず"いつものを"と頼む彼。そのあたたかい響きに絆されている自分も、心の隅にひっそりいるのだ。「キリマンジャロですね」と何気無く返す言葉の影に隠れて、それは恥ずかしげに彼の様子を窺っている。

 このように説明していると、なんだか私がレイリーさんに恋をしているように思えるだろうが、そんなことはない。断じてない。能力者でもないのに、海軍大将と渡り合えるほどの力を持った彼を、それはもう心の底から尊敬し憧れてはいるのだけれども、それはただの畏敬の念であって、うら若き少女の甘い恋心などではないのだ。


「白ひげは、逝ったな」

「……ええ」

「君も素晴らしい男についていったものだ」

「昔の話ですよ」


 なるたけ静かにマグカップを出す。キリマンジャロを使った特製のエスプレッソだ。微笑めば、傷心中とでも捉えたのだろうか、レイリーさんは優しく口元を歪めるだけで、もう何も口を開かなかった。

 数年前ーーこのカフェで働き始めたのが二年前なのだから、それより前ーーまで、私は海賊だった。最後の最後まで懸賞金がかけられなかったから、今こうして呑気に引退しているわけだけれども、もし私が元白ひげ海賊団の一員であることを知っていたら、店長は私を採用しなかっただろう。採用されてからというもの、"普通の女の子"の暮らしは新鮮で、目新しいものがあちこちに散らばっていて、目に映るものすべてが輝いて見えた。血の匂いに神経を尖らせることもない、敵船の襲来に警戒する必要もない。それは私に、想像以上の安らぎを与えた。これでよかったのだ、と、当初は思った。親父のことは尊敬していたけれど、私には海賊自体が向いてなかったのだ、と。

 世界は存外甘ったれている。時折その甘さに、舌を鳴らしたくなることだってあるにはあったのだが。


「私は、結局怖かったんです」


 無理だと思ったこともある。船に帰りたいと思ったこともある。海賊をやめるというのは、あの自由気ままな生活を捨てるというのは、実はとても難しいことなんだと、レイリーさんは私に教えてくれた。どっちつかずな私は、結局答えを保留にしたまま、答案期限を過ぎてしまったのだ。


「君にとっての親父さんは、白ひげだけだったのだろう」

「もう、いませんが」

「それでも、彼が君の親父であることは変わらない。それは永遠ではないのか?」

「……そうで、しょうか」


 そうであれば、私はきっと救われる。

 親父。静かにそう呟いてみる。右目が見えなくなった。もう一度親父と呟くと、左目の目頭が熱くなった。ぼやけた世界で、レイリーさんが静かに微笑んでいる様子を認めながら、私は目から零れ落ちる涙を手のひらで拭った。

 親父。もうこの世にはいない大好きだった親父。

 あなたの死に際にも立ち会えなかった私を、あなたはきっと娘と認めてはくれないのでしょう。それでも、あなたを親父だと思うことだけは、許してください。だって私にとっての親父は、あなたしかいないから。

 親父の娘にはなれなかった私だけれど、あなたが天国で安らかに眠れることを、心の底から祈っています。
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