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「あ、おい守沢!」
守沢が走り去る。
なんてこと、よりにもよって、何故このタイミングで、守沢、が。
綺麗な眉を八の字に歪めて、まるで絶望したかのように、こちらを見て、それこそ「何故あんな場面を見せたんだ」と、攻めるような視線をむけて。
あんな顔をさせたくなかった。あんな表情をさせたのは紛れもなく自分自身だということを思うと、自分を呪い殺したくなるような劣情に苛まれる。
追いかけろよ。
どこからかそんな声が聞こえた気がした。あまりの極限状態で聞こえた幻聴なのかもしれない。しかし、それにすら頼りたくなるほど、今の自分に余裕は無かった。
地面を蹴る。こういう時、もっと体力作りに励んでおけばよかったと思うのか。後悔先に立たず。その諺が、胸にどすんと大きな音を立てて落とされた。
「守沢ぁ!」
勿論、足の速さで適うわけがなかった。守沢の背中を追いかけながら、今出せる最大限の声を出す。喉が悲鳴を上げているが、そんなことを気にしている場面ではないのだ。
声が聞こえたらしい。守沢の足が止まった。それを良いことに、走る速度を少しだけ緩める。
「……何故、逃げたんだ。」
答えは知っているというのに、問いを投げかけた。否、まずは違うことから聞いていくべきなのかもしれない。でも、今の自分にはこれしか出来なかった。つらい。何をいえば良いのかさえわからなくなっていく。頭の中で色々なものが渦巻いて、その一つひとつが主張してくる。自分が何をしたいのか、守沢に何を伝えたいのか、渦に飲み込まれそうになりながら、様々な単語が出てきては消え、出てきては消えを繰り返す。言葉を選ぶ、というのはこんなときに使うのだろうか。
「……蓮巳は、」
守沢の声が紡がれる。いつもより覇気が無いと思うのは、自分の気のせいではないだろう。
「失恋というものを、したことがあるか……?」
衝撃を受けた。その質問にではない。
守沢が振り返ったとき、ようやっとその表情をこの目に映すことが出来た。振り返った守沢は、目に涙を浮かべ、これでもかという程眉を顰めて、しかしそれでも無理矢理口角を上げている。この世に蔓延る地獄を目にしたかのような、そんな表情だった。
「……どうして、いきなりそんなことを聞く」
声が震えてしまったかもしれない。
そんな表情をして、そんな質問をするということは、守沢は、英智を本当に好いていたということだろう?
自分まで涙が零れそうだ。正面からは鼻を啜る音が聞こえてきた。守沢の一挙一動が、そのことを裏付けていく。
「いやなに、ははっ! 相手の名を言うわけにはいかないが、つい先程失恋してしまってな! あ、相手は男だが、この学院では、珍しいことでも、」
ないだろう?
そう言って、明るく振る舞おうとする守沢に、心を抉られたような気分になった。それを引き起こしたのは自分だ。自分のせいで、守沢がこんな感情を抱くはめになっている。
でも、それより先に、どうしても、守沢に、伝えたいことがある。