一章(3/3)
02


「……雨、だな」
「ですね。」

 新聞を片手に、柳生がぽつりと息を吐いた。窓をつうと雨が伝う。水滴越しの空は薄暗いものだった。

「比呂士、午後からの練習あるのか?」
「先程連絡が来ました。無いそうです。」
 クレーコートですからね。

 そうぼやけば、宍戸が小さくガッツポーズをする。決して氷帝はオムニコートだから、と優越感を抱いている訳では無い。二人とも練習が無い日は珍しいのだ。

「……フレイヤ探しにでも、行きますか」

  新聞を畳みながら呟いた言葉に、そうだなと返事が返ってくる。ならばと召喚獣に声をかけようと腰をあげると『準備は出来ている』と声をかけられた。いやはや、優秀なことで。
 二人も、もぞもぞと着替えを済ませた。忘れ物はないか確認をしてから、扉に手をかけて外へ出る。雨は先程よりも心做しか強くなっていた。

「今日は見つかりますかね」

 既に眼鏡は濡れていた。柳生の眉間に皺がよる。手を目の上にかざし、微かながらも雨避けにして空を仰いだ。『なんか、やなかんじ』と、足元から声がするので思わず苦笑した。軽い口調とは裏腹にその声はどこか深妙で、視線をついと声がした方に向ければ雨で濡れた炎虎が不愉快そうな雰囲気を醸し出していた。
 宍戸は宍戸で、なにか思うところがあるらしい。考え事をする仕草をしたかと思うと柳生に向き直った。

「ジルならまだしもライドがそう言うってことは相当だな」
『亮殿。酷いぞ』
「はは、わり。」

 さて、今日はどこへ行こうか。ぷらぷらと歩き出せば、宍戸が「とりあえず人通りが少ないところ、行こうぜ」と声をかけた。
 そして向かったのが森。森である。雨のせいもあってか、いつもより薄暗い森を迷うことなく進んでいく二匹の背を、柳生と宍戸は追いかけた。
 森についてからどれくらいの距離を歩いただろうか、そんな疑問が宍戸の頭に浮かんできたと同時に、ぴくりと、ジルの耳が動いた。宍戸は少し驚いた。

『主、ここから五時の方角。約一キロ先に魔力の反応があるが……』

 ジルが鼻をひくつかせる。なるほどフレイヤね。俺の心を読んだ訳では無いのか。ほっと息をついている宍戸を横目で見てかはわからないが、柳生が眉を潜めた。

「……フレイヤの可能性は」
『十分有り得る。』

 宍戸の両手が音を鳴らす。ぱちん。意外にも優しげなその音は、森の中にすらりと溶け込む。いきなりの行為に驚くことも無く、それを皮切りに全員の目付きが変わった。

「行くぞ」
『我が先導しよう。フレイヤだった場合急がねばならぬ。主、我の背に』

 柳生の側に寄り、頭で背中を指し示す。ちょっと濡れてる。柳生は少しだけ嫌そうな顔をした。濡れてるじゃないですか。臭そう。表情から滲み出る感情を隠そうともせずに柳生はジルを見つめた。『安心してほしい! つばき? とやらの良い匂いである!』渾身のドヤ顔である。昨日シャンプーしておいて良かった。柳生は微笑み、「では遠慮無く」。そう言って乗った。

『亮』
「おう。」

 そんな柳生の隣で、宍戸は濡れているクロライドの背に躊躇なく飛び乗った。またシャンプーしてやらなくちゃな。零した言葉はあまりにも男前だ。
 ここは、森だ。だからこそこんな風に行動ができる。公道に出れば二匹の召喚獣達はそれぞれ犬と猫にならなければならない。それは宍戸と柳生にとって面倒でしかないのだ。喋れないし。

『主、あそこだ』

 ジルがつい、と鼻で指し示した。近くを並走する宍戸も柳生に合わせ、ジルが示した方向を見る。

「ああ、あの木ですか。」
「……あそこ、誰かいるだろ。傘が見える」

 ひょいと飛び降りてぱたぱたと服についた水滴を払う。時間差無く、宍戸が柳生の隣に来た。宍戸の隣ではクロライドが欠伸を堪えている。

『臭い的に人間だぜ?』

 嗅覚は狼の方が良いんじゃなかったっけ? 宍戸が言った。ジルは目を逸らした。

「さてどうします?」
「どうもこうも、もしあそこがフレイヤだったらあの人次期に死んじゃうじゃん」

 あっさりと言う宍戸。普通の人間がここにいれば驚くかもしれないが、生憎ここには魔界の住人しかいない。彼等にとっては、普通のことだった。

『亮殿の言う通りだな。どうする主』
「私に言われましても……」

 ぎりぎり肉眼で傘を差した人物を確認できる距離にいる二人と二匹。どうしたものか。

「もう一人増えやがった……」

 宍戸が眉間に皺を寄せながら様子を覗き見る。細かい人数までは分からない。が、背が高い奴がいることは分かった。

『どうする主。』
「いやですから私に言われましても、」

 じ、とお互いに見つめ合う。この2人のやりとりに、宍戸とクロライドは苦笑した。またか。

『普通に俺が唸れば逃げだすかなぁ』

 顔を洗いながら、適当さを隠すことなくクロライドが言う。ふるふると頭を振れば、雨の中水滴が周りへ飛び散った。しかしそれも意味をなさず、白い毛は変わらず水分を多くまとっている。

「よしライドそれだ。ナイスアイディア。ははは。行ってこいよライド。自己責任でな」

 遠い目をした宍戸が、渇いた笑いをし続けた。

『俺テレビに取り上げられたりしちゃうんじゃねえ? 大丈夫? 狩られない?』

 わしわしと柳生が羽織っているマントを撫でるようにクロライドが足で触る。「普通に考えたらそうですね。狩られます」と、微笑みながら柳生はクロライドの足を優しく抑え込んだ。柳生のマントで拭いたため、クロライドの肉球は綺麗になっている。

『じゃあやめとこ』
『ちっ』
『狼てめぇ今舌打ちしただろオイコラ』
『知らぬ』
『ちっくしょう……』

「あ、」

 宍戸が声をあげる。また二人、増えた。ぞろぞろとまあ。いくら東京とはいえ、こんな外れの、しかも森に集まるなんて一体何の用があるのか。


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