けもの、けだもの

 予定も特に無かった日曜、椿は安形に電話で呼び出された。面白いものが有るから見に来いよ、と。言われるがままに安形の家を訪ね、インターフォンを押すと開いてるからそのまま上がって、と聞き慣れた声が返ってきた。
「お邪魔します」
「おーう、こっちだ、こっち」
 言われた通り開いていた玄関を抜けると、奥の部屋から声がした。呼ばれた場所が安形の部屋でない事に少し違和感を覚えつつも、椿は声のした部屋へと足を向ける。
「なんなんですか急に・・・うわっ!」
 文句を言いながらもドアを開けた瞬間、小さな塊が椿に飛び掛かってきた。驚いて二、三歩後ろに下がった椿の脚に、その塊は絡み付いてくる。
「わわっ、なっ・・・・・・い、犬?!」
「そ、知り合いが旅行行くから、その間預かってんだ」
 椿は足元にじゃれ付く生き物を改めて見た。薄茶色の柔らかな長毛の胴がやたらと長い犬は、椿が見てきた犬と言う生き物としては随分小さく見える。
「これは・・・まだ、子犬ですか?」
「いや、これで成犬。カニヘンダックスとか言うらしい」
「かにへん?? どんな漢字ですか?」
「漢字じゃねぇよ! ミニチュアより小さいの、カニヘンって言うみたいだな・・・所で、椿。靴下大変な事になってんぞ?」
「え・・・? うわぁー!」
 会話している間、足先に違和感があったもののそのままにしていたら、いつの間にか犬が椿の靴下を嘗め廻し、噛み千切らんばかりに牙を引っ掛けて引っ張っていた。当然、涎でべたべたな上、穴が開き掛けている。
「こらこら、チュロス、いい加減にしとけ」
 安形は手を伸ばして犬を掴むと、自分の膝へと乗せた。そのまま犬は尻尾を千切れんばかりに振りながら、安形の胸に前脚を掛けて顔を嘗め始める。べろべろに口元を嘗められている安形を見て、椿の眉が少しばかり歪んだ。
「ま、その辺座れよ・・・・・・? 椿、どした?」
 自分の横に座った椿の表情が少々曇っているのを目敏く見つけ、安形が声を掛けてくる。
「いえ・・・ボクの足を嘗めてたのと同じ口で顔を嘗められて、よく平気ですね」
 安形に気付かれた事に一瞬言葉を詰まらせ、椿は視線を外しながらそう言った。ああ、と安形は言いながら、犬の耳の後ろ辺りを軽く掻いてやる。気持ち良さそうに犬が目を細めているのを、椿は目の端で見ていた。
「べっつに、そん位平気だろ。いつもオレ、お前の何処嘗めてっと・・・」
「わーーーっ!!」
「痛ぇーっ!」
 安形の発言に、椿は大声を上げて頬に平手を食らわせる。その音に驚いた犬が、激しく吠え始めた。
「だだだだ誰かに聞かれたら!!」
「今、家族出払ってっから! 他に誰も居ねぇよ!」
 叩かれた頬を押さえ、片手で器用に犬を抱き上げながら、安形はそう叫ぶ。手の中では相変わらず犬がぎゃんぎゃんと吠えていた。
「だからって、わざわざ言うものではっ・・・」
「分かった、悪かったって。落ち着けよ」
 椿にそう言いながらも、安形は手の中でまだぐるぐる言っている犬も撫で、落ち着かせようとしている。
「あーあ、オレの事ひっぱたくから、お前ぇの事敵認識してっぞ?」
「そ、それは会長がおかしな事を言うからで・・・」
「おーおー、真っ赤じゃねぇか。相変わらず椿は可愛いなぁ」
 照れている椿をにやにやしながら眺め、安形はまだ威嚇体勢の犬を抱え上げて椿の方へ向けた。
「コイツはオレの大事な人だから、攻撃すんなよ」
 そう告げると抱えたままの状態で犬の首を掻きながら、頭に軽くキスをした。ちらりと安形が椿に視線を向けると、椿は俯いてしまっていて、その表情は読み取れない。
――あり? 犬にまで何言ってるんですかーっ、ぐらい言われるかと思ったのに。
 予想していた反応が得られず、若干がっかりしながら、安形は大分落ち着いてきた犬を改めて膝に乗せた。大人しくなった犬の首やら背中やらを掻きながら、椿を眺めていたが何故か無言で始終俯いたままだ。
「えーっと、椿・・・何か怒ってる?」
 笑顔を張り付かせたまま、安形は問い掛ける。困った事に今回、椿が不機嫌な理由が彼にも分からないのだ。揶揄い過ぎたかとも思うが、反応がどうも違って見えた。手持無沙汰になり、自然とずっと犬を撫でている内に時間だけが過ぎ、とうとう膝の上の犬も眠ってしまう。どうしたものかと天井を見上げた時、不意に椿が口を開いた。
「・・・・・・寝ましたね」
「あっ、ああ・・・本当は夜行性の生き物だからな。昼は大体寝てるし」
 やっと椿が口を利いてくれた事に安形が安堵していると、ふらりと椿が立ち上がる。そっと安形に近付いたかと思うと、膝の上の犬を慎重に持ち上げた。
――アレ? 椿もチュロスと遊びたかった、とか?
 犬好きと言う話は聞いた事が無いが、可愛い犬と遊びたい気持ちが無いとも言えない。自分ばかりが犬と遊んでいたのが面白くなかったのだろうか、と安形は思った。それも違う様に思っている間に、椿は犬をそっと部屋の隅にあった寝床に寝かせる。犬は薄らと目を開けたものの、再度丸まると再び安らかな寝息を立て始めた。
 それを確認した椿は、唐突に安形を振り返ると、そのまま安形の元へと足音を忍ばせて歩み寄る。犬を起こさない様にしているんだろうな、と思っていた安形の上に、その影が差した。
「!!」
 すとん、と。安形の膝の上に椿が乗る。突然の行動に安形が驚いている中、椿は安形を見上げながら顔を真っ赤にしたまま、唇を動かした。
「・・・わ、わん」

 一瞬、安形の頭の中が真っ白になる。

「つつつば、椿ぃ〜?」
 自分の声の上擦り具合で、結構な勢いで動揺しているのを安形は自覚した。目線の先では自分の行動が恥ずかしくなったのか、椿は目を逸らしている。
「すみません・・・馬鹿な事をしました・・・」
「待った! ストップ!!」
 後悔して腰を浮かし掛けた椿の腕を掴み、安形は改めて自分の膝の上に椿を座らせた。両腕を掴んで逃げられない様にして、その顔を覗き込む。
「何・・・お前ぇ、犬になりたかった、とか?」
 必死に目を逸らしていた椿だったが、安形の言葉にムッとした表情で上目使いに安形を睨み付けてきた。
「・・・・・・普通、犬にあそこまでしますか?」
――不機嫌になったのは、キスした瞬間だっけか。
「ずっと・・・撫でてましたし」
――そう言や、する事なくて、つい手ぇ動かしてたな。
「わざわざ呼び出して・・・ボク以外を」
 構わないで下さい、と小さく続いた言葉に、自然と笑みが零れる。拗ねて自分を見上げてくる顔が愛おしくて、そのままこめかみにキスをした。続け様に何度も顔にキスを降らせると、椿は顔を赤くして距離を取ろうと安形の胸に手を宛てて押し返す。
「どした? アイツにもこれ位してるぜ?」
 照れて嫌がる椿にくすくすと笑いながら、安形が犬を引き合いに出した瞬間、ぴたりと椿の動きが止まった。突っ撥ねていた腕の力を抜いて、逆に安形に寄り掛かる。
――こ、これは・・・
 真っ赤になっている耳の後ろ辺りを、犬にそうする様に指先で撫でてやると、びくりと椿は身体を震わせたが逃げる素振りは無かった。調子に乗って同じ様に頭を撫で、至る所にキスをしても同じで。
――上手い事やれば、今まで出来なかった事が出来る!
 安形は左手と唇はそのままに、心の中を読み取られない様にそっと右手を伸ばしてテーブルに乗っているクッキーを一つ取った。
「椿」
 呼び掛けられて上げられた顔は、安形の唇と指との所為か少し焦点が合っていない。その上、恥ずかしさからか肌が上気していて、それだけで安形はかなり満足気に顔を緩めていた。
「おやつだぞ」
 上手くいってもいかなくても最早どちらでもいい気分になりつつも、安形は手にしていたクッキーを口に銜える。それを動きで示すと、流石に椿も困惑した顔になった。
「あの・・・いつもそうやって、おやつをあげてるんですか?」
「ほーらよ」
 菓子を銜えたままで平然と答える安形。一瞬椿は躊躇ったが、ぐっと安形のトレーナーの端を掴むと顔を寄せた。口を半分開けた状態で軽く舌を出し、椿は安形の銜えたクッキーに触れる。そんなに長さの無い食べ物なだけあり、安形はそれを間近で見ていた。
――う、うっわー。
 舌先でクッキーを下から押さえると、椿は安形に触れるギリギリの所でクッキーを銜える。そのまま安形の唇から離れたクッキーを、目線を伏せて椿は食べ始めた。
――・・・思った以上に、エロい!
 食事と性行為が非常に近い関係にあると耳にした事があったが、今なら簡単に納得が出来る。もう一度、と安形は再度クッキーを銜えた。
「ほい。も、いっこ」
 服を引いて促され、同じ様に椿はクッキーに顔を近付ける。その瞬間、安形の中で悪戯心が生まれた。椿の腰に右手を伸ばし、そっとシャツの間に手を差し込む。
「!!」
 びくん、と椿の身体が震え、銜え掛けていたクッキーが唇から零れた。しかし安形は手を止める事はせず、滑らかな背中に指を這わせる。
「あ、あの・・・」
「んー、良い子良い子。アイツにもしてたろ?」
 そう言われ、椿はぐっと唇を噛み締めた。それを見つつ、安形はまたクッキーを銜えた。
「ん」
 軽く上下にクッキーを振ると、椿は背中を撫でられながらも、顔を近づけてくる。震える舌先が触れ掛けた瞬間、今度は前から安形の手がシャツの中へと忍び込んだ。
「あっ・・・!」
 手のひらが軽く腹部を撫で上げ、椿は声を上げる。安形が両手で背中と腹とを撫で続けていると、椿は小さな息を繰り返しながら身体を震わせた。安形のトレーナーを掴む拳が、そこから震えを伝えてくる。それでも椿はゆっくり顔を上げ、口を開いて顔を寄せた。もう瞳には薄らと涙すら浮かべ、懸命にクッキーを銜える。
「ふっ・・・う・・・」
 首を仰け反らせ、銜えている物を落とさない様に必死になっている椿を眺め、安形は前から差し込んだ手を上へと動かした。服の下で動く指に椿は更に身体を震わせたが、それでも何とか銜えていた物を口に入れる。その間中、安形の手は椿の背中と胸に微妙な刺激を与えていた。その度に身を捩り、くぐもった嬌声を上げる姿に、安形の背筋をぞくぞくと快感が走る。
――凄ぇ色っぽいんだけど、本人気付いてねぇんだろうな。
 そう鑑賞する様に安形が眺めていると、椿が上手く動かない身体を無理に動かし、口の中の物を飲み込んだ。それに合わせて白い咽喉が上下する。その様に見惚れていると、椿の唇から息と共に声が漏れた。
「・・・あっ・・・会ちょ・・・」
「ああ、良く出来たな」
 ご褒美だよ、と呟くと、安形は仰け反った首筋へとキスを一つ落とす。刺す様な刺激に椿が声を上げて身を震わせると、耐え切れなくなった涙が一筋流れた。唇が離れると、白い肌に紅い跡がひっそりと残る。
「椿・・・」
 名前を呼んで、背中に触れていた手をそっと首筋へと伸ばした。後頭部から撫で上げる様に指を差し込み、そのまま椿の頭を引き寄せる。あ、と呟いた唇に己のそれを重ねると、甘い味がした。隙間から舌を差し込み、その甘さの残滓を追い掛ける。応えて触れ返す舌に、先程の光景が思い起こされて貪る様に口づけた。
――ん、何か下の方で・・・・・・
 椿の唇を堪能していた安形の意識が、不意に別の物に逸らされる。自分の腹の辺りで何かがふんふんと鼻を鳴らしていた。ちらっと視線の端をそこへ向けて、安形は慌てて椿の身体を自分から引き離す。
「何してんだ、チュロスー!」
 小さな茶色い犬が一匹、安形の腹の上で口をもぐもぐさせていた。
「バカー! 吐けっ、これはお前が食っていいもんじゃねぇんだよ!!」
 先程、椿が落としたクッキーをさも嬉しそうに頬張っていた犬の後頭部をびっくりする位の勢いで叩き、安形は思い切りその口を抉じ開けるに掛かる。当然、犬はウーと唸りながらそれを拒否していた。
「人間の食いもんなんか食ったら、毒にしかなんねぇんだぞ! 死にたいのかよ、お前ぇ!!」
 慌てて犬の口を無理矢理開け、中身を吐き出させる安形の後ろで、ゆっくりと人影が立った。
「・・・・・・・・・人のお菓子を犬にあげてはいけないんですね」
「ったりめぇだろ! 体小っちゃいんだぞ、塩分糖分の取り過ぎで成人病になるわっ」
「なら、口に銜えておやつをあげる事もないんじゃないでしょうか・・・・・・」
「ああ、そんな事はフツーしねぇ・・・・・・あっ!」
 自分の口走った言葉に青くなりながら、安形は恐る恐る後ろを振り返る。案の定、涙目で怒りに顔を染め上げた椿がそこに立っていた。
「えーと、ほら、ちょっとした出来心って言うか、一遍やってみたかったって言うか・・・」
 言い訳をする安形にスッと椿の手が伸び、トレーナーの胸の辺りを掴み上げる。反対の手は既に拳を作り、高く掲げ上げられていた。
「歯、食い縛って下さい」
「わーーーっ!」
 安形が叫んだ瞬間、玄関の開く音が響く。続いて、ただいまー、と紗綾の声がした。
「あれ、椿くん来てたの?」
「か、可愛いですねっ、この犬!」
「だろっ、だろっ、カニヘンって言うんだってよ! あ、早かったな、サーヤ。友達と映画じゃなかったのかよ?!」
「? 友達が急に用事入ったから、その辺ぶらぶらして帰ってきたんだけど」
 不自然に犬を撫で回している二人に不審げな顔をしながら、紗綾はそう応える。暫くじっと二人を見ていたが、特に何も気付かずに紗綾は荷物を持って階段を上がって行った。遠ざかる足音が聞こえなくなって漸く、二人してほっと息をついた。
「あ、危ねぇー・・・良かった、気付かれなくて・・・」
「・・・・・・・・・帰ります」
 気まずそうに言った椿に、ああ、と安形は息を吐く。そして、妹に椿の首筋の跡を見られなかった事に安心し切って、つい余分な一言を漏らしてしまった。
「犬プレイは、今度、オレの部屋でな」
 犬は本能で強いオスを見分け、強い者に従う習性がある。安形の腹部に見事にきまった拳を見て、このオスが一番強いと判断したチュロスは、呻く安形に背を向けて玄関まで椿を見送りに出たのだった。

2011/08/01

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