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 ぼうっ、と空を見上げていた。人間、嫌なことを忘れるためには空を見上げるのが効果的らしい。首が疲れてきた。やめよう。

「死にたい……」

 最早口癖と言っても過言ではないこの言葉を、一体どれほどの人が間に受けるのだろうか。一人一人考えてみた。あの人はないな。あの人もない。親もない。ううん、いないかもな。

「貴様、それは本気で言っているのか」
「……え?」


高峯翠の場合


「聞こえなかったのか? ならばもう一度問おう。貴様は、それを、本気で言っているのか。」

 あれ、えっと、この人確か、地獄耳の。

「蓮巳敬人だ。ふん、てっきりあの守沢から話くらいは聞いていると思ったのだがな。いや、これは自分の知名度を過信した俺の自惚れか……」

 ぶつぶつと何かを呟いている。こわい。ああ、そういえばいっつも「副会長に追いかけられてな! 逃げてきた!」とか聞かされてたな。副会長って蓮巳っていうのか。うん? 蓮巳……先輩? 先輩だ。三年生か。先輩だな。

「で、だ。話を戻すとしよう。先刻の俺の問いに答えろ。場合によってはうちへ連行する。」
「はあ、いや、まあ……」

 本当っちゃ本当だけど、でも生きていたい気もするし、でもこんな人生過ごしてるのは嫌な気持ちだってある。でも痛いのは嫌だ。自分の人生って「でも」ばっかだなあ。
 口篭る俺を見て、蓮巳先輩がなんだか苦虫をかみつぶしたかのような表情を浮かべた。なんで。

「……ほんの少しだけ、話をしよう。」
「え、めんどくさい……」
「なにか、言ったか?」

 こわ。

「すみませんなんでもないっす。」
「そうか。」

 蓮巳先輩は俺の座るベンチの反対側に腰をおろした。……どれだけ長い話をするつもりなんだろう。

「俺の家は寺でな、たまに電話がかかってくるんだ。内容は違うようで同じ、しかし似て非なるものばかり。……共通しているのは、電話口で聞こえる言葉が『死にたい』『生きることに疲れた』といった、生きることに対して否定的なものばかりだというところか。」

 俺と同じじゃないか。今なら、同じこと考えてた! 変なこと言っても良い? 僕と結婚してくれ! とか歌える。……やっぱり歌わない。

「父はいつも、そんな人達の対応をしていてな。」
「はあ。」
「あれは確か、俺がまだ小学校高学年だった頃か。ある男の子が寺にやって来て、ぐすぐすと泣いていた。父が話を聞くに、その子はいじめられていたらしい。内容は覚えていないが、幼いながらにそれは酷いとわかるものだったから、相当だったのだろうな。……体にも、いくつものあざがあった。」
「はあ。」
 あ、ちょうちょ。

「その子は、先刻の貴様のように死にたいと言っていた。目に光が無かった。比喩のように聞こえるかもしれないが、本当に暗い眼をしていた。俺はほんの少しだけ、その目が怖かった。」

 ぎゅ、と手に力を込めているのがわかった。横目で表情を一瞥すると、少し、眉を寄せていた。険しい顔。

「それから、俺とその子は遊ぶようになった。本当に良い奴で、何故いじめられていたのか、今でもわからない。」
「……はあ。」
「何週間か経った頃、その子は俺にぽつりとあることを打ち明けた。死にたい、どこで死ねば良いのか、痛くないで楽になる方法はないのか、遺書をどう書いて、どうすれば良いのか。」

 なんか、話が、段々と重くなってきた。
 とうとうと俺に語りかける蓮巳先輩。いつもならこういう状況の時逃げたいとか、なんだかんだ思うのだけれど、今だけは思わなかった。
 先輩が何を俺に伝えようとしているのか。ぶっちゃけほぼ初対面の俺にそんなヘビーなこと言われても困るけど、俺に向けて、というか俺のために言ってくれている訳なのだし。無下にしてはいけないと思った。……のだと思う。

「俺は必死に止めた。日頃から父に命の大切さをこれでもかという程説かれていたし、何より……自分で言うのもなんだが、数少ない友人をなくしたくなかった。」

 ぎゅう。と、握られていた拳に、更に力が込められた。少し白くなってきている。痛くないのかな。

「その晩、俺はそのことを父に話した。何とか説得して、彼が死んでしまわないように、自ら命を落とすことのないように言って、そしたら彼も『しなない』って言ってくれたよ。そう自慢げに話して、そして父が珍しく俺のことを褒めたものだから、その時の俺は天狗になっていた。命を救うということはこんなにも心地よいものなのかと。単純に、嬉しかった。」
「……」

 なんだか、先が見えてきた気がする。もしかして、その子、それでもやっぱり辛くなって、自殺しちゃったんじゃないか。
 やめろって言われて、はいそうですねってすぐさま肯定して、それを実行に移して、と、これを実際にできるかと聞かれたら、答えはノーだ。
現実として俺ができてないし。
 そうか、その子は亡くなってしまったのか。
まだ先輩はそんなことを一言も言っていないにも関わらず、俺は一人他人行儀気味に、可哀想に、と呟いた。

 この呟きが先輩にも聞こえたらしい。びくりと肩を震わせて、心做しか視線を俺とは反対の方へと向けた。「やはり、貴様もそう思うか。」そう言った先輩の声は震えている。
 え、どうすれば良いのこれ。

「……それから、二日が経って、その子の母親が寺に来た。その子が亡くなったこと、遺書、というか日記が書いてあり、この寺に来て、お礼を言ってね。と書かれていたこと。全てその日に知った。」

 ああ、やっぱり。自殺しちゃったのか。
ほんの少しだけ、心のどこか、すごい隅っこに、重たい何かができたような気がした。ずどん、と、置かれたような、そんな感覚。

「母親は、俺の姿を見るといの一番に駆け寄ってきた。何を言われるんだろう。彼を説得して勝手に満足して、止められなかった不甲斐なさかな。結局彼、死んじゃったんだものな。そんなことを思っていたと思う。目からはぼろぼろと涙が出てきて止まらなかった。彼は俺の大事な友人だったのだから。」
 蓮巳先輩は続ける。
「そうしたら、母親は俺に何をしたと思う?頭を撫でる訳でもない。一緒に泣く訳でもない。……思い切り胸倉を掴まれ、俺の体は宙に浮いた。」

 んん? 話がなんか、思っていたのと違う。なんでそうなったんですか。

「『なんで説得なんてしたんだ。お前のせいであの子は苦しみながら死んでいった。同じ死んでしまうのなら本人が願った安らかな眠りを与えてやりたかった。』だったか。まあ多少の相違はあるにしろそのようなことを言われた。」
「え……」
「その子は、俺に打ち明けた次の日に、同級生にリンチをされたのだという。殴られ蹴られ、挙句の果てにはカッターで斬りつけられた。大人が見つけて、病院に運ばれるときには痛い、痛いと呻き、泣き喚いていたらしい。……その訴えも、最期にはしなせて、という言葉に変わっていたそうだ。」

 じゃあ、もしかしてその子は、リンチを受けることを知っていたから? それから逃げるために? そんな、そんなことって。

「……『敬人くんのおかげで勇気が出た。ぼく、しにたくなくなった。生きたい。ぼくぜったいに生きるから、そうしたら、また敬人くんと遊びたい。こんなぼくと友達になってくれて、ありがとう。遊んだときに言えたら良いな』。文全体の中の比率としてはほんの僅かなものだったが、俺の名前が出た文章だった。それを聞いて……自分の、したことに、自信がなくなった。こういうこともある、と父は俺を慰めた。俺の肩に乗った父の手が暖かくて、それがとても悲しかったのを今でも覚えている。……だからだな、その、」

 ふい、と蓮巳先輩が顔をこちらへと向ける。

「死にたいだなんて言うな。死にたくないのに死んでしまった人間の方が多いんだ。」

 その子のように?

「死ぬのは怖い。それから、痛い。それでも死にたいというのなら。」

 ばちん。蓮巳先輩と視線が絡む。先輩は真っ直ぐな目をしていた。自分が太陽を背にしているからか、蓮巳先輩の瞳が光ってる。
 ひと呼吸おいて、蓮巳先輩は眉間に皺を寄せると、口を開いた。

「俺が貴様を殺してやる。」


 ああ、この人、やっぱりこわい。



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