入間銃兎の殺人計画
「おせえよ何してんだテメェ」
「良かった、何か厄介事に巻き込まれたのかと思ったぞ」
約束の時間に少し遅れて、ようやっと野営地に着いた。「色々ありましてね」袋から食材や酒を出す。理鶯は既に調理に取り掛かっていた。左馬刻が持ってきたであろう食材の存在を机の上に認めながらジャケットを脱ぐ。汗のせいでワイシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。
「食材を落としてしまったので、駄目になっているものもあるかもしれません」
「見る限りは問題ない。いつもすまないな」
理鶯がそういうのなら大丈夫なのだろう。安心して腰掛ける。煙草に火をつけた。……ふと、先程の手紙を思い出す。あの時は取り乱してしまったが、そもそもそんなに簡単に俺の事を見つけてもらっては困る。というか、見つけられないはずだ。腐っても法は法、そこら辺はしっかりしている。ならば恐らく、あのストーカーが俺の家を見つけたということなんだろう。
厄介なことになった。ぼんやりと考えるのはマンションのセキュリティである。まあ、部屋に侵入されるようなことは無いだろうと考えていた、その時だった。
「銃兎」女の声が聞こえてきた。周りを見渡しても、料理をしている理鶯と、腹を減らすためにと日陰で縄跳びをしている左馬刻の二人だけだ。女なんてどこにもいない。
「なんで逃げるの」また聞こえた。なんで、ってそりゃあ。……なんで逃げるんだ? きゃらきゃらと楽しげに笑う妹の声がどこからか聞こえてくる。どこから? 俺の、腕の中からだ。腕の中には何もいないというのに、何故。「銃兎」女の声が近い。「銃兎」粘っこいどろりとした声色が耳につきまとう。「銃兎」やめろ、その声でその名を呼ぶな。「銃兎」手が震える。煙草が落ちた感覚がした。拾わなくては。「銃兎」落窪んだ眼窩が脳内を過ぎる。やめろ、その目で俺を見るな。「なんで逃げるの」上がる口角。不気味に傾く首。「待ちなさい銃兎」空いている扉。腕の中の暖かい重さ。「銃兎」がん、がん、がん。鈍い音と笑い声が聞こえてくる。「銃兎」腕の中のいもうと。可愛い可愛い──。「銃兎」俺は、俺は。
「銃兎!」
はっとした。
目の前にはスカイブルー。階段から落ちている途中に見えた空の青じゃない。理鶯の瞳の色だ。
「大丈夫か? 心ここに在らず、といった感じだったが」
「……ああ、いえ、すみません。今日は少し暑くて。ちょっと堪えてるんです」
「ンなスーツ着てっからだろ」
「言ってろ」
落ちた煙草を拾って携帯灰皿を出す。もう一度煙草を吸う気にはならなかった。シャドーボクシングをしている左馬刻を横目に理鶯を見る。どうやらいつの間にか随分と調理が進んでいたらしい。食欲を唆る香りが鼻腔をくすぐった。
「あとはよそうだけだ。もう少し待て」
「なら手伝いますよ。皿を出せば良いですか?」
「ああ、そこにある」
無骨な手で綺麗によそられていく料理を見て昼間にサンドイッチを食べたことを後悔した。もう少し腹を空かせておけば良かったと思うも後の祭りである。未来が見えりゃこんなことにはならなかったのに、残念ながらここには未来から来たロボットも、未来が分かる案山子もいない。
はあと軽い溜め息を吐いた横で次々と料理が並べられていく。「左馬刻、出来たぞ」理鶯の声は左馬刻の耳に届いたらしい。シャドーボクシングをしていた腕がぴたりと止まった。
「おう、美味そうだな」
「美味そうじゃない。美味いんだよ」
「そらそうか」
どっかと盛大に腰を下ろした左馬刻の顔には汗が浮いている。そりゃこんな日にあんな動いてりゃ汗掻くわ。いただきます。タイミングのずれた挨拶をして各々が料理に手を伸ばす。文句無しに美味かった。
「銃兎、この間言ってた狸爺の件だがよ」
「見つかったか」
「ン。真っ黒だ」
「そうか。いくらだ」
「こんなもんかな」
数字が乱雑に書かれたレシートの裏紙とUSBを受け取った。桁が一つ多くないかと文句のひとつでも言ってやりたいが、生憎そういったことを言える立場ではないため諦めた。胸ポケットに押し込んでまた箸をとる。相変わらず美味い。
アクアパッツァ(だと思う)に手を伸ばしていると、理鶯が思い出したように「む」と呟いた。「どうしたんだよ」口の中をもごもごとさせながら左馬刻が問うた。食ってる時に喋るんじゃねえ。
「いや、良ければこれと一緒に食べてみてくれ」
そう言って理鶯が持ってきたのは小さなタッパーだ。半透明のそれの中には黒いものが入っていて、こちらから見るとごまのように見える。「ほら」ぱらぱらとふりかけられるそれに、どこか既視感を覚えた。「胡椒か? 美味そうだな」左馬刻の言葉を、反射的に否定した。違う。胡椒じゃない。これは、これは。
「蟻のふりかけだ」