記憶が無くなった入間銃兎の話
小学校低学年の時に、俺は祖母に引き取られた。祖母は厳しい人だった。病院にいる俺を産んだ女に代わって俺の事を育てた。祖父は俺が物心つく前に他界していたので、二人暮しである。
「今言ったでしょう? 聞こえなかったの?」
これが祖母の口癖だった。ごめんなさい、と呟きながら洗濯物を畳んで、飯を作って、風呂を沸かして、家の掃除をする。
「畳み方が汚い」「味が濃い」「湯がぬるい」「汚れが残っている」何かにつけて祖母は文句を言って、その度に手近にあるものを投げつけてきた。ペットボトルに、リモコンに、缶詰に、例を挙げればきりがない。それを避けても怒鳴られて、また何かを投げてくるので、大人しく当てられるしかなかった。さすがに刃物を投げられた時は避けたけど、その時に初めてたくさん血を見た。血が足りずにぶっ倒れたのは良い思い出である。
「あの子はお前のせいで病院に行ったんだ」
あの子、とは祖母の娘──要するに俺を産んだ女である──のことだった。ぶつぶつと俺に対する呪詛を吐いている祖母の声を背にして、俺は分け与えられた部屋という名の物置に行く。「まだ話は終わってないよ」背中に衝撃。じんと当てられた箇所が痛みを主張した。「この、人殺し」言の葉が胸に突き刺さる。
言葉は凶器だ。こうして俺の体に突き刺さって、今も至る所から血を流し続けている。すみませんとだけ言って、部屋の戸を閉めた。
「あんたのご飯は、これだから」
目の前には白米と、何か。考えたくもなかった。
「聞こえなかったの?」
定期的に、祖母が食事を作る期間があった。それは大抵娘の話をした次の日で、俺に対する怒りが爆発したときである。要するに、その頻度はとても高かった。
箸を持った。椀を手にして、白米を掬う。つんと鼻に来る臭いを放つそれは、糸を引いていた。口に含む。咀嚼して、嚥下して、ようやく祖母が満足げに鼻を鳴らした。「残すんじゃないよ」祖母の声に、嘔吐きながら返事をする。
体が飲み込むことを拒否していた。喉がこれらを胃に入れまいと必死に抵抗をしてくる。自分の意思とは関係なしに行われるそれに、苦しくて生理的な涙が出る。それを見て祖母はまた怒鳴るのだ。「私のご飯に文句があんのかい?」こうなると祖母は、そこら辺の雑草だとか、適当な虫を引っ掴んで椀にいれてくる。だから俺は、虫だとかを好んで食べる人間のことが理解できなかった。蜂の子だとか、蟻だとか、蜘蛛だとか。考えたくもない。そして蟻は酸っぱい。一生知りたくなかった。
そして、そんな祖母が息を引き取ったのが約三年前。呆気なかった。俺が学校に行っている時に、階段から足を滑らせて転落。頭を打っていた。中学の卒業式から帰って来た時にはもう既に息がなかった。俺が聞いた祖母の最期の言葉は、あの口癖と、俺に対する一言だ。
「この人殺し」