記憶が無くなった入間銃兎の話
こひゅ
頼りない呼吸音だけが聞こえてくる。鉄のにおいが鼻腔を刺激する。身につけている衣服に、髪に、肌に、液体がまとわりついている。
鉄のにおいは、この液体からだ。
腕を動かしたい。ぴくりとも動かない。指先さえも自由がなかった。じん、と腹がなんだか暖かい気がする。どくんどくんと血液を流そうとする音が腹の近くから聞こえる。気がする。
地面は冷たいのに、指先だって、今こうして考えている思考回路だって冷静だのに、腹だけが異様にあつい。あついけれど寒くて、なんだか自分の感覚が分からなくなってきた。
ああ、呼吸ができない。
目の奥がじんわりと暗くなってくる。紫とか、赤とかのよく分からない光が視界の片隅でぱちぱちとはじけ出した。
「──!」
何か聞こえた気がしたけれど、何もわからなかった。
微かに意識が戻ったように思う。最初に聞こえてきたのは、男が何かを持ってこいと叫んでいる声だった。その次に分かったことは、今自分が心臓マッサージをされているという事だ。誰かが胸部を圧迫している。圧迫されている間は息をするのが非常に楽だった。そう言えば、口にもなにか異物感がある。ここまで知覚することが出来るのに、瞼を上げる、指を動かす、そんな簡単なことが出来なかった。暫くしてから、また意識は沈んだ。
「起きろよ、クソ」
ばちりと目が開いた。かと思えば、急に明るくなる視界に思わず目を閉じる。眩しくて目が痛かった。
機械音が聞こえる。点滴もされていた。ここは、病院、なのだろうか。周りを見ようにも起き上がることが出来ない。点滴の繋がっていない腕を動かそうにも、重い重い鉛のようで動かせなかった。ここは、ここはどこだ。
視線だけで部屋の中を見回す。個室か、なんてことだろう。この体の様子だと、もしかしたら酷く長い間ここで寝ていたのかもしれない。ああ、個室の入院費は馬鹿にならないとどこかで聞いた気がする。どうしたものか。