一歩、部屋に踏み込んだ希里はその臭いに顔を顰めた。
――酒臭ぇ・・・
 床には徳利と一緒に部屋の主が転がっている。杯が無い辺り、言葉通り浴びる様にでもして、直接呑んだのだろう。四肢を投げ出して着の身着のままで眠っている安形を見て、希里の中で言い様も無い怒りが沸いた。
「起きろよ」
 それでも怒りを抑え、足で安形の肩を蹴る。抑え切れなかったのか、やや力が入ったが。その衝撃に、安形が軽く呻いて目を開けた。ゆっくりと自分に視線を向けた安形の目は酷く虚ろで、怒りに他の何かが加わって希里は軽く歯を食い縛る。
「・・・・・・んだよ」
「ウルセェよ。届けモンだ」
 屈み込んで懐から手紙を取り出せば、安形も億劫そうに上半身を起こしてそれを受け取る。見られる事も無く机に放られた手紙に、希里の目が軽く曇った。こんな場面を見るのは、もう何度目になるのか。幾度も足を運び、椿からの手紙を届け、けれど目前で安形がその封を解く事は無い。いつも帰りすがら、その手紙が読まれたのか、心の奥を鉤爪で掻かれる。
「もう・・・いい加減にしろよ」
 これはきっと怒りの言葉なんだ、と思いながらも怒鳴れないのは何故なのか。口の中に溜まる苦い唾液を飲み込んで、希里はじっと安形を見た。
「会いたいんなら、会えばいい。いつだって・・・アンタは欲望に忠実だっただろ?」
 ままならない想いに、希里は思わず安形の着物の合わせを掴み、そのまま立ち上がる。引き摺られる形で、安形も立ち上がった。
「自尊心かよ? それとも罪悪感かよっ・・・もう、オレ・・・あの人のあんな顔、見たくねーんだ・・・・・・」
――アンタの、そんな目も・・・
 言えなかった一言に、喉の奥が酷く苦く感じる。拳でも飛ばして張り倒せれば、胸の奥の支えも取れそうなものなのに、今迄の彼からは遠く離れて弱々しく見える様に、顔を背けるしか出来なかった。
「・・・・・・いがする」
「え・・・? なに・・・・・・」
 逸らした顔の真横から、不意に声が響く。余りに小さい囁きを聞き取れず、希里は反射的に聞き返してしまった。
「椿と同じ、匂いがする」
「!!」
 再度の囁きと、抱き締められたのは同時で。驚きが込み上げた時には、既に希里の身体は安形の両腕の中に納まっていた。
「お、同じ屋根の下に居んだっ・・・同じ、匂いし・・・・・・」
 自分の肩口に埋められた顔と小刻みに震える身体に、言葉が半ばで止まる。押し退けようとした腕にも力が入らなくなり、希里はただ、同じ様にその肩に顔を押し付けた。ああ、と、想う。
――これは・・・こんなのは、唯の同情だ。
 なのに、沸き立つこの想いは何なのだろうか。酷く苦い癖に、嫌に甘い、想い。同情に掏り替えるには、重過ぎる程の。
 安形の腕と自分の想いとに絡め取られていた希里の耳に、突然甘い痛みが走った。続け様に這う舌に、甘噛みされた事に気付く。
「やっ・・・」
 耳に触れる湿った熱に、希里は身体を強張らせて声を上げた。それにハッと気付いたのか、安形の身体が離れる。一瞬感じた名残惜しさを、頭を振って否定した希里に、確かな距離を置いて安形の声が振ってきた。
「オレが妙な真似する前に、帰れ」
 自分から距離を取った安形の顔が、酷く辛そうに見える。その辛さが解るだけの時間を、希里は見てきていた。怒りにも同情にも似ていて、けれども全く別の何か。それに突き動かされて、希里は両手のひらで安形の目を覆った。
――見たくねーなら、塞いじまえっ・・・
「あの人と、同じ匂いがすんだろ?」
 驚いているのか、安形の手が緩く希里の手首を掴む。その程度の力で外されるものかと、希里はぐっと手に力を入れた。
――これ以上、見たくねーから、こうするだけだ・・・
「だったら、アンタはその匂いだけ、嗅いでろよ」
――痛くなんかねぇ・・・辛くなんか、ねぇ・・・オレが、こうしたい、だけだ。
 隠していたはずの苦味が、舌先まで込み上げる。飲み込んで、顔を寄せた。
――だから、絶対に、
 歯をきつく噛み締めて、同様に目もきつく。
――泣いたりなんか、してやらねぇ・・・
 噛み付く様に合わせた唇から、苦味が伝わらなければいいと、そう考えながら。




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