浅い眠り

 家具は揃ってはいるものの、まだ生活臭のしない部屋。開けられてない幾つかの段ボール箱は、さっき安形と椿が二人で運んだ物だった。椿はズボンに付いた埃を軽く叩きながら、数日前の安形からの電話を思い起こす。
『引っ越すから、手伝いに来て』
 椿の最後の試験終了のその日、突然言われたのはそんな言葉だった。呆れながらも言われた通りの日時にあっさりと出向いた自分に心の中で苦笑する。会っていない時間がかつてない程に長く、結局は会いたくて仕方が無かった。それが椿の本心だった。

 受験が本格化した時、待てる?、と聞かれ、待てます、と応えたあの日は、随分と遠い日の気がする。
『だったら、椿が会いたい時だけ会いに来て』
 よっぽど卑怯だと罵ってやろうかと思って、相手の目を見て言葉を詰まらせた。
『オレはいつでも会いたいからな』
 その瞬間、泣きそうに自分の顔が歪んだのは何故なのか。未だに椿には解らない。ただ、その日から確かに、会いに来る事も、電話がかかってくる事も無かった。不安に駆られて追い詰められた時、何度も顔が浮かぶくせに、それは逃げ込むだけの気がして結局動けずに終わる。それを繰り返して気が付けば、季節は春に近付いていた。最後の試験を終えたその日に感じたのは、これでやっと臆面無く会えると言う安堵。見透かされた様に、携帯が鳴った。

――本人に言ったら、どんな顔をするんだろう・・・
 運び終わった段ボール箱の山を眺める安形の後姿を見ながら、そんな事を思っていると、不意に安形が振り返った。
「ま、最低限のもんは出し終わってるし、休憩すっか」
 半年前と変わらない笑顔で言う安形に、椿ははいと素直に返事をする。座ってろと言われ、キッチンに消える安形を見ながら、ふとした疑問が浮かんできた。
「そう言えば・・・まだ一年しか経ってないのに、どうして引っ越したんですか?」
「んー・・・まぁ、元々そのつもりだったからな」
 湯気の立つカップを二つ手にした安形が、そう言いながら近付いてくる。小さなテーブルにカップを置くと、椿の横へと腰を降ろした。
「一人暮らしなんて初めてだろ。最初の部屋が即気に入るって気もしなかったし、時間も無かったしな。最初は適当な場所で一年かけて気に入る場所探そーって」
 言いながらカップを口に運ぶ安形の手を、椿の視線が追う。カップが離れたその唇に、視線が残った。
「結局は過ごしてみないと分かんねぇ事も多いし。何より同じフィールドで過ごしてる人の意見ってのは、大学入らねぇと・・・って、椿、聞いてる?」
「えっ・・・す、すみませんっ」
 不意に呼ばれた名前に、慌てた椿は思わず視線を下に落とす。それで自分が安形に見入っていた事に気付き、椿は自分の顔が熱くなるのを感じた。そのまま顔を上げるに上げられなくなった椿の視界で、テーブルにスッと影が差す。
「椿」
 再び名前を呼ばれ、触れられたのは頬だった。そのまま否応無しに顔を上に向けられる。間近に安形の顔を目の当たりにし、椿の鼓動が脈打った。
「・・・・・・知らなかったな。オレって見惚れるほど、良い男だったんだ」
「なっ・・・」
 笑った顔と見ていた事を見透かされた事とに、胸が痛くなる程心臓が鳴る。赤くなった顔のまま、痛む胸を抑える様に椿は服の胸元を掴んだ。
「良い男かどうかは知りませんが・・・」
 鳴り続ける心臓のもっと奥深くから、熱が生まれる。
「・・・見惚れては、いました」
 呟きに近い小さな声でそう漏らした後、安形の顔を直視出来なくなって椿は視線を逸らした。そのまま相手の反応を窺っていると、全く動きがないまま数秒の時が流れる。恐る恐る視線の端で安形を見れば、顔を赤くして固まっている姿が目に入った。
「な、何で、赤くなっ・・・」
「う、うわーっ!」
 椿の言葉を遮って、安形は叫びながら椿を抱き締める。椿の視界に自分の顔が入らない様にして、やや混乱気味に言葉を発した。
「何だよ?! 何で今日、そんなに素直なんだ!!」
「そっ」
 久々に抱き締められた感覚に、微かな安堵とそれ以上の照れ臭さに、椿は安形の胸へと自分の顔を押し付ける。
「そんなのっ、ずっと会ってなかったからに決まってるじゃないですか!!」
 叫んだ瞬間、更にきつく抱き締められた。自らの腕も伸ばして安形の背中に廻せば、触れた胸が脈打っているのが伝わってくる。自分の物ではない鼓動に、指先に触れた服をきつく握って更に叫んだ。
「本当の本気で連絡もしないって何ですか! 凄く不安になって、一時参考書も頭に入らなくてっ」
 溜め込んでいた本音が、今日は嫌にすらすらと口を突く。ああ、と心の中で椿は思った。
――それだけ、会いたかったんだ。
「会いたいってそれだけの理由で電話してもいいのか、貴方から連絡も無いのにって・・・貴方が会いたいって思ってくれてるのかどうかっ、ふ、あんっ、でっ・・・」
 最後に叫んだ言葉の後に、涙が続く。まだまだ言い足らない程なのに、嗚咽に代わって言葉が続かない。 
「・・・・・・最初に」
 安形の手が、椿の頭に廻る。髪を梳く指先に安堵して、また琥珀の目から涙が溢れた。
「言っただろ。オレはいつだって椿に会いたい、って」
 触れる指先の優しさは、半年前と変わらない。やれやれ、とため息交じりの声が聞こえ、手が頬に触れた。促され、顔を上げると軽く唇が涙に触れる。久方振りのその感覚に、椿はそっと目を閉じた。
「こっちは時間だけはある大学生だぞ。オレの勝手で受験生振り回せねぇだろうが」
 言葉の合間で幾度も唇が触れ、その度に椿の胸の中で澱の様に溜っていた何かが解けていく。
「ルール決めなきゃ、毎日だって連れ回すぞ、オレは」
「・・・・・・そのルールが、ボクからの連絡ですか」
 そう、と答える安形の背から左手を離し、椿は安形の頬に触れた。ぴく、と反応したそこを、二本の指で摘まむと、怒りを込めて横に引っ張る。
「痛ぇーっ!」
 当然、激痛に安形が声を上げた所で、椿は少し満足して手を離した。
「毎回毎回、ボクは言ってるつもりなんですが、そう言う事をどうして先に言わないんですか、貴方は」
――本当は、
「自己完結だけされても、ボクには一ミリも伝わってないんですよ?」
――訊かないボクも悪いのは分かっているけれど。
 心の中でため息をついて、椿は安形の襟首を両手で掴む。投げられるとでも思ってか、硬直した安形の身体を、椿は後ろへと押した。背中から床に倒れ込んだ安形に、椿は上から覗き込んで睨み付ける。
「ルールが必要なら、二人で決めるべきだったんじゃないですか?」
 そのまま今度は椿から唇を触れさせた。合わさった唇に、安形の目が驚きに見開かれる。
「・・・・・・ボクだって毎日、貴方に合いたかったんですから」
 離れた唇から落ちた言葉。同時に紅く染まった顔を見て、安形は困った様に苦笑した。椿の身体に腕を廻し、転がす様にして位置を反転させる。今度は安形が上になり、椿に口付けた。先程とは違う、深いキスを。
「んっ・・・」
 絡まる舌に漏れた声を聞きくと、安形は片目を開けて唇を離した。あーあ、とぽつりと漏らして軽く嘆息する。
「まだ発表終わってねぇから、今日は我慢する気だったんだけどなぁ・・・」
 安形はそう言いながら、シャツの隙間から手を差し込んで肌に触れた。それに反応して身を震わせると、微かに安形の口から熱い息が漏れる。
「・・・っ、安形さっ・・・」
 薄く目を開けて名前を呼べば、じっと自分を見詰めていただろう顔がゆっくりと降りてきた。首筋に唇が触れ、湿った熱い舌がそこを嘗め上げる。その熱が移った様に、そこから身体が熱くなった。
「あっ・・・ん・・・・・・」
 声を上げる羞恥も捨てて、安形の服に縋り付く。素肌に触れる半年振りの手のひらの感覚に、自分でも身体が熱くなって汗ばむのを感じていた。
「佐介・・・」
 耳元で名前を呼ばれ、背筋をぞくりと快感が走り抜ける。優しげに服を脱がせるその手も、自分の中に入ってくる指先も、何もかもが夢にだけ見続けてきた物なら、
――こんな時ぐらい、
「んんっ・・・そ、」
――素直になってもいいじゃないか・・・
「・・・惣司郎さっ・・・好き、で・・・・・・」
 ずっと呼べなかった名前を呼んで、心を告げた。届いた声に、安形が息を飲む。余裕無く抜かれた指に身動ぎした瞬間、別の圧迫感が椿を襲った。
「いっ・・・あっ、ぅっ!」
 下肢に走った痛みに身体を仰け反らせ、声を上げる。悲鳴に近いそれを聞いて、はっとした様に安形の動きが止まった。下唇を噛んで項垂れると、悪ぃ、と小さく呟く。
「忘れてた・・・半年振りなんだよな」
 安形が呼吸を深く繰り返しているのが自分の欲情を抑える為と知れて、椿は不安げに安形を見た。半年の間に変わった身体から、安形がゆっくりと離れようとする。
「やっ・・・」
 気が付けば、離れ掛けた腕を掴んで引き留めていた。
「嫌っ、いやっ、やだっ・・・」
 やっと得たはずの物が逃げていきそうに思えて、椿は何度も頭を振る。
「嫌・・・離れ、ないで・・・」
 子供の様に駄々を捏ねても許される気がして、掴んだ腕に爪を立てた。涙で歪んだ視界の中で、葛藤している安形の顔が見える。
「どうしてお前ぇは、オレの事いっつも煽んだよ」
 愚痴にも聞こえる台詞の後に、口付けられた。
「・・・優しく出来ねぇぞ」
 深く何度も重ねられたキスの後、された宣言。肯定の言葉の代わりに、椿はまた名前を呼んだ。

* * * * * * * * *

 ぼんやりと目を開けると、自分を見詰めている安形の顔が映る。おはよう、と動いた唇と、暗くなってしまった景色に、かなり時間が経っている事に椿は気が付いた。
「あっ、ボク・・・ぃたっ」
「あー、動くな動くな。結構オレ、無茶したから」
 苦笑しながら頭を撫でる安形に、椿は眠りに落ちる前の自分の言葉を思い出す。

『惣司郎さん、好き。会いたかった。側に居て』

 熱に浮かされた様に何度も繰り返した子供染みた言葉に、今更ながら恥ずかしさが込み上げて顔が赤くなった。今だってまだ縋った指は、その腕に絡まったままで。
「あの・・・」
「何、佐介」
 おずおずと切り出した椿に、安形が返事をする。響いた自分の名前が擽ったくなり、椿は小さく唸ってしまった。
「・・・その、嫌いになったり、しませんか?」
「はぁ?!」
 何がどうなってそう言う結論に辿り付いたのか訳が分からず、思わず安形が声を上げる。うっ、と小さく声を出した椿に、再度頭を撫でて安形は言葉の先を促した。
「こ、子供みたいに・・・我儘を・・・・・・」
 決死の覚悟で口にした言葉に対し、安形は小さく笑い声を漏らす。腕の中で椿が小さくむくれるのを感じ、悪ぃ悪ぃと言いながらも、やはり笑みが漏れていた。
「そう言う我儘は大歓迎に決まってんだろ」
 一頻り笑った後、安形は愛おしげに椿を見詰め、その瞼に唇で触れる。
「引っ越そうって思って色々考えてたんだけどな」
 唐突な話題の変換に、椿が疑問を持ったのも束の間で、安形は今度は頬に口付けると言葉を続けた。
「居心地良い場所っての想像すっと、どうしてもここなんだわ」
 こめかみに、眉間に、耳元に、首筋に。触れられる部分全てに、唇が触れる。その心地良さに身を委ね、椿は良く通る安形の声だけを聞いていた。
「お前の、側」
 最後にそう囁かれ、唇が重なる。その中でやっと、椿は一番欲しい物を手に入れていた。

2011/07/25 UP

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