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 何も言うことが出来なかった。
 英智の言葉を肯定し、飲み込むわけにもいかないし、けれど、英智の真剣な横顔を見ると、その言葉を否定したら、英智が、小さな綻びからほろほろと崩れて壊れてしまいそうで。

 視線を落とすと、英智の手はぎゅうと絵を握りしめていた。そんなに握ってはくしゃくしゃになってしまうだろうに。けれど、自分からそれをやめるように言うのも気が引けて、何故だか居た堪れなくなった。
 英智の横顔を見遣る。英智はずっと病室の外を見ていた。否、正確には、空を見上げていた。
 今日は雲一つない綺麗な空だ。反対に、自分の心は厚い雲で覆われているように感じた。

 外になにかあるのかを聞くと「何でもないよ。なんにもないし。」と返ってくる。
 でも、英智にはきっと。何かが見えているのだろう。英智の望む何かが、その視線の先には、網膜に焼き付いた情景がぼんやり、はっきり、どちらかはわからないが映っているのかもしれない。
 きっと、英智は馳せているのだ。一緒にステージに立ちたかったと。ステージに立って、出来ることならそのままその生涯を閉じたい。閉じたかった。そう、考えているのだろう。

「まだ早いなんて思わないよ。僕は。だって、思い出は沢山あるんだ。最近もそうだけど、学生時代も。辛いことも、楽しいことも。色々な事を経験した。どん底に落ちて、這い上がったり。それから、皆で笑いあったり。その思い出はみんなみんな、星のように綺麗に瞬いて闌干としてる。だから、良いんだ。」

 ぽつりと紡がれた言葉は、かつて皇帝と呼ばれた英智からは想像もできないほどの脆弱さを纏っていた。
それから、英智は思い出話を縷々話し出した。
 高校時代の話にまで時が戻ったためか、話には花が咲き、随分と長い間話し込んでいた。中には笑えないものもあったが、それでも、その一時は本当に楽しかった。

 けれど、それと同時に、自分の心の中に小さな黒い塊ができた。それは話をする度に大きさを増し、存在を主張してくる。
 気付け、否、認知しろ。もう薄々感じているのだろう。この感情に。不安に、恐怖に。そして英智の欺瞞に。ぐるぐると黒い塊が目まぐるしく変化していく。

「……安心してよ。きっと、多分。まだいかないから。怒られちゃうしね。」

 そう言って英智は笑った。
 ああ、どこまでも英智はこちらの心の中を読み取っていく。見透かしていく。昔はよく「君の、笑顔が見たい」とせびられたのを思い出した。
 本当に安心して良いのか。自問しても答えはない。ならばきっと、英智に任せてしまって良いのだ。英智の判断に任せて、失敗したことはないのだから。

「ほら。もうそろそろ仕事の時間だろう? 皆によろしく伝えておいてよ。頼んだよ。」

 にっこりと笑みを浮かべた英智に対し、できる限りの笑顔を向ける。それを見て、英智は目を見開いた。小さく「ありがとう」とも言っていた。
 ああ、きっと、これが最後なんだな。最期なんだ。
 扉を閉める。そっと振り返って、扉のぼやけた窓越しに英智の姿を見ると、蹲っていた。「よろしくお願いします」と看護師に伝え、その場を離れる。人通りのないところに行って、壁を背にして、それから、泣いた。


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