煢然たるレペティール


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入間銃兎の殺人計画



 瞬間的に思い浮かんだのは祖母の料理だった。腐った食材、独特の腐臭、ヌメつく口内、生理的な涙、胃液の酸味。「私の料理が食べられないのかい」投げ入れられる虫と草。バッタに、蜘蛛に、芋虫に、そして蟻。蟻だ。赤く変色した白米の上でもぞもぞと動き回っている。「これで食べられるようになっただろ」震える箸で何とか掬う。米がつうと糸を引いた。口に含むと、うごうごと口の中を蹂躙され、噛まれた頬粘膜がじくじくと痛む。「ちゃんと全部食べなよ」戻しそうになるのを堪えながら必死に噛んだ。きちんと噛まないと胃の中で暴れてしまうから、味を誤魔化そうと一気に飲み込むこともできない。ぷちりぷちりと音がする。生理的な涙が滲む。これ以上食べたくない。けれど食べなくてはいけない。ぷちり。噛み潰す。蟻は。蟻は、酸っぱい。

「蟻なら……まあ、セーフか?」

 祖母と祖母の作った料理が一気に霧散する。目の前に映るのは理鶯の料理だ。祖母の料理を思い出してしまったせいか、ふりかけられた蟻が動いているようにも見えてきた。どくん。心臓が五月蝿い。つうと汗が伝う感覚がした。喉の奥で胃液の酸味が密やかにその存在を主張する。そうだ。俺は、僕は、この料理を食べなければいけない。
 手を伸ばす。心臓のあたりがじんわりと熱い。食べたくない。食べなくちゃいけない。また物を投げられてしまう。口に含んだ。美味しいはずだのに味がわからない。硬口蓋にちらりと何かがあたった。蟻だ。蟻は、潰さなくては。いち、に、さん、し、ご。ひたすらに噛む。ぷちりという感覚は本物だろうか。鼻で息をする。飲み込まなくては、飲み込まなくては。喉の奥が拒否反応を起こす。飲み込めない。飲み込まなくてはいけないのに。視界が滲む。涙か、これは。

「銃兎?」

 理鶯の声だ。理鶯、私はこれを食べなくちゃいけないんです。でないとまた祖母に叱られてしまう。

「おい銃兎、何してんだ」

 左馬刻の無声音が鼓膜を揺らした。その声色に滲んでいるのは焦りか、それとも嚥下を慫慂するものか。

「銃兎」

 嘔吐きながらなんとか飲み込んで、また料理に箸を伸ばす。口を開く、噛む、すり潰す、涙が出てくる、飲み込む、そしてまた箸を伸ばす。ルーティンワーク、あのころに散々やっていたことだ。なのになぜ飲み込めない。口に手を当てる。飲み込めない。喉が拒否をしてくる。なぜ。胃が内容物を吐き出そうと律動している。戻したら駄目だ、吐き出したら駄目だ。
 ふうふうと鼻で息をしながら目の前の料理を睨めつける。まだあんなにあるのか、あんなに。口の中にあるものを水でぐいと流し込んだ。また箸を取る。

「もういい銃兎。小官は無理をしてまで食べて欲しくはない」

 理鶯の声が心にじんわりと滲んできた。食べなくて良いのだ。そう認識すると同時に、急な吐き気に襲われる。口元を抑えて駆け出した。収まらない吐き気に伴って少しずつ理性を取り戻していく。野営地から十分に離れたところで膝をついた。耐えきれなかった。胃に収めていたものを吐き出す。ああ、理鶯が丹精込めて作ってくれたというのに。軽く咳き込んでいると、自分の名を呼ぶ左馬刻の声が聞こえてきた。声のした方を振り向けば、ペットボトルの水を投げつけられる。脳裏を祖母の言葉が過る。「なんで避けるんだ」体は動かずに、ペットボトルの衝撃をそのまま受け入れた。

「キャッチしろや下手くそ」

 大きな舌打ちが聞こえてくる。礼を言ってキャップを捻り、思い切り煽った。

「理鶯、すみません。せっかく作ってくれたのに」

 ざかざかと草をかき分けて、元の場所へ向かいながらそう零すと「いや、気にするな」とだけ返ってきた。
 左馬刻も理鶯も、こちらに怪訝そうな目を向けてくる。いたたまれなくなってきて思わず目を逸らした。

「どうも体調が悪いみたいで……すみません。今日は、帰ります」

 聞かれることが嫌だった。何をとは言わないし、こいつらはきっと聞いてこないけど、それでも、ただ「体調が悪い」ということにしておきたかった。ならばこの場に留まっているのは良くないことだ。事実体調は悪い。ここ最近の疲労がぐっと出てきた気さえする。吐き気は、治まらない。
 二人に背を向けて、荷物を持って、来た道を戻った。また連絡しますねとだけ零して少しだけ踏みならされた道を往く。色鮮やかで芳しい香りの料理と、調理中の理鶯の表情を思い出して、チクリと胸がいたんだ。



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