煢然たるレペティール


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記憶が無くなった入間銃兎の話



 早速聞いてみた。殺意が高い。あまりにも困惑している。これ、一応公共の場に流れるものなんだよな? 二十九歳の俺、やっている事がクソすぎやしないか。よくこれで警官クビにならねえな。恐ろしい。しかも左馬刻、ヤクザじゃん。ヤクザじゃん。それで俺の所属部署が組織犯罪対策部? で、巡査部長? 馬鹿じゃねえの。大人の俺の考えることは皆目わからん。俺にとってヤクザという存在は、薬の次に忌むべきものだったはずだ。それがなぜ。
 思考はここで途切れた。左馬刻のソロ曲? とやらを聞いたからだ。ああ、これは。息をつく。母が父を殺して、その後自殺して。壮絶な人生だ。そして同時に理解した。二十九歳の俺は絶対に、左馬刻に昔のことを話していない。
 左馬刻に話していないならきっと毒島さんにも話をしていないだろう。己の曲でも薬物が云々だとかしか言っていない。この様子だと昔のことを話している相手は今のところいなそうだ。職場の人間はよく知らんが、適当ににへらにへらしていればなんとかなるだろう。記憶喪失なんでな、勘弁してくれよ。

「銃兎」

 声のする方へ顔を向ければ、迷彩が目に入ってきた。毒島さんだ。どうかしたのだろうか。

「おはようございます、毒島さん。どうかされました?」
「いや、見舞いにな」
「そうですか、ありがとうございます」

 それきり、毒島さんは口を閉ざしてしまった。沈黙は特段苦手でもないが、この状況は些か気まずい。なにか話の種でもなかろうかと思案した時だった。「CDを」毒島さんの低音が耳に留まる。「え?」

「CDを聞いていたのか」
「あ、ええ、はい。先生が用意してくださったので。皆さんのことも知りたいですし」

 そう言うと、毒島さんは心底不思議そうに問うてきた。「そんなに、記憶を戻したいのか?」手に持っていた何かを適当なところに置いて、毒島さんは腰掛ける。「どうして、そんなに急いでいるんだ」

「……え、と」

 またしても沈黙。毒島さんは何かを発することも無く、ひたすらにこちらを見つめてきた。記憶を戻したい理由だなんて、言える訳が無いだろう。

「今も、こうして皆さんに迷惑をかけていますし」

 俺の事だ。何かしら自分に都合の良いように嘘をついて、己を偽っているに違いない。

「仕事だって、担当とかがあるって聞きました」

 今の、十八の俺でさえ、隠していることがある。偽っていることがある。それは、他の人間にとっても当たり前なのかもしれないけれど、違う、違うんだよ。

「それこそ、ラップバトルだって。今の僕はなんの知識も、経験もない。あなた達の力に、なれない」

 二十九の俺があんたらをどこまで信用しているのか分からない。どれだけ信頼しているのか、分からない。だけど、だからこそ、例え嘘だとしてもこうしてクソ人間の見舞いに来るようなやつとの関係を、不用意な俺の発言で壊したくないんだ。

「だから、少しでも、思い出せれば良いなって」

 色んな嘘をついて、笑って、偽って、必死に作ってきた関係だろうから、俺がそれを綻ばせる訳には、いかない。だからせめて、少しでも今のことを知らなくては。

「……そうか」

 それだけ言うと、毒島さんは立ち上がった。見舞いに来るやつみんなすぐ帰るな。やっぱり疎まれているのか? 少し疑問だった。けれど毒島さんは爽やかな表情を浮かべている。「銃兎は、幼くとも銃兎なのだな」よく分からない。
 そして毒島さんは、差し入れのことをぽつりと言及して病室を後にした。
 人の気配が感じられなくなると、一気に部屋の中が静かになった。
 毒島さんの言った言葉が頭の中でぐるぐると繰り返される。「銃兎は幼くとも銃兎なのだな」どういう、ことだ。嘘だということがバレたのか。分からない。バレているのだとしたら、二十九の俺も駄目だな、と自嘲気味に笑った。

 ……そも、何故、俺は嘘を吐いているんだ。何故、こんなにも多くの嘘を吐いてまで生きているんだ。これはまずい、と頭の片隅に言葉がぽんと浮かんできたが、それは直ぐに端の端に追いやられた。俺は、何故嘘を吐いている。
 優位に立ちたいから? 違う。
 権力が欲しいから? 違う。
 金か? 違う。
 薬の撲滅か? いいや、違う。これは生きる意味だ。俺の、入間銃兎にとっての生きる意味、目的。
 ならば、なんだ。何故俺は嘘を嘘で塗り固めた、雁字搦めの生活を送っているのだ。俺は何故、こんなにも人を騙しているのか。ぽっかりと空いた穴、真っ黒いそこからはごうごうと音が響いてくる。そんな感覚が胸の中でひしめいていた。俺は、何故。
 瞬間、もう一人の俺が語りかけてきた、ように思った。二十九歳の俺。黒のスーツに、きらりとその存在を主張する特徴的な装飾、映える紅。ニヒルな笑みを浮かべて口を開く。俺はなぜ、嘘を吐いているか。知っているか?

 ──生きる価値が、欲しいからだ。

 ぶわりと、視界が明るくなった気がした。あくまでも気がしただけであるので、実際にそうなっている訳では無いが。ああ、そうか。
 俺は、生きる価値が欲しかったんだ。
 俺が俺の目的の為だけに無様に生きているだけじゃなくて、誰かに求められたかった、嫌われたくなかった、愛して、欲しかった。ああそうか、俺は。俺は! 人から必要とされたかった!




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