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 随分と、変なことを考え過ぎた。今日のあれがあったから当然だとは思うが、今集中すべきは目の前の書類を処理することだ。雑念を捨てろ。現実を見ろ。たらればを言ったり他の可能性を掬いあげても、こうなった結果は変わらないし、変えられる訳がない。あれは、紅月の敗北は、俺の油断が産んだ。そうだ。誰かのせいじゃない。自分のせいだ。
 ああほら、また変な方向へ思考が逸れてきた。一つのことに集中すらできないのか。

「くそ、」

 両手を使って、頬を叩く。思い切りやろうとしても、結局叩く力は弱くなってしまって、自分の弱さが伺えた。

 時計の針が進む音と、紙が擦り合う二種類の音だけが暫くの間響いていた。何かに没頭している時というのは、本当に素晴らしいと思う。他の事を考えずに済む。無心になれる。
 そういえば、人間の集中力というのは十五分程で途切れるものらしい。
 時計に目を向ければ、きっかり十五分、まるで計ったかのように時間は経っていた。

 ふと視線を逸らすと、自分が書いたポスターが束になって置かれていた。来週から貼り出すやつか。ああ、そういえば、描きたいなと思っていたポスターがいくつかあった気がする。ちょっとした息抜きとして、ポスターの構図でも考えておこうか。

 鉛筆の先が少しずつ丸みを帯びていく。この時間は好きだった。こんなのはどうだろう、こっちはこうしよう、それならばやはりああした方が良さそうだ。思考は四方八方へと広がり、脳内に充満していく。頭の中が絵のことで一杯になる。
 絵を書くのは好きだ。もちろんのこと、描くのも好きだ。漫画家になりたいというのも、ここに入学を決めるまでは、本気で考えていた。今となっては、それはきらきらと光る宝物になって、記憶の中に大切に大切に保管されているけれど。

 正直、今でも少し諦めきれない自分がいる。こうしてひっそりとポスターを書いているのも、まだ諦めがつかない自分の、自己満足のようなものだ。アイドルと漫画家は決して両立できるような生半可なものではないと理解しているし、何よりも、今ここにいるのは、自分で決めたことなのだから、後悔をしても仕方が無いのだ。いや、後悔だなんて、していない。していない。
 自分に言い聞かせるように脳内で反芻する。

 後悔をしていない。
 そう言い聞かせる時、必ずと言って良い程、脳裏に浮かぶ情景があった。
 懐かしい、まだ初々しい英智と、入学説明会の日に、会ったとき。
 英智は、こちらに気が付くと、目を大きく見開いて、それから、言った。「なんでいるの。」

 絶句した。一応、幼馴染みとして、同級生として、仲の良いつもりだった。いつも一緒にいたし、ずっと一緒に笑ってた。英智のためにこの学校へ入学することを決めた。自分の知らないところで英智が倒れるかもしれないと思うと気が気でなかったのだ。けれど、そうか、英智は、俺と一緒にいることが嫌なのか。そう考えた。もしかしたら、嬉しさからの言葉だったのかもしれない。でも、そう連想することは出来なかった。英智のリアクションが、明らかに喜び以外のものだったから。

 でも、この世界は誰かが必ず嫌われ役を負わなければならない。だから、嫌われること覚悟で、英智のサポートを全力でして、それこそ英智のためのユニットを創った。なんという自分勝手! それこそ本当にただの自己満足ではないか!

 この学院に入学してから、どれ程の自己嫌悪に苛まれたことだろう。自分はここに来るべきではなかった。普通の高校に進学して、大人しく漫画家という儚い夢を、見ていたかった。何度も考えたことだ。

 ここまで嫌われて、陰口を叩かれて、あからさまに避けられて、傷つかない人間がいるわけがないだろう。

 自分は、ここに来るべきでは、なかった。
何度も何度も、同じ言葉を繰り返す。こんな自分がとことん嫌になる。
 「悩みはいつでも相談してくれて良いんだぞ!」守沢の言った台詞が脳内にぽんと浮かんだ。良いやつだな、あいつは。でも、そう言ってくれた時に虚勢を張って「悩みがあるように見えるのか、俺は。」だなんて言ってしまったものだから。「いや、見えないな!」

 そう返事が返ってきた時の、安堵と、絶望と。
そう見えているのなら良いんだ。相談しろと言われても、きっと上澄みだけを掬って、それだけを口にすることだろう。本質的なものは絶対に言わない。こうして自己嫌悪に陥っていることも。生徒から嫌われているのが悲しいことも。そして、お前にも嫌われているのではないかと、疑っている自分がいて、そいつが心の底から大嫌いなことも。言わない。だから、良いんだ。

 鉛筆が紙の上を滑る。
 なかなかうまく出来たと思う。水彩にしようか、それともコピックで塗ろうか。
 頭の中で少しずつ歯車が出来上がっていく。かちゃりかちゃりと音を立てながら造形され、組み合わさっていくそれは、自分の心と反対に、とても整っていて、そして、精密だった。
 いっそのこと、その歯車のように感情がなくなってしまえば良いのだろうか。

 そうすれば、誰かに説教を垂れているときに、胸が傷まなくて済むし、罪悪感を感じることもない。まあ、自分が長話をするのが好きということも大きく影響しているけれど、それでもだ。そんなことができたのならどれほど楽になるのだろうか。

 夢物語が頭の中を占拠していく。自分が望んでいる情景が、状態が、自分が脳内で動き出す。
 それこそ先刻に想像した歯車の様にかちゃかちゃと動き出し、今自分が想像する最良の世界を作り上げている。
 そんなこと、できるわけがないのに。
 考えるだけで虚しくなってきた。

 ある程度は書き終わった。
 ああ、今日はとても疲れているのかもしれない。瞼が重い。時計の方を見遣り、区切りの良い時間まで寝てしまおうかと考える。
 今は生徒会室に、誰もいないのだから。
 鉛筆を机に置き、腕を枕にして、顔を伏せた。


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