失うものは何も無い

「よォ」

 松本が声を上げながら扉を開けた。緑間が連れてこられたのは、体育館ではなく部室だった。中には数人の部員と思しき生徒と、そして悪童──花宮がいた。

「すみませんが、無理矢理連れてこられただけですので、失礼して良いですか」
 非常に不愉快なのだよ。

 零すように呟いた言葉も、花宮はしっかりと聞き取ったらしい。特徴のある眉を歪ませながら口角をあげた。かと思うとすぐに友好的な笑みを浮かべる。
 赤司、オレは今作り笑いと言うものを初めて見たが、やはりお前の笑顔は自然だ。作り笑いというのは、こういうことを言うのだな。心の中で赤司に語りかけた。そうか、なんて声が聞こえたような、聞こえないような。

「そんなつれないこと言うなよ緑間くん。オレ達これから仲間になる、チームメイトじゃないか!」

 吐き気がする。何が仲間だ、何がチームメイトだ莫迦莫迦しい。これがあくまでも悪童の表の顔だとしても、たまったものではない。

「バスケはしない。これはもう決めたことです。これ以上関わらないで頂けますか」

 これには着替えている最中のほかの部員も驚いたらしい。皆が一様に手を止めてこちらに視線を向けた。マイナスな感情はこもっていないものの、驚愕の視線を向けられることにも慣れはしないだろう。すこし、むず痒い気分になった。

「へえ? しないんだ、バスケ。……なら、しょうがないね」

 眉尻を下げながら頷いた花宮に、今度は緑間が驚愕の表情を浮かべた。いやまさか、こんな簡単に引き下がるだなんて、とまで考えたところで、花宮が自分たちを嫌っていたことを思い出し、そして納得した。嫌いな奴がプレーしないのは好都合だろう。
 「ではこれで」と一礼をしてから踵を返すと、背中越しに笑い声が聞こえた。

「なんて、言うわけがない」

 この狸野郎め。ばれない程度に舌打ちをして振り返る。

「君が故障してるなんて情報は入ってない」故障していないからな。
「進学校なら他にもあったはずだし」そうだな。
「何故、ここに?」何故、って。

 バスケを、したく、なくて?

 何の言葉も出てこなかった。つらつらと頭の中に漠然とした理由のような何かだけが浮かんで、そして言葉として発することなく消えていく。そんな様子を見てかどうかは知らないが、花宮がはあと深い溜め息を吐いた。

「まあいいや。もしどこか故障していたのだとしても、バスケ部は君の勧誘を続けるよ」
 目標のために、君の存在は必要だ。

 爽やかな笑みを浮かべる花宮に、嫌悪感を抱いた。人の笑顔を見て不快な気分になったのは初めてで、気色の悪い悪寒が背中を駆け巡った。非常に、非常に不愉快である。
 




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