煢然たるレペティール


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記憶が無くなった入間銃兎の話



 次の日になって、多少なりとも冷静になった俺はあの手紙が原因なのではないかと考えた。あの手紙が原因で、お母さん達はあんなことを言ったんだ、と。
 我ながらバイタリティ溢れる幼少期である。思い立って直ぐに、俺は両親の部屋に忍び込んだ。父は仕事からまだ帰ってきておらず、母は妹と夕食の買い物に出かけている。
 初めこそは随分とスムーズに進んでいたが、やはり探索をするとなるとそうもいかなかった。テーブルの上、ベッドの近く、床、どこを探しても見つからない。どこかへ隠してしまったのかもしれない、と落胆していた時、視界の端にゴミ箱が映った。ゴミ箱の中はまだ流石に見ていない。中を覗きこんだ。何か、破れている紙が入っている。見つけた!
 今度こそしっかりと読んで、この嫌な気持ちを晴らしてやる。と硬く決意し、びりびりに破かれている紙を全て掬いだしたところで、俺はある違和感に気がつく。紙の量が、多い。はたと手の中の紙片を凝視して、目を見開いた。
 ゴミ箱から拾いだした紙片は、自分の書いた、作文だった。
 先生に褒められた、家族のことを書いた作文。母は後で読むねと言っていた。父は読むのが楽しみだと言っていた。それが、これか。
 作文だった紙は全てゴミ箱の中に戻した。一応、全ての紙片に目を通したが、自分の作文以外の紙は見つからなかった。紙を戻して、自分の部屋に帰って、泣いた。胸のあたりがぎゅうときつく締め付けられるかのような気分だった。
 自分は必要とされていない、この家族には必要ない、要らない人間なのだと強く強く理解した。全て嘘だった。母の優しい笑顔も、頭を撫でる父の手も、全部。嘘だった。
 そのことを認識してからは随分と健気に過ごしたと思う。どうにかして好かれたくて、気に入られたくて、この家族にいていいよと言ってもらいたくて、色々なことをした。
 両親も表面上は俺の事を疎まずに優しく接してくれたので、なんだかんだとチョロい俺は何度も何度も考えた。あれこそ嘘なんじゃないかと。俺の作文をびりびりにしていたのも、なにか理由があったのではないかと。しかしそれも裏切られる。わかりきっていたことだ。
 調理実習でお菓子を作った。簡単に作ることの出来るものだったから、七歳でもそれなりに形にはなった。俺はそれを、持ち帰って母へ手渡した。「お母さんいつもありがとう」と一声添えて。

「わあ、銃兎くんが作ったの? すごいねえ、美味しそう!」

 そう言って笑った母の表情に、俺は安堵した。ほうら、どうだ。僕はお母さんのそばに、この家族にいてもいいんだ。
 その少しあと、俺は、流しの隅の三角コーナーに捨てられたお菓子を見つけた。丁寧にと時間をかけたラッピングはそのままに、今日の夕飯の生ごみに埋もれていた。
 何をしても笑顔で受け取られ、そしてそのまま笑顔で捨てられるのだ。絶句した。絶望した。……泣いた。
 それからというもの、俺は──といることが多くなった。──は俺のことを疎まない、嘘を吐かない、こちらが笑顔でいれば、笑顔を返してくれる。優しい存在だった。

 それから、少し経った時のことだった。俺の、本当の母親が家に来た。母と父が丁度家におらず、俺と──だけがいた。母の用事も父の見送りだけであったため、家の鍵は閉めていなかった。
 ふにふにの頬を指でつつきながら、二人で遊んでいると、不意にがちゃりと扉の開く音がした。母が帰ってきた。なんとも言えない感情の中、俺は変わらずに──と遊ぶ。

「銃兎」

 体の動きが止まる。

「銃兎」

 声が違う、母じゃない、お母さんじゃ、ない。

「銃兎」

 声はすぐ後ろからだった。恐る恐る振り向く。

「やっと見つけた」

 長い髪、落窪んだ眼窩、青白い顔、上がる口角。
 恐ろしかった。そして本能が警鐘を鳴らす。逃げなくてはいけない、この女から。目の前の病的な姿の女から。
 よくもまあ体が動いたと思う。妹を抱きかかえ、女を突き飛ばしながら外へ出た。玄関の扉は空いていた。普段ならばエレベーターを使うが、今そんな暇はない。階段へ向かう。「銃兎、なんで逃げるの。銃兎!」恐ろしかった。妹は俺の腕の中できゃらきゃらと笑っていた。

 少しあとになって知ったのだが、俺を産んだ女はヤク中だったようで、この家宅侵入ののち、然るべき処置をされそういった医療機関に入院した。そして俺は、俺を産んだ女の実家──要するに祖母の家だ──に引き取られるのだが。
 何が言いたいかと言うと、俺は仕合わせな家庭を壊した。いや、元々壊れていたのだろう。俺のせいで。その見返りは相応だったと思う。そう、思いたい。笑いが込み上げてくる。

 言葉を綴った白い鳩はばらばらになってごみ箱へ捨てられた。
 精一杯のおめかしをさせたハムスターは世話をされずにかごの隅で腐臭を漂わせていた。
 幼い心のうちで育てた人懐っこい、愛されたがりの子猫は、電子レンジで温め殺された!
 笑うしかなかった、それしか出来なかった。俺は、必要とされていなかった。
 だから俺は、生きる価値が欲しいのだ。人に必要と、されたいのだ。


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