記憶が無くなった入間銃兎の話
「あ」
目が覚めてから暫くして、声が出るようになった。しかしまだ本調子でないらしい。心做しか声が低い気がする。咳払いをしながら喉の調子をみる。喉の奥が引きつっているような感覚に、思わず目を細めた。まだ起き上がることは出来ない。指先は動かせる。
「もうそろそろ面会も平気かな。今更で申し訳ないけれど、ご家族にも連絡を入れなくては。連絡先を教えてくれるかい?」
「家族とは縁を切っています。ので、連絡は入れなくて結構です」
「おや、そうかい。なら、とりあえずは左馬刻くんへ連絡をしよう」
「さまとき、」
「ああ、そう。彼がいきなり電話をしてきた時には驚いたけど、本当によかった」
「あの」
「どうかしたかな?」
「さまときって、だれですか?」
反応を見るに、どうやら、俺は記憶がどうにかなっているようだ。「面会はまだ無理だね」といった先生は眉を顰めていた。初めて見る表情だ。
「改めて聞くよ。君の名前は?」
「入間銃兎です」
「職業は?」
「……探偵です」
「んっふ」
違うのか。笑いをこらえきれていない先生を横目に考える。犯人を追いかける、のであれば、他に思いつくものは警察くらいしかない。冗談ですよ、警察官です。と笑って答えてやった。どうやらあっていたらしい。俺はいま警察官なのか。
「……君の、年齢は?」
「……二十五、ですけど」
ここまで(適当に)答えて、ある仮説が頭の中に浮かんだ。ああ、俺は、記憶が無くなっているのか。だって俺十八歳だもん。この先生は俺の事を社会人として扱っている。なるほどな。
「残念、外れだよ。君は警察官じゃなく、記者だ。新聞記者。二十七歳のね。スクープを追いかけるのも程々にした方が良い」
随分とアクティブなんだな、俺。適当に謝った。職業柄、身分を偽ることも少なくなくて。と言うと先生は笑う。「嘘だね?」
「君、本当はいくつ?」
「……十八歳です」
「職業を聞いた時にも、正直に答えて欲しかったな」と苦笑する先生の様子を見るに、俺が記憶を無くしたのは仮説ではなく、本当のことらしい。私のことも覚えていないかな? と少し悲しげに聞いてきた。
其の事実が分かってしまえばあとは簡単だった。今まで噛み合わなかった会話にも納得がいく。
それから俺と先生は話をした。俺は本当は警察官で、二十九歳なんだそうだ。今回は怪我か、もしくはそれ以外のショックのために記憶が一時的に混濁している可能性がある、らしい。精神干渉がどうたらと言っていたけれどまるで漫画の中の話だ。全く理解ができなかった。
そして、暫く俺は仕事を休む必要があるそうだ。記憶の混濁のため、とかいって。どやされそうだな、知らねえけど。
さまときとの面会もまだ先である。さまときとやらの話、聞いてる分にはただのツンデレなんだが、実際はどうなのか分からない。先生は「白い子だよ」と言っていた。いや何がだよ。
そして一番の問題は、今の俺の体が二十九歳であるということだ。十年も違うじゃねえか。
まだ俺はピチピチのティーンで、諸々を控えた高校三年生である。そんな奴がいきなり二十九歳の体になっても、どうにもならない。否、正確には二十九歳の俺から約十年分の記憶がすっぽり抜け落ちているだけであるので、どちらが異分子だとかは関係なく、俺はただひたすらに俺なのだけれど。
「先生」
「なんだい?」
「俺の記憶がないってことが周りにばれたら、まずいですか」
そう言うと先生は考え込んでしまった。もしや、結構危ないところに所属しているのだろうか。捜査一課とか?
「……まず君には、今の日本の状況から話さなくてはならないね」