09
今頭の中には、誰かが歌っていた何とかという歌がずっと流れている。何だったか、あまり覚えてはいないが、取り敢えず恋人の浮気を目撃してしまうやつだ。ええと、ああわかった。SPYだったと思う。まきなんとかさんが歌っていたやつだ。
『偶然君を見かけた。なんて運命的な2人。』
外をぶらぶらとしていたら、蓮巳を見つけた。いつもより比較的遅めに歩いている。誰かを探しているのだろうか、きょろきょろと辺りを見廻しているようだった。
……歌の歌詞については何も聞いてくれるな。名前すらあやふやだったのに、歌詞をまともに覚えているわけがないだろう。言い訳だ。
『ひょっとしたら別の奴と会ってたりして。後をつけてみよう。悪戯心に火がついた。』
今は蓮巳の後を追っている。誰かに会いに行くのか、もしそうならばそれは誰なのか。気になるところだろう?
『だけど信じてる。信じてる君を信じてる。』
蓮巳が立ち止まった。どこか、体調が悪くなったかのようにも見えるその仕草は、相変わらず流麗としていて、何か妖艶なものを孕んでいるようでもあった。
『二人の日々が大丈夫だと背中を押す。』
司令は下された。
もう、蓮巳に声をかけてしまおう。こういうところで積極的に行かなければ、何故だか、もう、蓮巳がどこか遠いところに行ってしまうような気がして。勿論それは、今頭の中で延々と流れ続けるこの歌のせいなのかもしれないが。
「蓮巳!」少し遠いところからかけた声は、向こうに届いているだろうか。
「守沢……」
こちらに気付いた蓮巳は、ほんの少しだけ慌てたような素振りを見せた。何故? 理由がわからなくて、それでいて不安になって。いつもより心做しか大股で、蓮巳の元へ歩く。
『僕の胸が急スピードで高鳴る。』
「どうしたんだこんなところで!」
何も無いんだろう。蓮巳。
そんな答えを請いながら蓮巳を見遣る。お願いだ。そうだと言ってくれ。
「いや、貴様には関係の無いことだ。」
そう言った蓮巳の視線は、どこかを不安げに見つめているようだった。そちらに何かあるのだろうか。
「ん? こっちになにかあるのか?」
あくまでも平静を装って、そちらへと顔を向ける。物陰からは、日々樹と、天祥院か?
『君は周りを気にしながらやつとキスをした。』
「っ、」
プライベートな場面を覗き見てしまった。罪悪感から、早めに目を逸らす。ふと蓮巳を見た。ばちんと、それこそ効果音まで付きそうな勢いで目が合った。視線が交錯する。
ひどい、かおだ。
いや、違う。ひどいかおだなんて、我ながら酷いことを言ってしまった。でも、それでも、こんな顔を、表情を見たくはなかった。なんでそんな顔をする。
眉を潜めて、こちらをしかと見つめて、少しだけ、目が潤んでいるようにも見える。絶望を目の当たりにしたような顔。
首を思い切り振る。視線の先には日々樹と天祥院がいた。随分と、仲が宜しいようで。
あ、ああ、もしかして、蓮巳は、
あの二人のどちらかが、好きなのか?
『洒落になんないよ。なんないよ悪い夢ならば、早めに覚めてと、呪文のように叫んでる』
もう一度蓮巳を見た。嘘だ、うそだろ、そんな。
動悸が収まらない。蓮巳はこちらへ視線を向けていた。その視線には、何かを訴えるかのような力強さがあった。
『真実を知ることが、こんなに辛いなら』
ああ、ああ。こいつは、蓮巳は本当に、あの二人のどちらかが好きなんだ。
改めて認識すると、それはまるで、なにか、自分の心の支えとなっていた大きな柱を、一気にぶち抜かれたような、そんな感覚だった。
こんなことなら知りたくなかった。胸が引き裂かれるようだ。
『僕はスパイになんかなれない』
軽率に、蓮巳の後を、つけるんじゃなかった。