「…篠先さんに、一体何があったんだ」
「『本人が忘れたいと思ってる事を知りたいって思うの?悪趣味だね。』」
皮肉る忘却に、ハデスは歯痒い思いを噛み締める。
このままでは、この病魔を咀嚼することができない。
藤乃は人殺しになる、と警告された内容が嘘では無いならば、自分が手出しすることはできないのだった。
「『言っとくけど、ボクはアンタらと違って嘘吐かないから。"嘘吐き"じゃあるまいし』」
そんな思いを読み取ったかのように、忘却は釘を刺してくる。
感情の塊である彼らが、嘘を吐くことは滅多に無い。少なくとも、"そういう"ふうな感情から生み出されたものでなければ。
そして、忘却はその範疇の病魔ではない。
「『まあ、さっくりと言うと、トーノはね、ずっと復讐したかったんだ。
自分がどれだけ間違っている、狂ってると言われても、どこまででもいつまででも追いかけて殺し続けたいホド。』」
そう。
忘却は、藤乃の記憶もそこに込められた感情も解っていたから、知っていた。
誰に否定されようと、馬鹿にされようと、皮肉られようと。
"忘れない限り"彼女は殺し続けるのだ。
ずっと、ずっとずっとずっとそうしてきた彼女を、忘却は知っている。
「『キミ達がトーノのことをどう思おうと勝手だよ。
キライになったって、畏怖したって、腫れ物を扱うようにしたって。
どう足掻いてもボクが居なければ、トーノは忘れれない』」
そこで忘却は一息つくように小さくため息を吐き、しばらく何かを考え込むように目を閉じた。
そしてゆっくりと目を開けた後、最初から変わらない笑顔のまま、
「『それじゃあ、ボクの言いたいことはこれだけだから。
一生遭わないことを願ってるよ。バイバイ』」
と言って踵を翻した。
「───待てよ」
呆然とする中で一人、忘却を呼び止める者がいた。
藤麓介。忘却の話に、比較的冷静さを保って聞いていた彼。
忘却は振り向かず、けれど足を止めた。
「病魔ってのは、宿主の生命力を取っていくんじゃねーのかよ」
それは。
その言葉が意味することとは。
このまま忘却が憑いていたら、藤乃が衰弱していくのではないか。そう、問い掛ける言葉。
忘却は薄く笑った。薄っぺらいけれど、限りなく本当に近い笑みで。
けれどそれは、背後にいる者達には見えない。
「『ボクは"忘却"。宿主の"記憶"を喰らう病魔。
そして、トーノの忘れたい記憶は、無限ではないけど膨大だ。
───人の一生掛けても、とても喰らい尽くせないホドにね』」
それだけを言い、忘却は静かに保健室から出ていった。
ドアをスライドした音が、静かな保健室に響き渡る。
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