雪月花【前】

 ゆっくりと音も無く降る雪を、二人で見ていた。正確には雪の降る景色をぼんやりと椿が窓から眺め、そんな椿に安形の視線が注がれている。少しだけ難しい顔をした椿に、苦笑気味の安形が近付いた。
「まぁ、そんな落ち込むなよ」
「! ・・・落ち込んでなんて、いませんよ」
 怒りの表情を浮かべ、自分の長い髪を指先でくるくると弄んでいた安形に、椿は噛み付く。表情こそ勢いがあるものの、声にいつもの張りは無かった。ここ暫く、椿はことごとく下手人を取り逃がしており、今日もまた寸での所で逃げられている。そのまま呆然の態で帰り掛けた所を、安形が無理に自分の屋敷まで連れてきたのだ。
「今はそんな時期なだけだろ。その内、風向きも変わるって」
「そんな呑気な・・・っ!」
 言い掛けた椿の言葉が止まる。叫ぼうと少し開いた唇に、安形のそれが重なったからだ。驚いて閉じられた瞳の上、眉が困った様に眉が歪み、んっ、と小さく声が上がる。安形は目を開いたまま、間近からそれを眺め、満足げに顔を離した。
「雪、眺めさせる為に呼んだんじゃねぇんだぞ」
「それなら・・・」
 軽く頬を染め、安形から視線を逸らし、拳で唇を拭いながらも椿は安形に向かって言う。
「・・・おかしいとは思いませんか?」
「へ?」
「ここ暫く、余りにも逃げられる事が・・・特に下手人の居所を探り当てて、乗り込む時など」
「えーと、だな」
「ボクは内通者が居るのではないかと・・・」
――いや、オレは別に真面目に仕事の話をする為に呼んだ訳でもねぇんだぞ?
 そのままつらつらと仕事の話を続けていく椿に、安形の手が行き場を無くした様にがっくりと床へと突かれた。
――情緒とか、欠片も無ぇんだろうよ。
 ここまで来たら、一通りは付き合わなければ椿の気が済まないだろうと、安形はため息交じりに考える。観念して大人しく、椿の言葉に耳を傾けた。
「・・・なので、うちの者を使って少し探りを入れてみようかと思ってるんです」
「あー、いいんじゃねぇの・・・って、うちの者?」
 適当に聞き流していた言葉の中に耳慣れない単語を見つけ、安形はそれを口にする。ええ、と椿はそれに答えた。
「ボク付の忍の者が居るので、ちょっとお願いしてみようかと」
「忍? おい、初耳だぞ?」
「・・・・・・みんな、居るものじゃないんですか?」
 不思議そうに首を傾げている椿に、安形は半笑いで固まる。そう言えばこいつはいい家の出だっけか、と思い至った。
「多分それは、お前ぇぐれぇのもんだ」
「そ、そうだったんですか!」
 心底驚いている椿を見つつ、安形は困った顔で苦笑する。
「まぁ、仕事の話はそん位ぇで」
 驚いた表情を張り付けたままの椿の頬に、安形の指先が触れた。擽ったそうに片目を閉じた椿に、改めて口付ける。
――忍、ねぇ・・・厄介な事になりそうだな。
 そのまま瞳を閉じて自分を受け入れる椿に、続いて己の瞼も降ろしながら、安形は心の中でひっそりと嘆息した。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 見回りと称して茶屋の軒先に腰を据え、安形はのんびりと饅頭を食べていた。忙しげに走る町人や、やはりのんびりと会話をしながら歩いている町娘を見て、満足そうに笑みを浮かべる。
「平和っていいよなぁー」
 呟いて、一つ大きな欠伸をした瞬間、その耳に聞き慣れた怒声が響いた。
「こんな所で何を油売ってるんですか?!」
 こんな風に安形の事を怒鳴り付ける人間など、一人しか居ない。安形が視線を向ければ、案の定、椿が恐ろしい顔をしてこちらを見ていた。その数歩後ろを見て、一瞬だけ安形の目に険が走る。しかし、それを気付かせる間も無く、安形はいつも通りににっと笑った。
「油は売ってねぇよ。饅頭買ってるだけだ」
「そう言う意味ではっ・・・」
「冗談だって。ちょっと疲れてっから休憩してんだよ」
 安形の言葉に、椿が足音も荒く近付いてくる。そのまま合わせを掴むと、安形を締め上げた。
「疲れる程、仕事をして頂ければ嬉しいんですが!」
「仕事以外で疲れてんだよ・・・昨日、寝かさなかったの、誰だ?」
 ぼそっと囁いた安形に、瞬時に椿の顔が真っ赤に染まる。だが次の瞬間には、その顎に見事に膝が入っていた。
「変な事を言わないで下さいっ!」
 安形は蹴り上げられた顎を摩りながら、くくっと小さく喉の奥で笑う。この反応が楽しくて、安形はいつも、ついつい椿を揶揄っていた。
「ま、それはそうと。後ろの奴っこさんは?」
 椿より少し離れた位置に居た、見慣れない人物について問い掛ける。やけに鋭い瞳で安形を睨み付けている町人風の男。銀の髪が日に透けて、本来なら酷く目立つはずなのに、どうした事か誰の視線も集めていない。
――人間の死角っての、嫌に把握してんなぁ、こいつ。
 人の視線は全てを見ている様で、実は穴がある。そこを的確に付いている事に加え、佇んでいる様にも隙が無い辺りを見て、ああ、と安形は思った。
「昨日言ってた奴か」
「あっ・・・はい。キリと言います」
 安形が即座に言い当てた事に驚きながらも、椿は律儀に希里を紹介する。希里は軽く頭を下げたものの、睨み付ける眼差しは少しも安形から離そうとはしなかった。
「その・・・姿は現さない様にさせますが、詰所に足を踏み入れるので、許可をと思いまして」
「いや、別に目立ちさえしなきゃ、許可とかいいけどよ」
 まだ痛みが残っているのか、安形は顎を軽く摩り、ちらりと銀の髪の主に目を馳せた。鋭い眼差しをやんわりと笑みで返し、手にしていた饅頭の最後の欠片を口に放り込む。
「まぁ、アレだ」
 親指の腹に残った餡を軽く嘗めて、安形は銭を置いて立ち上がった。椿の肩を軽く掴むと、耳元に唇を寄せて小声で告げる。
「あんま、オレの周りはうろちょろさせんなよ。お前ぇと二人っきりの時、何も出来ねぇか・・・がぁっ!」
 ばっちりとその頬骨に拳を叩き付けると、椿は、もう知りません!、と叫び、安形に背を向けて雑踏の中へと消えて行った。希里は軽く不快げに眉根を寄せて安形を一瞥すると、律儀に数歩の距離を置いて椿を追い掛けていく。その姿を苦笑しながら見つつ、あーあ、と安形は呟いた。空を仰ぐと、ため息を小さく漏らす。
――耳は、悪くは無いらしい。
 本当に厄介な事になりそうだ、と、それでも安形は笑みを作ったまま思った。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 それから数日後、安形は自分の予測が当たっている事を身を持って知った。
――お前はお前で、仕事してくれよ・・・
 安形は火鉢の上の餅を突きながら、首の後ろ辺りを掻く。そこに刺さる気配が、やたらと擽ったくて。多分、今は天井裏辺りにでも、あの銀の主が居るのだろうと思いつつ、心底困惑して安形はまた箸を動かす。最初こそは詰所を万遍無く見廻っていた気配が、ここ暫くはどうも自分に集中していた。
――・・・時々、殺気が混じるから、もろに分かんだよな。
 特に安形が椿に絡んでいる時に。安形もそれなりに気を使って接触は避けていたが、相手に仕事をする気がなければ、それも改めなければならない。
――このまま仕事上がってからも着いて来られっと、今日は面倒だよな。
 短く息を吐き、安形はよっと立ち上がった。さっさと離れて貰うべく、行動を開始する。まずは、と普段なら自分の側をうろついているはずの人物を探した。今日は目の届く範囲に居ない事から、ある程度の目星を付けて足を進める。
「・・・・・・ここかよ」
 詰所の奥の、過去の帳面や何やらが仕舞ってある部屋。滅多に人も来ず、虫干しも碌にされていない所為で、微妙に黴臭い匂いがした。
「あれ、どうかしたんですか?」
 帳面を開いていた椿が視線を上げ、安形に向き合う。お前こそ、と安形が逆に問えば、椿は手にしていた本を仕舞い、安形に一歩近付いた。
「過去の記録に何か手掛かりでもあれば、と思ったんですが」
 そのまま口籠った姿は、収穫らしい収穫も無かった事を物語る。気持ちと反比例する結果に、椿の表情が沈み込んだ。
「あんま、根詰めんなよ」
 苦笑気味に安形は乱暴に椿の頭を撫でる。少し癖のある髪が、控え目に安形の指に絡まった。その微かな抵抗感に指先を止め、安形はじっと椿に視線を注ぐ。
「? 何か・・・」
「お前ぇの髪、結構好きなんだよな」
 呟いた安形の手が、後ろで束ねられた長い髪へと伸びた。毛先に軽く、指が絡まる。嫌な予感を覚えて身体を引き掛けた椿の肩を押さえ、安形の表情の無い顔が近づいた。椿に見えたのはそこまでで、後は自分の瞼に塞がれた闇の中、唇で触れられる感覚だけを知る。
「・・・っ・・・・・・!」
 唇を塞がれ、言葉では抵抗が出来ない椿は、代わりに拳で訴えようとした。だが、安形の手に手首を掴まれ、それは簡単に封じられる。そのまま背中を棚へ、そして安形の肘に二の腕辺りを両脇から押さえられ、椿は完全に身動きが取れなくなった。
「っ・・・急に・・・なっ・・・」
 漸く離れた唇に、軽い目眩を覚える。今までに無い長い口付けは、椿の息を乱していた。問いに答える事も無く、安形の脚が椿のそれに割って入り、唇が喉に降る。
――あんまり、見せてやる義理も無ぇんだから、さっさと消えろよ。
 白い肌に舌を這わせながら、安形は苛立っていた。背中に感じる視線と殺意とに。
「!!」
 一瞬、安形と目が合った気がして、屋根裏に潜む希里の身体が凍り付いた。そんなはずはないと思いながらも、時折垣間見た何もかもを見透かす様な瞳が思い起こされて、背中を冷たい汗が伝う。
 何より、目の前で繰り広げられている光景に、頭が着いて行かず、指先一つ動かせないでいた。
――知らない・・・
 鈍く動く思考が、混乱を言葉にする。
――こんな主は、知らない・・・っ・・・
 力で抵抗を封じられ、無理矢理身体に触れられて、その癖、制止の言葉も艶を帯び、白い肌を上気させていく。悔しそうに唇を結んで、けれど濡れた瞳はしっかりと安形を追っていた。
 徐々に椿が陥落していく様を叩き付けられ、希里は無意識に胸元を掻き毟る。爪が鎖帷子に当たり、カシと小さな音を立てて先が欠けた。まるで、その音が聞こえたかの様に、安形の手がピクリと動く。
「・・・だっ・・・こん・・・な、と・・・・・・」
 弱々しく声を上げる椿の、唯一自由になっている脚に安形の手が絡んでいた。太腿、袴の脇から安形の手が滑り込む。
「なぁ、」
「は・・・いっ・・・」
 安形の言葉に、上手く廻らない舌で椿が答えるのが、希里の耳に響いた。
「あの銀色、名前何てっけ」
「・・・っ・・・キリ、あっああっ!」
 安形の手が希里の見えない所で動き、意味も掴めないままに答を口にした椿は、そのまま身体を仰け反らせて大きく喘ぐ。自分の名が絡んだ事で、その痴態が自分に向けられている錯覚に、希里は弾かれた様に身体を動かした。感じた事の無い羞恥と嫌悪が湧き上がる。
――兎に角っ・・・見なくて・・・聞かなくていい場所へ・・・
 唯、それだけを考えて、希里はその場を離れて行った。
――・・・遅ぇよ。
 やっと消えた気配に安堵し、安形は息を吐く。その気配と止まった手の動きに、椿の視線が不審気に揺れた。
「な・・・にか・・・・・・」
「いや・・・何でもねぇよ。悪ぃな」
 二重の意味を込めて、安形は謝罪する。告げる気は無いが、利用された事を知れば、きっと傷付くだろうから。
 米噛に軽く唇を落とし、そして安形は再び行為を再開した。

2011/09/12 UP

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