名残 1

 遥か遠くに聞こえる声に、意識が揺り動かされる。薄らと開けた瞼の隙間から覗いた影に、椿はまた呼び掛けられた。
「・・・・き、椿」
「あがたさん・・・あ・・ボク、寝て・・・」
 目を擦りながら上半身を起こそうと身動ぎした椿の肩から、袷の緩んだ着物が滑り落ちる。情事の跡を残す肌を目にし、安形の手が頬に伸びた。
「・・んっ・・・・」
 覆い被さるように寄せられたら唇に、椿は再び目を閉じる。まだ覚め切らない夢現の中で、素直に受け入れた舌に甘えるように自分のそれを絡ませた。触れていた安形の手が頬から首へ、そして腕を滑り落ちる。更に肌を露にしながら、安形が口付けを終えて代わりに首筋に唇で触れると、その刺激に椿の目に光が戻った。
「・・・っ! あっ安形さんっ」
 有無を言わさず袷の下に入り込んできた左手を、椿は慌てて掴む。尚も這う首筋の感覚に身震いしながらも、もう片方の手で強く襟の後ろを引いて拒絶を示した。笑んだ唇から舌を覗かせたまま、安形の顔が椿の首筋から浮く。
「・・・んだよ、さっさと挿れてくれって催促か?」
 忍び笑いと共に耳元で囁かれた言葉に、椿の顔が瞬時に染まる。反論しようと開かれた唇は、けれどもそのまま外耳を嘗め上げた舌に、甘い声を漏らした。
「・・っ・・・んっ・・いっ・・・・」
 逃れて顔が逸れれば、今度は耳の後ろを熱が這う。小さく身体を震わせた後、椿は涙を滲ませたまま、歯を食い縛って安形に視線を投げ付けた。
「・・・い加減に、」
 安形の襟を掴む手に、力が籠もる。
「して下さいっ!」
「ぅわあっ!!」
 そのまま椿は腕一本で安形を引き剥がし、畳へと叩き付けた。背中を強かに打ち、安形は呻き声を上げる。頬を染めたまま気不味げに唇を結んで、椿は身体を起こした。
「全く・・・人が気を失う位しておいて、まだ足りないんですか・・・・・」
 安形に背を向けて着物を正しながら、ぼそぼそと安形に不平を漏らす。
「まぁ、お前ぇに関しては、足りた覚えは無ぇな」
 あっさりと告げられた言葉に、椿はまた頬を染めて俯いた。袴の紐を締めながら、安形に問う。
「・・・ボク、どれ位眠ってましたか」
「ん、大しては・・・一刻位ぇか?」
 安形の言葉に椿の手がピタリと止まった。バッと顔を上げて障子に視線を向ければ、日は既に傾いている。
「どうして起こしてくれなかったんですか」
 怒りに震えながら椿が静かに問えば、安形は側に有った煙管を手に、のんびりと応えを返した。
「いやぁ、こっちも疲れてたし・・・お前ぇの寝姿見てるうちに、寝ちまって」
 そのまま煙草を吸い始めた安形を、椿は眉を寄せてねめつける。
「誰か入ってきたら・・・」
「オレとお前ぇが一つの部屋に居る時に入ってくる馬鹿は居ねぇよ。さっきもわざわざドタバタ足音響かせて来た位ぇだし」
「・・・・・・さっき?」
 何気無く告げられた一節に疑問を覚え、椿はそれを繰り返した。そう、と安形は更に言う。
「今日、皆で花火見るってぇ話だったろ。そろそろ行かねぇとって呼びに来た」
 安形はのほほんと言ったが、椿は俄かに慌て始める。乱れた髪もそのままに、身支度もそこそこで腰を上げ掛ける。
「待て。お前ぇ、それで行くつもりか?」
 流石に見兼ねて、安形は言葉で椿を制した。
「・・・皆を待たせてるんですよ?」
 頬を膨らませながらも、椿は安形に従ってその場に正座する。申し訳程度に髪に止まっていた紐を椿が外すと、煙草を始末した安形が煙管を袂に仕舞いながら、椿の後ろへと動いた。
「なぁに、花火は逃げやしねぇ。歩きながらでも、見れらぁ」
 笑いながら安形は袂から取り出した櫛で椿の髪を梳く。安形に髪を委ねたまま、そう言う問題じゃありません、と椿は言うが、安形は意に介さず椿の髪を纏める。口に櫛を銜えて肩越しに指を伸ばせば、椿は不承不承その指に紐を手渡した。
「出来たぞ」
 安形が指先でくるりと髪先を絡めれば、癖の有る髪が名残惜しげにゆるりと落ちる。
「・・・・・・・」
 それを無言で眺めていた安形に椿が、ありがとうございます、と声を掛けた。無言が続く事を不思議に思い、椿は安形を振り返る。見上げてきた椿の顎にその指を掛ければ、驚くように椿が目を閉じた。
「・・・・んっ・・」
 唐突に重ねられた唇に逃げ掛けた身体を、押さえて舌を差し込む。触れた舌の裏側を突き、甘く鳴かせながら、安形は椿の太腿へと手を伸ばした。内側へと袴越しに撫でながら動かして、不意に手と唇を離す。
「悪ぃ悪ぃ。人、待たせてんだったな・・・・・・お前ぇもあんま誘うな」
「! 誰が・・・っ!」
 怒鳴って拳を振り上げた椿から離れ、安形は立ち上がる。先までの戯れが嘘のように、安形はさっさと障子へと歩み寄った。椿はふてくされたまま拳を下ろし、安形に続いて自分も立ち上がろうとする。
「!!」
 片膝を立てた瞬間、椿は小さく身体を震わせ、動きを止めた。障子を開けてもまだ立ち上がらない椿に、怪訝そうに安形が視線を向ける。
「どうした?」
「あ・・・いえ、何でもありません。すぐに行くので、先に行ってて貰えますか?」
 そのままの格好で俯いた椿に、分かった、とだけ言い残し、安形は障子の向こうへと消えた。去り際、微かに唇の端を持ち上げて。俯いたままの椿はそれには気付かず、袴の脇から手を差し込んで再び中を整えていた。

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 流石に夏の風物詩なだけあり、河原に近付くにつれて人が多くなっていく。
「向こう側に渡っても、あんまり変わりそうにねぇな」
 橋手前まで来た所で、安形は川向こうを眺めながら言った。直後、腹に響く低音と共に景色が一瞬明るくなる。空に飛んだ火花と、その音を掻き消す歓声に、安形は軽く苦笑した。
「この辺りでいいか?」
 安形はその言葉に異論が起きる事も無く、所か皆既に空を見上げて騒ぎ出している。また一つ苦笑を漏らした安形の視界の端で、ただ一人、椿だけが微かに俯いて何処か安堵した表情で高欄に寄り掛かっている。暗闇では分かり兼ねる微かな笑みを浮かべ、安形はスッと椿の後ろへと歩み寄った。
「中々のもんだな」
 安形は椿の背後から右側に、身体を傾けて高欄に手を着く。
「えっ・・・あ、はい・・・・・」
 不意に頭上から降った声に半ば驚き、それでも半ば呆けたように返事をして、椿は安形から距離を取るように左へと僅かに動いた。それを留めるように、安形の左腕が椿の身体に触れる。そのまま安形は高欄に左の手も着き、後ろから覆うように椿を捕まえた。
「椿、」
 安形は顔を寄せて、椿の耳元で囁く。びくん、と椿の身体が跳ねた。
「折角だ。花火、ちゃんと見ろよ」
 はい、と響いた声は僅かに震えている。促されて上を向いた椿の肩口に、安形は頭を預けた。首筋に触れた髪に一瞬、目を見開いて椿はぐっと歯を食い縛る。
「あ・・・安形さんも、花火・・・・・」
「ああ」
 返事をして、安形は顔を上げる。そのまま椿の身体に自分のそれを押し当てて、両手を上から高欄に押さえ付けた。身体を押され、激しく身を震わせて椿は仰け反る。空を見上げたまま手を小さく震わせているのが、重ねた手を通して安形に伝わる。
「あ、がたさ・・・・」
「ん、どうした?」
 わざと惚けて、安形は空から視線を移し、椿の顔を覗き込んだ。
「・・・離れ・・・・近い、で・・・・・」
 一瞬咲いた頭上の花に照らされたのは、瞳に薄らと涙を浮かべ、微かに肌を上気させている姿。掠れがちになる声も相俟って、安形を誘う。
「人が・・見て・・・」
「皆、花火に見入ってんだ。誰も見てねぇよ」
 そう言いながら、安形の唇が椿の耳に寄せられた。耳に口付けるように触れ、そのまま言葉を発する。
「嫌なら振り解いて逃げろ」
 耳に直接響いた音の震えと息の熱とに、椿は身を縮めて小さく声を上げた。刺激に閉じた瞳の端に、涙の粒が溜まる。そのままの姿勢で動けずに震える腕の中の身体を眺めつつ、安形は右の手だけを動かした。手を解いて、そっと下へ。袴の脇から中へと手を滑り込ませる。
「・・・・・・っ!」
 襦袢の下の素脚に触れれば、肌が強張った。汗ばんでいるのは、何も暑気だけの所為でない。太腿の外側に手を這わせて膝まで滑らせれば、椿の唇から細かな息が漏れた。
「あがたさ・・・はな、しっ・・・・・」
 椿は安形の袖口を掴み、その手を引き剥がそうとするが、不意に内側へと位置を変えた手に力が入らなくなる。時折肌を揉みながら這い上がる手の袖口に触れたまま、逃げる事も叶わず椿は必死に声を押し殺していた。這い続ける手が脚の付け根へと辿り着き、下帯に触れた瞬間、指が止まって安形の忍び笑いが響く。
「・・・あん時、来るの遅ぇと思ったら、緩めてたのかよ」
「!!」
 安形の言葉に椿の顔に朱が走る。垣間見える光に照らされる表情を見ながら、安形は追い詰めるように、また囁いた。
「何で?」
 答えられずに目をきつく閉じた椿の耳に、安形の舌が触れる。跳ねた身体を更に高欄に押さえ付け、安形は手に触れていた前垂れを強く引いた。
「ひぁっ、ぁっ・・・」
 引き締められた布に擦れた後ろに、耐え切れず漏らされた声は花火の音に掻き消される。掴まれたままの左手が躍るように動いたのを、安形は指を絡めて縫い止めた。涙が零れる寸前の琥珀を虚空に向け、椿は食い縛った歯の隙間から荒い息を何度も吐く。安形が更に強く布を引けば、呻きに似た喘ぎを漏らしながら椿は身体を震わせた。
「あんま騒ぐな・・・気付かれるぞ」
 その言葉に椿は俯き、改めて声を殺す。それでも安形の手が布を締め上げる度に、数刻前の情事で敏感になったままの部分を擦られ、音を含んだ息を吐いた。
「・・や、めっ・・・・・」
 それでも息の隙間から告げる言葉は、未だに制止のものである事に少しばかり苛立ちを覚えながら、安形は椿の項に唇を落とした。布を手放して、腰骨を撫でながら後ろへと手のひらを動かす。音を立てずに首を吸いながら、安形は双丘の片側を掴んだ。強張りが強まる肉を解すように揉んで、首筋に歯を立てて。何度も責めてみるが、椿は否定の言葉を繰り返し、小さく首を振って涙ぐむだけだった。
「・・・・・・・・中々、強情だな、お前ぇは」
 舌打ちを含む言葉と共に、安形の手が袴の中から抜き出される。安形の与える快楽と羞恥とに振り廻されていた椿は、言葉の意味を半分しか捉え切れず、止んだ快楽に安堵して力を抜いた。けれど、足元から袴の裾が持ち上げられる感覚を感じ、間違いに気付く。
「! あ・・・・」
「言ったろ。嫌なら逃げろって」
 安形は捲った袴の裾を椿の腰板へと挟み込み、首筋を嘗め上げて言った。
「逃げねぇなら、覚悟しろ」
 そう言って自分の袴もたくし上げ、安形はまた低く笑う。逃げる事を許した獲物は、結局、牙の前に動けずに立ち竦んだ。

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2011/02/14 UP
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