サトリちゃん お試し
2012/12/29 18:35
ネタのサトリちゃんのお試し。プロローグっぽいのだけやってみた。
わたしが"それ"を自覚したのは、小学三年生の頃である。
ざわざわと騒がしく、聞こえ、時に浮かぶ情景達。
止めどなく聞こえるこの声達が、周りの人が思ったり考えたり悩んだり感じたりしている"声"だというのは、自然とわかっていたから、わたしは"それ"が当たり前のことだと思って育ってきた。
パパやママ、おじいちゃんにおばあちゃん、ママのお友だちのノリおばさん、ゆうくんにちーちゃんの声だって、もちろん聞こえてた。
だから、パパやママの愛に応えようと望む声に応えて言いつけも守ったし、それでたくさん褒めて貰った。
時々、どうしてパパはわたしが言いたいことがわからないんだろうと思ったし、衝突し合う彼らが不思議だった。
だって、みんなもわたしみたいに他の人の気持ちがわかるはずなのに、なんでケンカなんてするんだろう。
そんな小さな疑問は、小さなわたしにはわからなくて、実際わたしたちの家族は幸せだったから、喉に小骨がひっかかる程度の小さな小さな違和感でしかなかった。
人の気持ちはわかって当たり前。
元よりお喋りな質でなかったので、小さな疑問を抱いても自分の心に秘めたまま、忘れていった。
疑問を持ってすぐに、口に出していたなら、なにかが変わっていたのか。
そんなことは今更意味のないことだけど。
わたしが周囲と決定的に違うと思い知らされたのは、冒頭で言ったように小学三年生である。
当時、人の心が聞こえ、それ故人の望みを優先してしまうわたしは、うまく周囲と馴れ合うことができなかった。
要するに、友達がいなかった。
保育園から仲の良かった友達は、皆別の小学校に進学してしまい、引っ込み思案だったわたしには少し孤立していた。
無視や避けられているというわけではなく、気遣い屋の性分を働かせていたら、自然とそうなってしまっていたのだ。
誰かが遊びたそうにしてれば、ブランコを譲り、シーソーを譲り、鉄棒をジャングルジムをボールを縄跳びをのぼり棒を滑り台を手遊びを指人形を順番を機会を一緒にいた子を先生を。
どんどん譲っていって、最後に残ったのはわたし一人だった。
わたしはきっと寂しかった…のだと思う。
なぜ疑問系なのかといえば、聞こえるからだ。
ブランコやりたいなでもいっぱいだなあの子がやってるの楽しそうだなうー二重跳びできないなあ難しいなあやったあさっちゃんが積み木ゆずってくれた!ありがとうさっちゃん!これきらいだなーにがいのやだなーせんせーだいすき!
そんな声たちに埋もれて、いつしかわたしの声がわからなくなった。
そんな時に声をかけてくれたのが、あゆむくんだった。
彼はクラスのムードメーカーな存在で、クラスの中心的な存在だった。
彼は、わたしを好いてくれていたようで、一人でいるわたしに、よく話しかけてくれた。
そうしてくれたことで、わたしは一応仲間はずれということにはならなかったのだ。
わたしは彼が好きだったので、彼がやりたいこと、したいこと、ほしいことに応えていった。
そうすれば彼も照れたように笑ってくれたので、わたしも笑った。
でも、塵も積もれば山となる。小さな疑問は、それが積み重なるたびに確信に変わっていった。
"もしかして、こいつはおれの心を読んでいるんじゃないか"
確信すれば、あとは速かった。
彼はわたしから離れるようになり、自然と疎遠になっていった。
"きもちわるい"
その声が、追いかけようとするわたしの足を止めた。
人の気持ちがわかるのは普通じゃなくて。
覗かれるのは、嫌悪するほど嫌で。
身近にそんなものがいるなんて、気持ち悪くてたまらない。
つまりはそういうことだった。
わたしが抱いていた疑問は、解決した。だけど、解決したからってわたしのこの"気持ち悪いの"が治るわけでもなくて、わたしは人と一歩離れて接さざるを得なくなった。
次第に覚えていったのは、放置する、気づかないふりをする、といった行為。
見えない聞かない知らない。
ふつうの人は、そこまでわからないのだからわたしがわかっていては可笑しいのだ。
そしてそれが周囲と打ち解けるには一番良い方法だった。
――そんなわたしも今年で高校生になる。
かねてより好きだったものをもっと知るために。
あとは、同じ小学校だった子が通わないような所、という不純な動機も兼ねて。
わたしは今日、星月学園へ入学する。
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