君と一緒に

 静かな部屋の中で、タンタンとリズム良く押される判の音と、細かく動くボールペンの音だけが響いている。日が傾いてきている時刻の生徒会室で、現在在室しているのは会長の安形と庶務の榛葉だけだった。書類に必要な数字を書き終えて、榛葉は一度ペンを置く。固くなった身体を解す為に伸びをすると、判を押していた音も同時に止まった。
「さっすがに、この時期は仕事多いなー・・・」
 榛葉と同じく身体を解す為に腕を後ろに廻しながら、安形はそう漏らす。文化祭間近のこの時期は、生徒会も多忙を極め、椿他二名は校内を奔走していた。画して流石の安形も仕事をしている状況だった。
「こんな時期位しか、安形も真面目に仕事しないしね」
 笑いながら言う榛葉に、安形も笑いながら、そうだな、と返す。
「あーあ、この分だと当日も忙しいんだろうな」
 詰まらなそうにため息をついて、安形はイスへと背中を預けた。何を考えているのかが手に取る様に分かり、榛葉は苦笑しながら安形を見る。
「折角だから椿ちゃんと二人で・・・って言いたい所だけど、無理だろうね」
「アイツ、生真面目だからなぁ・・・ったく、他のカップルは仲良く文化祭楽しんでんだろうに」
 仕事第一の副会長が当日に職務を放棄するはずもなく、安形は叶わぬ夢に目を閉じて再び嘆息した。
「まぁ、普段デートの一つや二つしてるんだから、一日位は我慢すればいいだろ?」
「あぁ・・・・・・・・・・・・あり?」
 榛葉の何気無い一言に適当な返事をした安形だったが、一呼吸置いて不意に首を捻る。それに気が付いた榛葉が、首を傾げながら安形に問い掛けた。
「どうした? 何か・・・」
「・・・無いかも」
「無い? 無いって何が??」
「オレ、椿とデートした事、無い」
 ぼそりと言われた発言に、暫し時が止まる。内容を改めて飲み込み、理解した榛葉は思わず席を立ち上がった。
「お前、椿ちゃんと一回もデートした事無いの?!」
「少なくとも、ちゃんと待ち合わせをしての所謂通常のデートは、無い!」
 本人に取っても衝撃だったのか、安形は頭を抱えて机に伏してしまう。
「安形・・・お前、椿ちゃんと付き合って何か月経つっけ?」
「えーと・・・二ヵ月弱、かな?」
「二ヵ月で辿り付かない様な場所まで到達してて、何で肝心のイベント熟して無いの? 休みの日とか会ってるんだよね? 何してんの?!」
「んー・・・大体は、オレの部屋に連れ込んで、ヤラシイ事をしてる」
「それが原因だ、アホー!!」
 何と言う事は無い、本人の自業自得が招いていた結果に、榛葉は怒鳴り散らしていた。
「どうしよう・・・」
「何が?!」
「した事無いって気が付いたら、もの凄くしたくなってきた・・・どうしよう?」
「知るか! 自分で考えろよっ」
 榛葉にそう言われ、安形は真剣に考え込む。その様子を見ながら、仕事しろよと心の中で突っ込みつつ、榛葉は何だか嫌な予感を覚えていた。
「よし・・・!」
 勝手に一人で何某かの結論に辿り着いた安形が、真剣な顔を榛葉に向ける。一応、効くだけは聞こうと榛葉も手を止めて顔を向けた。
「椿に今週の土曜、デートを申し込む」
「あぁ・・・いいんじゃない?(どうでも)」
「お前の目の前で」
何で?
「いや、ほら・・・人前だと、断り辛いだろ?」
 言い切った安形に、榛葉は心底憐れむような目を向ける。
「・・・・・・デート、断られる可能性があるんだ」
「だ、大丈夫だろうとは思うけどな・・・何か、もしかしてと思うと・・・・・」
 ぼそりと不安げに呟いた安形を見て、榛葉は笑い出しそうな自分を感じていた。普段は自信の塊の様な人間の癖に、妙にこんな部分だけが小心者で。
「・・・なので、万が一はフォローを頼む」
「まぁ、うん。大丈夫だとは思うけど、分かったよ」
 満面の笑みでそう答えた榛葉を見て安心したのか、安形は一人携帯をいじり始めた。
「こう言う時はアレか? 映画か? ジャンル・・・ジャンルは、オーソドックスに恋愛物がいいのか?」
 真剣にぶつぶつと言いながら映画情報を見ている安形に、榛葉ははじめてのおつかいを見ている気分でそれを眺める。そうしている間に時間が過ぎていたのか、視察に行っていた椿が生徒会室のドアを開いた。
「戻りました・・・何をサボってるんですか、会長」
 仕事をせずに携帯を触っている安形を目敏く見つけ、椿はきつい眼差しを向けてくる。
「休憩だ、休憩。効率良く仕事する為には必要不可欠なんだよ」
 ひらひらと手を振りながら、安形は既にいつも通りの態度へと戻っていた。さっきまで誘い方を一人ぶつぶつと脳内シミュレーションしていた人間と同一人物かと思うと、一人榛葉は吹き出しそうになるのを堪えるのに必死になる。
「一段落は付いてたからね。椿ちゃんもお疲れ様。何か飲む?」
「ありがとうございます。でも、ボクはこの後も・・・」
「え? もうオレ、立っちゃったよから。まだ休憩始めて間も無いし、椿ちゃんも少しだけゆっくりすれば?」
 既に席を立っていた榛葉は、笑いながら椿にそう言った。そうなると断り切れなくなり、椿も紅茶をお願いします、と素直に応える。
――さて、安形。お膳立てはしてやったけど?
 ゆっくり会話が出来るだけの状況を作り出し、榛葉は安形にちらりと視線を向けた。安形はと言えば、何気ない風を装いながらも、目の端でだけ椿を捉え、様子を伺っている。本人が普段を装えば装うほど、その違和感が際立って、逆に不自然にしか見えなかった。
――安形、それ、モロバレだからーっ。
 心の中で大爆笑をしながら、榛葉は震える手で紅茶を入れる。椿に紅茶を差し出すと、椿は榛葉の表情を見て不思議そうな顔をした。
「・・・・・・榛葉さん、何かいい事でもあったんですか?」
「ん? ま、まぁね。大した事じゃないけど」
 今の安形が面白過ぎるんだよ、とは言えず、曖昧な言葉で返事を濁す。話題を変える為にも、榛葉はそう言えば、と言葉を発した。
「さっき、安形とも話してたんだけど、こう忙しいと休日位はぱーっと遊びに行きたくなるよね」
「ええ、そうですね」
「まぁ、そんな訳で椿、今度の土曜にオレとデート行かねぇ?」
 普段の会話からの行き成りの段取り無視の発言に、椿と榛葉は凍り付く。榛葉が笑顔を張り付けたまま安形に顔を向けると、安形はあから様にしまったと口元を歪めていた。
――状況とタイミング位は読もうね、安形。
――うん、オレもそう思った。予想以上に、オレ、テンパってる。
 心と心で会話をし、二人して冷や汗が出る。椿は半ば放心状態で、安形の言葉を反芻していた。
「・・・・・・会長、良く聞こえなかったんですが、もう一度仰って頂けますか?」
「だ、だから・・・土曜日、デート行かね?」
「お断りします」
 あっさりと一刀両断し、椿は榛葉の持ってきた紅茶に口を付ける。安形はそっと榛葉に視線を合わせた。
――これはフォロー出来ますか?
――出来ませんっ!!
 目と目で遣り取りし、安形は頭を抱える。しかし意を決したのか、がばっと顔を上げると椿に食い付いた。
「何でだよ! もうオレ、映画のチケット取っちゃったんだぞ! どうすんだっ」
「知りませんよっ! 勝手に決めて進められた話に責任なんて持てませんから。一人で行ってきて下さい」
「何言ってんだ、このスットコドッコイ! 恋愛物を一人で見るってどんだけオレ、寂しい人なんだよ!」
「だったら、榛葉さんと二人で行けばいいじゃないですか」
「野郎と二人で恋愛物なんて、寂しさの究極じゃねぇか! ふざけんなっ、オレは椿と行きたいんだよっ! お前ぇとデートしてぇんだよ!!」
「・・・・・・・・・すよ
 微かに聞こえた椿の声に、榛葉は驚きの表情を浮かべる。椿の顔は安形の方を向いている為、それを見る事は叶わない。けれども、唯一それを見た安形の表情が一瞬困惑した事で、大体の察しが付いてしまった。
――これは・・・無理かもね。
 同じ結論に達したのか、随分と喚いていた安形も口を噤む。考え込んだ末、ぼそりと一言だけ、椿に問い掛けた。
「どーしても、オレとのデートは嫌なんだな?」
「・・・・・・そうです」
 答えた椿の声音は、不自然なほど感情の色が無い。安形は一息、大きな息を吐いて、それ以上言葉を重ねるのを止める。代わりに席を立ち、とぼとぼとドアへと向かうと、そのまま生徒会室を後にした。
「ん・・・まぁ、」
 安形が完全に姿を消した後、榛葉は身体を固くしている椿の頭に手を添え、ぐりぐりと撫でる。
「今のは安形が悪かったと思うし、椿ちゃんは怒ってもいいと思うよ」
「あ・・・あの・・・・・・」
 戸惑った椿が、それでもぽつりとありがとうございます、と呟いた。それを聞くと榛葉は、どういたしまして、とにっこりと笑う。
「安形は気にしないと思うけどね」
「それでも・・・・・・恥を掻くのはあの人、ですから」
 拗ねた様な、困った様な表情で、椿の口からそんな台詞が零れた。やれやれとため息をついて、榛葉は更に頭を撫でる。
「後は任せといてとは言えないけど、椿ちゃんももうちょっと素直にならないとね」
「はい・・・」
 俯いて赤くなる後輩に手を振って、榛葉も生徒会室のドアを潜った。後姿からもかなり落ち込んでいるのが分かる安形の背を追い、そこに追いつく。
「フラれた感想は?」
「うるせぇ」
 軽く肩を叩いて尋ねると、沈んだ顔で安形は立ち止った。あーあ、と呟くと、安形は軽く目を閉じる。
「あそこまで嫌だとはなぁ。何でだよ・・・」
 盛大なため息と共に吐き出された言葉に、あの時の椿の呟きが聞こえてなかった事を榛葉は知った。

『ボクも野郎ですよ』

 安形の言葉に触発された言葉だけれど、元々乗り気で無かった理由。それが前面に出た表情だけを安形は見て・・・そして言葉を失った。
「何でだろうね・・・でも、お前なら、口先で丸め込めるだろ」
 嘯いて苦笑してみると、軽く俯いた安形の頭が榛葉の肩に押し付けられる。表情を読み取られない様にする時の、安形の癖だった。
「心底アイツが嫌がってる事、オレが出来る訳ねぇだろ」
「んー・・・そうだね」
「嫌われたくは、ねぇんだよ」
「うん、知ってるよ」
「こんなに好きじゃなきゃ、話は楽なのに」
「相手の気持ちがある物は、簡単にはいかないからね」
 慰める為に曝け出された背中を軽く叩く。応える様に再度、安形からため息が漏れた。
――この図体ばっかデカい不器用な子供、どうしようかなぁ。
 椿が好きだと何度も繰り返す安形を困り顔で見ながらも、榛葉は何度も背中を叩く。それでも出口は自分には作れないのだから、こうして慰める他が無いとも思いながら。
「まぁ、取り敢えずは」
――でも、甘やかしたりは出来ないよね。
恋愛は二人でするもんだから、二人で話して解決してね
「・・・・・・そう言う奴だよな、お前ぇは」
 にっこりと笑う榛葉に、漸く顔を上げた安形が悪態を吐く。その顔はまだ落ち込んでいたものの、多少の浮上が見て取れた。
――今は一歩、後ろで眺めていよう。
 本気で倒れたら、後ろでいつでも支えられる様に。そう思いながら、榛葉は再び笑みを浮かべた。

2011/08/15

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