おとなりのおにいさん 1

 桜咲いての四月を迎えた安形は、新しい生活を始める住居に辿り着くと、そっとため息を漏らした。
――念願の一人暮らしのはずだったの、何でこうなった・・・
 安形の目の前にあるのは、何処からどう見ても古い平屋の一戸建て。少なくともこれから新生活をスタートする大学生には余り相応しいとは言い難い代物だった。
――何年人が住んでなかったっけ? 三・・・四年だったか。
 家から通える範囲の大学に受かったにも関わらず一人暮らしをしたいと言い出した安形の我が儘に、渋々了承の返事をした両親だったが、一つ条件を出してきた。ずっと空き家になっている祖父母の家に住む事。光熱費さえ負担すれば家賃は要らないと言われ、二つ返事で了解したものの目の前の家はと言えば、
――予想以上に・・・ボロい!
 思っていたより荒れている、はっきり言えば廃屋に近い家屋。家は人が住まなければ荒れると言うが、その言葉が今、安形の肩に現実と言う名を持って重く圧し掛かっていた。
「まぁ、住めば都って言うしな」
 それでも念願の一人暮らしには変わりなく、家賃ゼロと言う大きなメリットを考えれば猶更、多少の事には目を瞑るしかない。そう考えて安形は生垣の隙間に在る小さな木の門扉に手を掛けた。
「え・・・!」
 瞬間、勢い良く蝶番が外れ、それは派手な音を立てて向こう側へと倒れ込む。立ち上がる土煙の中、明らかに修復不能になった元門扉の姿を、安形は笑みが凍り付いた顔で眺めた。
「・・・・・・門は無くても問題は無いよ、な?」
 修繕は後日にしよう、と門扉を端へと避けて、安形は改めて庭を見回した。庭付きと言えば聞こえが良いが、実際は膝丈の雑草が生い茂り、元畑らしき一角は野生化した作物が動物に食い荒らされた形跡があった。
「オレ、都内から出てないはずなんだけど・・・」
 これを全部自分が片付けるのか、とぐったりとした面持ちで眺めながら、安形は再度のため息を漏らす。
「まともなのは生垣ぐれぇか?」
 唯一、手入れが成されている生垣を辿りながら、安形はそう呟いた。植物の名前など疎い安形には、それの持つ名など分かりはしない。微かに残る昔の記憶から、確か赤い花を付けていた事を思い出した。
「山茶花は・・・白かったっけ?」
 何とは無しに童謡の一節を思い浮かべる。花が咲くなら実も成るはずと屈み込んだ安形の目の前で、ガサガサと生垣が揺れた。安形が不思議そうにそれを凝視していると、続いてそこから三、四歳程の子供の顔が現れる。子供は安形の顔を認めると、驚きに目を見開いて硬直してしまった。驚いたのは安形も同様で、思考回路が一瞬プツリと断線する。
――そうか、これって子供が成る木か・・・
「って、な訳無ぇよ!!」
 のんびりと間違った方向に動き出した思考回路に、安形は自ら突っ込んで怒鳴った。その声に生垣から生えていた子供が、びくりと震える。次の瞬間、子供の身体が揺らぎ、バランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。
「危ねっ!」
 慌てて安形は手を差し伸べる。が、今一歩及ばず子供は見事に顔面から地面へと、転げ落ちてしまった。
「大丈夫かっ?!」
 草に埋もれたまま動かない子供に声を掛け、安形は急いでその身体を両脇から抱き上げる。抱き起こした顔は落ちる寸前と変わらず驚きに強張っていたが、心配そうに何度も安形が声を掛けているうちに崩れていき、最後には大きく声を上げて泣き出した。
「あー、びっくりしたなー。驚かせて、ごめんごめん」
 子供が声を上げて泣けるなら大事無いと知っている安形は、一先ずは安心して子供をあやす。よっ、と掛け声を掛けると、安形は立ち上がりながら自分の頭上へと子供の身体を持ち上げた。また驚いて目を見張る表情が、逆光に照らされて安形の目に映る。大きな琥珀色の瞳が、零れ落ちそうに見えた。
「睫毛長ぇな・・・坊やかお嬢ちゃんか、どっちだ?」
 服装からすれば男の子だろうと見当を付けながらも、幼い顔立ち故に測り兼ねて安形は思わずそう漏らす。子供は突然に変わった景色に涙も止まり、微かに笑った。
「ボク・・・」
 微かに響いた高い声に、そっか、と安形は応える。なら、と続けながら、ふわりと小さな身体を回転させて自分の肩へと回した。両脚を片側の肩に乗せると、小さな手が安形の頭にしがみ付く。
「こう言うのは、好きか?」
「・・・・・・すき。すごい、たかい」
 口数は元々少ないのか、ぽつりぽつりと言葉が漏れた。それでも高さに感動しているらしく、さっきまで泣いていたのが嘘のように笑っている。
「そっか。お父さんかお母さんは?」
「おかあさん、あっち。あ、おとうさんも」
 白く幼い腕が伸びて、隣の家を指差した。丁度、庭に続く縁側の付いた窓から、夫婦らしき二人が駆け出してくる。
「佐介!」
 母親が心配そうな顔で駆け寄ってきた事で、安形は肩に乗っていた子供――佐介の身体をそこから降ろした。生垣を超えて向こう側へと軽いけれど確かな重みを差し出すと、母親がそれを奪うように抱き締める。
「どうしたの?! 何があったの!」
「あの、今度隣に越してくる安形と言いますが、生垣からこっちの庭覗いてて、そのまま落っこちちゃって・・・」
 これは不味い。不審者に思われるかも、と安形は急いで自己紹介をした。それでも母親は、微妙に疑わしい視線を向ける。だが、笑顔を向けつつも内心冷や汗を掻く安形に、思わぬ所から助け舟が入った。
「たすけてくれたの」
 母親に抱き着きながら、佐介は拙い言葉でそう言う。
「たかいたかい、してくれて、かたぐるまも。すごく、たかいの」
 そう言いながら佐介がくすくすと笑った事で、漸く母親も安堵の息を漏らした。
「そうだったの・・・済みません。ありがとうございます」
 母親は安形に向けた自分の視線を思い出したのか、顔を赤くしながら安形に頭を下げる。
「いえ、こちらこそ済みません。その、結局は落ちて顔打ったんで、病院で一応見て貰った方がいいかも・・・ちゃんと受け止められなくて、本当、申し訳無いです」
「元々は勝手にこの子が庭を覗いてた所為ですし。ご忠告通り、脳波を診てみます」
 安形と頭を下げ合っていた母親の後ろから、遅れてやってきた父親が言葉を挟んだ。安形に改めて謝罪を述べながら、佐介の頭を軽く撫でている。
「ああ、ご自宅が病院なんですね」
 父親の言い回しに引っ掛かりを覚えた安形だが、住居部分とは別に建っている建物を見て納得した。
「お父さんがお医者さんなら、安心だな」
「そうなの。おとうさん、すごいおいしゃさんなの」
 父親を褒める安形の言葉に、佐介は擽ったそうに笑いながらも、誇らしげにそう言う。嬉しそうに微笑む佐介の顔に、夫婦も嬉しそうに笑っていた。
「息子がご迷惑をお掛けしまして。隣に住む、椿と申します。安形さんと言うと、以前に住まれていたご夫婦のご親戚でしょうか?」
 ええ孫です、と答えながら安形は改めて自己紹介をし始める。以前の隣人の孫と聞いて距離が近付いた事も有り、話はどんどんと弾んでいった。
「そうそう。お祖父さんは将棋が強くて」
「あー、オレも殆ど勝てないです」
「安形くんも指せるのか。よければ今度、相手をして貰えないかな? お祖父さんが居なくなってから、中々指す機会が無くて」
 他愛も無い会話を続けているうちに、母親の腕の中で佐介の頭がこくりこくりと揺れ始める。それに気が付いた安形が、それとなく視線で父親にそれを知らせた。そうなれば、この辺で、との言葉が出るのにそう時間は掛からない。
「また改めて、ご挨拶に伺います」
「また、くる?」
 挨拶をした安形に、佐介が眠い目を擦りながらも訪ねてきた。
「また来るよ」
 安形が言った瞬間、佐介の顔にパッと花が開いたような笑顔が浮かぶ。重くて仕方が無い瞼を必死に持ち上げながら、佐介は嬉しげに頬を染めて、ぜったいだよ、と繰り返し言った。微笑みながら軽く安形に頭を下げて、夫婦は背中を向けると家へと帰っていく。
――こう言うの、理想の家族って言うのかな?
 安形は三人の姿を微笑ましく思いながら、後姿を眺めていた。一つ大きく伸びをして、安形も隣家へと背を向ける。目の前に広がるのは、荒れ果てた庭と家だったが、意気消沈していた気分は、すっかり真逆のそれへと変わっていた。
「さぁて、オレもする事すっか」
 はっきりと声に出して、安形はパンッと片手のひらに拳を叩き付ける。それが、安形惣司郎と椿佐介との最初の出会いだった。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「・・・・・・さん。安形さんっ!」
 ぼんやりとしていた安形の耳に、自分の名前を呼ぶ声が飛び込んできた。
「幾ら何でも、長考し過ぎです」
「あー、悪ぃ。考え事してた」
 謝りながら安形は気不味げに微笑み、将棋盤を挟んで向かい合う佐介に目を向けた。むくれながら安形を見ている佐介の姿は、今思い出していた頃の面影を残しつつも驚くほど立派になっていた。
「しっかし、生垣から生えたガキが、もう中学生かよ・・・歳取ったなぁ、オレ」
 呟きながら、安形は改めてあの日の続きを思い出す。その後、引越の挨拶に出向いた椿家で、安形は誘われ将棋を指した。椿夫妻は随分と安形を気に入り、何よりも人見知りがちな佐介が安形に懐いていた事で、成り行きで夕飯までご馳走になり・・・度々隣家に誘われては将棋を指して夕飯をご馳走になる関係が、今日まで続いている。今ではすっかり、安形は家族の一員と化していた。
「何だかおじさんみたいですけど、安形さん」
「再来年には三十路だぞ。お前から見りゃ、十分オッサンだろ?」
 将棋盤に視線を移し、安形は言いながらも次の一手を指す。安形が順調に大学生活を終えて社会へと足を踏み出し、何度も季節を重ねるうちに、小さな子供だった佐介も気付けばすっかり大きくなっていた。今では将棋を指す相手も父親だけでなく、半分は佐介に変わっている。そして今年の桜が咲く中で、佐介は小学校を卒業し、先日めでたく中学校の入学式を迎えた。それは確かに喜ばしい事だが、安形の表情は浮かない。特に、佐介が名前を呼ぶ度に、居心地の悪そうな顔をしていた。
「なぁ・・・・・・」
「何でしょうか、安形さん」
「もう、それ止めろよ。何で『惣兄ちゃん』じゃ駄目なんだよ・・・」
 大層なため息をついて、安形は片手で顔を覆う。今まで、呼び名が変わらなかった訳ではない。惣司郎は長いらしく、最初に出会った時は何度試しても『おーじろ』にしかならなかった。仕方が無いので『お兄ちゃん』にしようとした所、『おにぃ』に落ち着いてしまい、その時はまぁ良いだろうと思っていた。が、安形の家の庭で遊んでいた佐介が転び、慌てて駆け付けた安形に佐介が『おに』と叫びながら泣き喚いた所為で警察を呼ばれ、緊急椿家家族会議。安形に幼児虐待の汚名を着せる訳にはいかないと、椿家にて『さしすせそ』の特訓が行われ、何とか『そぉにぃ』になり、拙い言葉遣いが落ち着く頃には『惣兄ちゃん』と呼ばれるようになっていた。つい最近までは。
「もう中学生になったんです。ちゃんとした呼び方でないと・・・・・安形さんは、あ、兄ではありませんから」
 最後の方が小声になった事に少し引っ掛かりを覚えながらも、安形はこれ見よがしに再度ため息をつく。
「だからって、いきなり苗字とか他人行儀過ぎるだろ。しかも敬語とかってよ。ちゃんとってなら、『惣司郎』で良いだろ」
 もう一度ため息を漏らしながら、安形は一つ駒を進める。その一手を見て、佐介はうっと声を詰まらせた。どう防御するのか唸りながら、それでも安形の言葉にも応える。
「・・・・・・目上の人を下の名前で呼び捨てになんて出来ません」
 ぼそりと声を漏らす佐介の頬は、少し染まっていた。それには気付かず、安形は少し低めの声で、淋しそうに小声で言う。
「目上の人、ねぇ。結局、佐介にとっちゃ、オレは他人って事だな」
「そんな・・・っ!」
 将棋盤ばかりを見詰めていた佐介が慌てて顔を上げれば、その様子を見た安形がにっと意地悪げに笑う。
「なら、『惣司郎』でいいだろ。百歩譲って『惣司郎さん』」
 自分が嵌められた事に気付き、佐介の顔が真っ赤に染まった。呼び名を改めるか、他人である事を肯定するかの選択に、佐介は悔しそうに下唇を噛んでまた俯く。答える代わりに盤上を睨み付けていたが、そこに指せる一手はもう無かった。安形の言葉にも、盤上にも、選択出来る道が無く、正座をして将棋盤を見詰めたままの佐介の瞳がみるみるうちに涙に濡れ始める。
「ちょっ・・・そんなに嫌なのか?!」
 流石に泣くとは思っていなかった安形が、今度は逆に慌てふためいた。確かに意地の悪い言い方だったが、泣くまで追い詰めるつもりも無く。故に、
「分かった・・・敬語も『安形さん』呼びも、そのままでいいから」
 安形が折れるしかなくなった。それでもすぐ佐介の涙は止まず、気不味げに安形は佐介の頭に手をやる。俯いたままで涙を堪える佐介の頭を乱暴に撫でながら、安形は何度も慰めの言葉を吐いた。
――あーあ、こいつ泣くと、勝てねぇんだよな・・・
 幾つ季節が巡って呼び名や姿が変わっても、きっとこれだけは変わらない。そんな事を思いながら、安形は小さな啜り泣きが止むまで佐介の頭を撫で続けた。

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2012/06/05 UP
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