失うものは何も無い

 外に飛び出した緑間を花宮達が追いかけた。さすが全国区プレイヤーである。反応が一瞬遅れただけで結構な差をつけられた。
 緑間が駆け出した方へ向かえば、手を付き、苦しげに嘔吐している緑間の姿が目に入る。

「……どういうことだ」

 低く唸るような声で問いかける花宮に、一つ咳をして返した。

「この、通りです」

 苦し紛れにそう言ったかと思うと、またしても緑間は嘔吐した。思わず目をそらすが、こいつ、もう戻すものもないじゃねえか。胃液しか出ていない。

「けほ、医者が言うには、心因性の、ものだと、」

 絶句した。あのキセキの世代の緑間が? どういうことだ。

「バッシュ、お借りしたものなのに、すみません。家に自分がまだ使っていない新品がありますので、明日、持ってきます」
「いや、ンなもん気にしなくて良いけどよ……」

 あの花宮でさえ驚きからか目を見開いている。ざまあみろ。緑間は力なく鼻で笑う。
 この通りなのだよ。自分にバスケはできない。貴方達の期待に添えることもできない。
 やはりこうなってしまったかという絶望と、これでバスケ部に入らなくて良いのだという安堵を同時に抱いた。嗚呼、嗚呼。やはりオレはもう、バスケをすることが出来ないのだろうか。
 膝についた土を払う。バッシュ、どうしようかなと思ったところで、花宮は声を上げた。

「バスケ、やる気はあんのか」

 ねーよなめてんのか。
 すんでのところでなんとか言葉を発することなく飲み込んだ。こいつ喧嘩売ってきてやがる。

「いや、聞き方が悪かったな。緑間お前さ、バスケ好きか」
「……好きか嫌いかでバスケをしていたわけじゃ」

 ない。そう繋げるつもりだった。緑間が最後まで言えなかったのは、花宮が遮ったからである。

「入ってた」
「……は?」
「だから、入ってたんだよ。てめぇの血と汗と涙とゲロの結晶のスリーが」

 それは、先刻打った、あの?

 声が震えた気がした。いや、もう音として出ていないのかもしれない。入った、入ったのか。やめろ、やめてくれ。そんなことを言わないでくれ。そんなことを教えないでくれ。そんなこと、知ってしまったら、知ってしまったら。
 期待、してしまうだろうが。

「まあ、何にせようちには入ってもらうけどな」

 ぐるぐると考えごとが渦を巻くほどの緑間の動揺をぶち破ったのは目の虚ろな人だった。「君のこと明らめなくちゃいけないからね」と。頭の良い緑間なら分かるだろう? そう言って首をかしげた。
 諦める、明らめる。ああ、してやられたのか。自分は。

「はい、入部決まりな。入部届けはこっちで書いておくから書かなけりゃ良いとか思ってんじゃねえぞ。練習は……無理に参加して体育館に吐瀉物撒き散らされても堪らねえからな。まあ今は良い。マネージメントをしろ」

 3Pはまた入るか分からない。きっと今回はまぐれだ。もう一度打っても入るとは限らない。

 得意としていたものもない。バスケが「できない」現状ももうばれた。そうだ。もうオレには何も無い。バスケもまともにできない、空っぽな緑間真太郎だけが今ここにいる。ならもう、それで良いじゃないか。
 バスケを、また、したい。
 いま、考えているのはそれだけだった。


失うものは何も無い緑間くんのはなし


「はい、」
返事はぽつりと宙に溶け込んだ。




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