君であればいい、と。

「遅いなー」
 ぽつりと呟かれた言葉に、ん?、と榛葉は顔を上げた。所用で出ている女子二人の居ない生徒会室。席に着いているのは現在、生徒会長の安形と庶務の榛葉だけだ。その状況で『遅い』とくれば、残りは一人しか居ない。
「佐介ちゃんが遅いのはいつものでしょ。何今更?」
「いや・・・いつもなら、もう二、三十分前には来てる頃だぞ。今日はやたら、遅い」
 腕時計に視線を投げ掛けながら、安形はやけにきっぱりと言い切った。その言い様に、榛葉は呆れてあんぐりと口を開ける。
「細かっ! 何その細かさ! ちょっとスケット団で話でも弾んでるだけでしょ」
「たとえ話が弾んでいようと、佐介がオレに会いに来るのにこんな遅れる事ぁ、無ぇよ」
「うん、安形? 佐介ちゃんはお前に会いに来てるんじゃなくて、仕事しに来てるんだよ? ちょっと脳が沸騰してるね。水、被る?
 呆れを通り越して何だか怒りを覚えた榛葉が手持ちのペットボトルの蓋を捻った所で、がらりと音を立てて生徒会室のドアが開いた。
「おー、遅かっ・・・」
 そこに立っていたのは話の当事者、副会長の桐島佐介と、
「・・・何でお前も居る」
 その双子の兄の桐島佑助だった。安形があから様に不機嫌になったのを見ておろおろとしてる佐介の後ろで、佑助は憮然としながらも安形の問いに答える。
「緊急事態だからだ」
「ほぉ・・・」
 全く答になっていない返答に、安形の顔が引き攣った。
「ん、まぁ、でも部外者は立入禁止だから、帰った帰った」
「ちっ・・・分かったよ。帰るぞ、サスケ」
 聞こえる様に舌打ちをした佑助は、しょうがないとばかりに佐介の腕を掴んで背中を向ける。
「いやいやいや、佐介は置いてけよっ!」
 当たり前に二人で消えようとした佑助に、安形は慌てて立ち上がると二人の間に割って入った。素早く佐介を腕に抱える様に抱き留めると、強引に数歩歩いて佑助との距離を取る。
「置いて帰れるなら、最初から付いてこねーよっ! 返せっ、このヘンタイ!」
「変態たぁー何だ、変態たぁっ! お前ぇこそ、とっとと消えろ、ブラコン兄貴っ!」
「変態は変態だろーがっ! お前が佐介に何してっか知らねーとでも思ってんの?! こないだのキスマ・・・」

「二人ともーーーっ!!」

 話がとんでもない方向に行き掛けた瞬間、榛葉が慌ててその流れを止めた。大声を上げて二人を引き離すと、仕上げとばかりに安形の腕の中で固まったままの佐介を肩を掴んで引っ張り助け出す。
「ドア開けっ放しで何て事言い出すの?! 佐介ちゃんもどうしたの? いつもみたいにさっさと二人共殴りつけないと」
 顔を合わせば喧嘩を始める二人に、最終佐介が拳を飛ばしてそれを治めるのがいつものパターンだったが、今回に限ってやたらと佐介が大人しい。疑問を感じて榛葉が佐介に視線を遣ると、一瞬目が合った。
「あ・・・え、ええ。す、すみません・・・」
 何故かおどおどとして下を向き、佐介は小さな声で謝る。心成しか顔が赤く思えて、思わず榛葉は心配げな声を上げた。
「佐介ちゃん、具合悪い? 熱有る様なら、今日は帰った方が・・・」
「あっ、いえ! 体調は大丈夫です! ただ、」
 榛葉の言葉に慌てて再び顔を上げた佐介だが、榛葉の顔を見た瞬間、急に言葉に勢いが無くなり、また俯いてしまう。
「その・・・事情がありまして・・・今日中に終わらせないといけない書類だけ終えたら、帰らせて貰えないかと」
「それは勿論。でも本当に大丈夫?」
 佐介の様子に違和感を覚えつつも心配していた榛葉に、横から佑助の怒鳴り声が降ってきた。
「テッメ、このフワフワ頭! 気安くサスケに触んなっ。妊娠する!」
しないと思うよ?! 佑助くんも大丈夫?」
 元々過保護が過ぎる兄ではあったが、ここまで激しくも無かったはず、と榛葉はその様子の異常さに双子の片割れも心配になってしまった。しかし手負いの猪の如く真っ直ぐ進む佑助は、それには気付かず怒鳴り続ける。
「いや、絶対ぇそのフワフワ頭から※※出してるだろ、アンタ!」
「ちょっとっ! 人の頭を※※の尻尾に喩えるの止めてくれる?! オレ、そう言うキャラじゃないから!」
ユウスケっ!
 怒鳴り声と共にガンッと言う鈍い音が鳴り響いた。それは佐介が怒りに耐え兼ねて拳を机に叩き付けた音で、震える拳はスチールの机を軽くへこませている。
「静かに出来ないなら、出て行ってくれるかな?」
「ハイ・・・・・・」
 佐介の迫力に気圧され、佑助は項垂れたまま来客用のソファーに座り込んだ。静かにする方を取り、出て行く事は拒否したらしい。何故かそれを見て、安形は勝ち誇った顔をしていた。
「そうだよなー。部外者なんだから、静かにして貰わないと」
 ふふん、と笑って佐介に近付こうとした安形に、しかし佐介は辛辣な一言を浴びせ掛ける。
「会長もですから。ついでに近付かないで頂けますか?」
「え? 佐介・・・??」
 呼び掛けても顔を向けもしない佐介に、流石に安形も足を止め、そのままふらふらと後退した。佑助に続いて来客用のソファーの何故か背凭れの向こうにうずくまる。
――何かあの一角、キノコ生えそうだなぁ。
「ん、まぁ、取り敢えず。佐介ちゃんの言う書類、さっさと片しちゃおう。オレも手伝うから」
「あ、ありがとうございます。ですが、人に手伝ってもらう程の量も無いので」
 あの二人はもう放って置こうと思いながら榛葉が話し掛けると、一瞬は覇気が有った佐介だが、また俯いてしまった。何だか何処かで見た反応だな、と思っていると、ぼそぼそと佐介が自分に向かって話し掛けてくる。
「あの・・・非常に申し訳ないのですが、出来れば・・・もう少し離れて頂ければ・・・」
「え? ・・・・・・あっ」
 目線を下に向けつつ赤くなり落ち着かない佐介からの台詞に、榛葉は何かに思い至って小さく叫んだ。ちらっとソファーの上で運動座りになって自分の膝を抱く佑助を見て、なるほど、と思う。
「チュウさん?」
「うぅ・・・そ、そうです・・・・・・」
 何で分かったんですか、と続けた佐介に、榛葉はこの道のエキスパートだからね、とだけ答えた。
「じゃ、安形にバレない内に片付けた方がいいから、やっぱり手伝うよ」
 スッと手を伸ばしてきた榛葉に、佐介は困っているのか照れているのか、微妙な表情に顔を歪める。観念して幾つかの書面を手渡すと、視線を合わせずにため息交じりに言った。
「今なら何で榛葉さんがモテるのか、分かってしまいます・・・」
「ははっ。光栄だけど、複雑だなぁ」
 笑いながら佐介の手から書面を受け取り、自分の席に着く。カチリとボールペンの頭をノックして、書面に目を通していると、異様な視線を斜め後ろから感じた。
「二人共、ウザったい。更に安形、怖いから」
 微かに視線を向けると、二人して榛葉を睨んでいる。安形はソファーの向こうから目だけ出しているものだから、何だか何処かのホラー映画の一場面の様だった。
「何でぇ、一人だけ佐介と仲良く話しやがって」
「そーだそーだ。イケメンだからって調子乗って」
「『光栄だけど』って、フツー出て来ねぇぞ。普段から自分がイケてるって思ってんだ」
「バーカバーカ、滅びろ、フワフワ」
「前から思ってたけど、君らこう言う時だけ仲良いよねっ!」
 雑音は無視して、とは思っていたが、二人の見事な連携プレーに思わず振り返ってしまう。更に言葉を続けようかとも思ったが、自分以上に切れ掛けている人物の気配に榛葉は落ち着きを取り戻した。
「・・・・・・そろそろ佐介ちゃんがヤバいから、二人共自重してね」
「「ハイ・・・」」
 二人して仲良く返事を重ねると、そのまま再度キノコ製作所へと戻る。じとじと、じめじめの空気を感じつつも、佐介の為と榛葉は無視して手を動かした。
――あー、もう。また見てるよ・・・
 またしても視線を感じ、榛葉は小さく嘆息する。だが暫くして、その視線が自分を通り越している事に気付いた。
――あれ? これ、安形、佐介ちゃん見てんじゃ・・・
 手を動かしながらも一瞬だけ安形を見ると、眉間に皺を寄せて佐介を見ている。見る、と言うよりも、それは観察に近かった。
――ありゃー・・・気付いたかも、これ。
 最後の一枚の最終行を書き込み、榛葉は苦笑いに近い顔になる。ご愁傷様、と思いながら立ち上がると、佐介に近付いた。
「はい、出来たよ」
「ありがとうございます。こちらも終わりました」
 佐介はほっと息をつくと、手にしていた書類の束を安形の席に置き、相変わらず顔を見ないままに安形に声を掛ける。
「あの、会長。この分だけ今日じゅ・・・ひぁっ!!」
 背中を向けたままだった為、佐介は気付かなかったが、いつの間にか背後に来ていた安形に両サイドから二の腕を掴まれ、変な声を上げた。
「かかかかか会長?!」
「・・・・・・・・・」
 そのまま暫く何かを確認する様に無言で佐介の腕を触り続けていた安形は、不意にぱっと手を離すと今度は肩を掴んで佐介の身体を反転させる。勢い生徒会長の机に背中から倒れ掛け、佐介は仰け反った身体を机に手を着く事で何とか支えた。その身体に、安形の視線がじっと上から這っていく。
「あっ・・・う、かい・・・」
 顔を真っ赤にさせて目を白黒させる佐介の身体が、不意にふわりと浮いた。抱き抱えられて持ち上げられたと気付いたのは、一瞬後の事だった。間近で安形の顔を見た佐介が、バッと両腕で顔を覆う。
「まっ、色々、」
 唖然としている周りを置いて、安形はさっさとドアまで足を進めた。そのまま行儀悪く足でドアを開ける。
「別室で説明して貰うわ」
 それだけ言うと安形は佐介を抱き上げたまま、生徒会室を出て行った。
「あっ! サスケーっ!!」
 突然の事に固まっていた佑助が二人を追い掛けようとした瞬間、襟首を掴まれ後ろに引っ張られる。誰がと言えば一人しか該当者は居らず、佑助はキッとその人物を睨み付けた。
「離せよ!!」
「そう言う訳にもいかないかな? 基本的にオレはアイツの味方なので」
 榛葉はそう言って、にっこりと笑う。気付かなければ放って置こうとも思ったが、気付いて行動を起こした時点で榛葉は立ち位置を決めていた。
「君も馬に蹴られる前に、弟離れしなよ」
「うるせーっ!」
 じたばたとまだ暴れている佑助が何を心配しているのか分かるだけに、榛葉は思わず苦笑する。
「ま、安形もその辺りは分かってるだろうから、変な事はしないよ」
――多分。
 味方をしたからには信じざるを得ない。少しの疑念は持ちつつも、榛葉は佑助を宥める事に専念した。
* * * * * * * * *
 その後、安形は佐介を人気の無い教室まで連れてくると、器用に教室に鍵を掛け、適当なイスに佐介を降ろした。安形の腕から解放されてからも、佐介は頑なに顔を覆ったまま安形を見ようとはしない。
「・・・・・・・・・」
 そんな佐介をじっと見ていた安形の手が、不意に動いた。伸びた手が、そのまま佐介の胸を鷲掴みにする。
「・・・ぎゃーーーっ!」
「いでぇっ!」
 ワンテンポ遅れて悲鳴を上げ、佐介は安形の手首に手刀を落とし、今度は自分の胸を抱え込んだ。そのままアルマジロの様に丸まってしまい、顔を自分の腕の中に埋める。安形は手刀を食らった手首を撫でながらも、先程の手のひらの感触を思い出す様に手を結んだり開いたりした。
「・・・・・・・・・胸、だよな」
「うぅー・・・そ、そうです・・・・・・」
 埋めた腕の隙間から、消え入りそうな声が聞こえる。ゆっくりと視線を佐介に写し、恐る恐る安形は口を開いた。
「まさかと思ったけど・・・佐介、女の子になってる?」
「・・・ちゅ、中馬先生が」
 はっきり聞こえたのはそこまでで、その後佐介はもごもごと言葉に成らない言葉を吐き出す。何故か恥ずかしいらしく、今にも消えてしまいそうになっていた。
「何で気付いたりするんですかぁ・・・」
 泣きそうになっている声に、安形は気不味げに指先で頬を掻く。
「身体付きが何か丸っこくなってたし、歩き方が、ほら女の子っぽかったってか」
 気付いた経緯を説明して欲しい訳では無いだろうと思いながらも、ついつい律儀に答えてしまった。案の定、黙り込んでしまった佐介に、気不味さに拍車が掛かる。
「それはそうと・・・何で全然、こっち見ねぇんだ?」
 今日顔を合わせてからの疑問を、安形は口にした。びくりと震えた佐介の身体に、理由があるらしいとだけ見当がつく。相手の事を慮って暫くの間は無言だったが、全く口を開く気配の無い佐介に、安形は軽く痺れを切らせた。
「いい加減にしろっ」
 乱暴に腕を取って顔を己に向けさせる。搗ち合った視線の先で、驚きに見開かれた瞳が映った。瞬間、その顔が真っ赤に染まったかと思うと、泣きそうに歪む。
「見ないで下さいっ!!」
 掴んでいたはずの腕を振り解かれ、安形の視界を覆う様に佐介の手のひらが顔に叩き付けられた。ひりひりと顔が痛むのを我慢しつつ、安形が視界を隠す指の間から佐介を見れば、必死に顔を逸らして目を閉じている。その様が余計に安形を苛立たせ、安形は佐介の手首をきつく握り上げた。
「はっきり理由を言わねぇんなら、お前ぇが嫌がってるこの顔、最大限まで近づけっぞ!」
「だ、だってっ!」
 ぎくりと佐介は身体を震わせ、言葉を吐き出す。
「せ、性別が変わっただけなのに、ちょっとした事で苛々したり、嬉しくなったり・・・何だか、物の見え方まで違ってきてっ!」
 必死になって腕を突っ撥ね、安形との距離を維持しようとそれだけに専念し、佐介は追い詰められて本音を吐いた。
「反発ばっかりしてたユウスケには、何だか素直に甘えそうになるしっ!」
「はぁ?!」
「今まで全然、意識なんてしてなかったのに、榛葉さんは格好良く見えるしっ!」
「ちょっと待てぇーっ!!」
 予想だにしなかった回答に、安形は頭に血が昇り、一気に握っていた手首を佐介の頭上へと一纏めにして振り上げ、空いた右手で佐介の顎を掴んで顔を近付ける。間近の距離で、佐介が息を飲むのが伝わってきた。
「や、やめ・・・」
「何だ? 佑助に甘える? ミチルがカッコイイ? どの口が言ってんだ!」
 怯えた瞳が、時間を置いて涙に濡れていく。普段、涙を見せるのを嫌がっている佐介があっさりとそれを流した事に、安形はぎょっとして勢いを削がれた。
「お、おい・・・」
「・・・・・・こんな時に普段から格好良いと思ってる貴方の顔なんて見たら、ボク死んでしまいます」
 嗚咽交じりに語られた言葉に、完全に安形はフリーズする。よもや自分の顔を必死に見ない様にしていた理由がそんなものだとは思っていなかっただけに、完全に不意を突かれていた。
「それに・・・」
 まだ続きがあった事にはっとして、慌てて安形は声に聞き入る。
「・・・会長は男性が好きなんでしょう?」
「んん???」
 不意打ちの二連発に、安形の口から甲高い声が上がった。
「だって・・・ボクの事が好きだって事は・・・女の子になったら、興味が無くなるって・・・・・・」
「うん、大間違いだ、スットコドッコイ」
 知らない所で自分が同性愛者にされていた事実のショックやら何やらで呆然としつつも、安形は何とかそれだけ口にした。大きくため息を一つ吐き、安形は掴んでいた顎から手を離すと、ぼろぼろと頬を伝っている大粒の涙を拭う。
「オレはなぁ」
 もう片方の手も解いて、嗚咽を上げている佐介の頭を軽く撫でた。
「お前ぇがお前ぇだったら、何でもいいんだよ」
 濡れた琥珀が、安形の言葉に瞬く。驚いた表情を浮かべる佐介に、安形は口を歪め苦笑した。
「そもそも、オレは女の子が好きな人種でな」
「え・・・?」
「お前ぇが・・・佐介が特別なんだよ」
 一瞬涙が途切れた瞳が、改めて安形を凝視する。しかし、次の瞬間には真っ赤に顔が染まり、視線が泳ぎ始めた。
「そんな死んじまいそうな顔なら、」
 両手で顔を包んで指先で目尻を突く。
「このまま、目ぇ閉じてろ」
 指先と言葉とに促され、佐介の瞼がゆっくりと降りた。手のひらで少し顔を上向かせると、安形は差し出された唇に自分のそれを重ねた。触れた瞬間、強張った唇が、徐々に力が抜けて抜けていくのを感じる。一度離れ、今度は深く口づければ、代わりに微かに触れていた身体が固くなった。
「・・・・・・今日はここまで、かな」
 唇を離して抱き締めて、安形がぽつりと呟く。胸の内で佐介が、おずおずと自分のシャツを掴んできたのを感じながら、安形は言葉を続けた。
「この状況じゃ、これ以上はやっぱマズいだろ」
 かっかっかっ、と安形が笑うと、佐介は無言で軽く安形の脇腹を小突く。攻撃の弱さに多少の違和感を感じたものの、これはこれで悪くない、と安形は心で独りごちた。どうせ解毒剤なりなんなりが出来れば、弟ご執心の兄がやってくるのだ。それまでひっそりと、こうしていればいい。腕の中の、自分の顔を真面に見れない小さな身体を抱き締めて、今はただ、その頭を撫でていた。

2011/09/04 UP

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