晴れても、曇っても

 玄関のドアを開け、安形は一瞬顔を顰めた。夜明け前の暗闇の中、地面だけが薄らと白く色付いている。足の先で地面を弾いてみれば、さらさらと粉雪が宙を舞った。
「寒ぃと思ったら、雪かよ・・・」
 ため息交じりに呟いて、安形はマフラーを口元近くまで持ち上げる。寒さに肩を竦め、滑らない様に気を付けながら足を踏み出しながらも、予定を変える気には全くならなかった。この後に会う人物の事を思うと、自然、安形の顔が弛む。

『・・・一緒に、初日の出を見に行きませんか?』

 電話越しにも関わらず緊張が伝わってくる声で言われた、数日前の椿の台詞を思い起こす。その瞬間、ギリギリまで何の申し出も無く、ずっと悩んで不貞腐れていた事も、安形の頭からすっかり吹き飛んだ。
――朝からって事は一日中時間があるって事だよなー。何処行こうか。
 浮かれながら歩く安形の頬に、冷たい物が触れる。怪訝そうに空を仰げば、続いて白い粒がふわふわと舞っていた。
「こんな日に雪とかって・・・あー、傘持ってきてねぇのに」
 ぶつぶつと言いながらも、指定された場所への歩調は弛まない。慎重に歩きながらも気付けば早足になってしまい、結果、安形は待ち合わせより予想以上に早い時間に約束の場所へとたどり着いた。
――まぁ、待つのも楽しいさ。
 チラつく雪を避ける為に適当な木に背中を預け、鼻歌混じりに空を見上げる。どんよりと曇っている所為で初日の出は拝めそうにないが、既にそんな事など安形に取ってはどうでも良い事だった。時間潰しの為に携帯を取り出して、操作を始める。約束までは後二十分程度。その程度なら、この後の予定を考えている間に過ぎてしまう。そう考えながら、安形は目を細めた。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 水滴の乗った携帯の画面を、安形は暗い表情で拭う。拭う先から降り注ぐ雪にまた画面が濡れ、苛々としながらも安形はメール画面を起動させた。

『椿が来ないんだけど、これは電話してもいいと思うか?』

 待ち合わせに時刻を過ぎたものの椿の姿は全く見えず、勢い安形は榛葉にメールを送る。暫くはそのまま待っていたが返信のメールは届かず、かと言って椿の姿も見えず、安形は募る苛立ちのままに同じ文面のメールを榛葉に再送した。
 それでも返信は来ず、七回目の再送をしようとして、安形は手を止める。メールを破棄し、代わりに別のボタンを押して携帯を耳に付けた。
「・・・・・・オレがこんな寂しいんだから、メール返せっ!」
『今、返信打ってたんだよ、馬鹿野郎ぉーっ! ってか、電話する位ならメール打ってくるな!』
 電話の向こうから響いた榛葉の怒鳴り声に、安形は一瞬、携帯を耳から離す。改めてそれを耳に当て、ぶつぶつと不平混じりの声を出した。
「んな事言われたって、椿が来ねぇんだよ。何かしてないと・・・色々考える」
『勝手に一人でうだうだ考えてろよ。得意だろ、そーゆーの』
「・・・・・・・・・あれ、ミチル。怒ってる?」
『怒ってない訳無いよね?! 今何時だと思ってる! 外、暗いよ?!!』
 電話の向こうから聞こえてきた声は、確かに寝起きのそれだった。安形は自分の腕時計を見て時間を確認すると、小さく頷いて返す。
「椿と日の出見に行く予定だから・・・確かに早いな」
『何を一人で納得してんの! 切っていい?!』
「椿が来るまでは付き合えよっ! オレは今、極限に寂しいんだよ!!」
『オレは今日、初詣に行ったその足で親戚回らないといけないんだよ! 正月はみんな忙しいって知ってる、安形?!』
「世間の枠に縛られないのが、オレだーっ!」
『言い切ってる場合じゃないよね!? それはただの常識知らずだーーーっ!!』
 直後、榛葉は咳き込んで、電話越しにその音が安形にも伝わった。大丈夫か?、と思わず言った安形に、更に榛葉が怒鳴る。
『誰の所為だよっ! 空気乾燥してる時期に怒鳴らすな・・・・・・所で、椿ちゃんと何時に待ち合わせしてたのさ』
 ある程度、怒鳴った所で落ち着いたのか、榛葉は本来の所に話を戻した。文句を言いながらも安形に付き合ってしまう辺り、人が良い事に本人は全く気付かずに。
「待ち合わせは六時だよ」
 苦虫を噛み潰した様な顔で、安形はそう答えた。暫くの間、電話の向こうで沈黙が響く。
『・・・・・・安形、今、何時?』
「あーっと・・・六時二十分?」
『二十分位、大人しく待てって思わない?』
「今日の日の出、六時五十一分なんだぞ? 間に合わねぇじゃねーか」
『どれだけ空曇ってるか分かってる? 諦めろ
「馬鹿野郎! 物事に絶対って無いんだよ! 可能性がゼロじゃない限り、オレは諦めねぇよっ!!」
『格好良い事言ってるみたいだけど、待ち合わせすっぽかされてる時点で凄く格好悪いからっ!』
「すっぽかされてねぇよ、オレっ!? まだロスタイム!! ロスタイムだからっ!」
『とうとう潔くも無くなったっ?! ・・・・・・なぁ、今、オレ気がついたんだけど』
 無意味な怒鳴り合いがまた続き掛けた所で、不意に榛葉が真面目な声で言った。調子が変わった事に気が付き、安形も表情を元に戻して電話を受ける。
『安形はさ、待ち合わせに遅れたりしたら、どうする?』
「ん? まー、相手にメールか電話するかな?」
『椿ちゃんだったら?』
「あぁ、アイツは律儀だからメールとかでなくて、電話すっだろ」
『お前さ、今、どうやってオレと話してる?』
「どうやってって・・・・・・」
 そこまで会話して、安形はサーッと顔色を青くした。目の端で耳に当てている携帯を見て、改めて息を吸う。
「・・・何でオレ、お前と電話してんだーっ!!」
『お前がかけてきたからだーっ!! 分かったら、さっさと椿ちゃんに連絡しろっ』
 その言葉を最後に、榛葉の方から電話が切られた。電話口から響く通話終了の音を聞きながら、安形は慌てて携帯を操作しようと持ち直す。
「つつ椿の番号・・・あ、その前にメールのチェック・・・あれ、ここじゃなっ、うわっ、変なトコ押したっ・・・」
 慌て過ぎて傍から見れば滑稽な程、安形はばたばたと携帯を弄った。メールが来ていない事を確認すると、今度は急いで椿へと電話を掛ける。
「・・・・・・会長っ!」
 コール音と耳に馴染んだ声とが重なって聞こえ、思わず安形は顔を上げた。人ごみの先、数メートルに、小走りで人を避けながら走る待ち望んだ人影が見える。数秒のタイムラグを置いて安形の着信に気付き、走りながらも椿は携帯を取り出した。
「あっ、椿!」
 携帯に視線を向けた所為で周囲への注意が疎かになり、椿は擦れ違う人にぶつかる。そのまま足元を雪に攫われ、椿は携帯を握り締めたまま豪快に雪の中へと沈み込んだ。
「大丈夫かっ」
 慌てて駆け寄って安形が膝を着くと、椿は雪の中から顔を上げる。半ば泣きそうな顔をして、情けない声で安形に謝った。
「申し訳ありません・・・その、」
「分かったから! まずは起き上がれ」
 起き上がるよりも先に謝り始めた椿の腕を取り、安形は引き起こしながら自分も立ち上がる。服に付いた雪を払ってやると、椿は表情を歪めたまま俯いてしまった。
「電車が・・・電話したんですが・・・」
「雪降ってる時点で電車遅れるだろうって分かるし、電話してたのはオレだし、だから」
 散々取り乱していた先程が嘘の様に、安形は落ち着いた様子で椿を慰める。その言葉に逆に更に落ち込んで項垂れる椿の顎を、ぐいと持ち上げた。
「いい加減、こっち見ろ」
「・・・・・・・・・ですが、ボクから言い出したのに、初日の出が」
 時刻は既に四十分を回っている。これからの日の出を見る予定の移動していては間に合わない。それを口にした事で、椿は更に落ち込んだ。所々に雪を被って寒さに赤くなった顔がやはり歪んだままなのを見て、安形はため息をついた。指先で雪を拭うと、椿の目が瞬く。瞬間、睫毛にも付いていた雪が熱に溶けて流れた。微かな涙の様に思えて、安形はそれを指の腹で拭う。
「オレは今日、椿の顔が見れて満足なんだけど・・・お前ぇは違う?」
 意地悪気に微笑んで顔を覗き込んできた安形に、椿は言葉を失ったまま微かに唇だけを戦慄かせて赤くなった。その様子に安形が可笑しそうにまた笑えば、今度は椿の顔が不貞腐れていく。くるくると変わる表情に安形は堪え切れず、椿の肩に頭を預けて小さく声を上げて笑った。
「・・・何で笑うんですか」
 肩口に響く笑い声に、小さな不満が返る。いやいや、と手を振りながらも安形が笑ってしまうのは、半分は安心したからだった。
「・・・・・・お前ぇが来てくれて、良かったって話」
「よく・・・分かりません」
 だろうな、と安形は呟く。待っている間に自分がどれだけ不安だったかなど、分からなくて当たり前で、
――分からなくて、いいんだ。
 一頻り笑い終え、安形は顔を上げた。ついでに、椿の頬を唇で掠めて。それはほんの一瞬の事で、往来を行き交う人の目には触れないだけの時間だった。ただ触れた相手だけは、それを認識する。
「・・・・・・会長」
「ん? 何?」
 呆然としたまま、椿が安形を呼んだ。それに晴れ晴れとした顔で、安形は応える。
「ボクは、こう言う場所でそう言う事をされるのは・・・好きではないのですが・・・・・・」
「うん、知ってる」
 安形の返答の後、暫く沈黙が降りた。椿はまだ手にしたままだった携帯をしまうと、右手で拳を作り、左手で確かめる様に包み込む。
「つまり、覚悟は出来てると言う事ですねっ!」
「待った! 椿、空っ!!」
 拳が振り上げられた瞬間、安形は椿の後ろを指差した。安形の顔面、数十センチ手前で拳を止め、椿は後ろを振り返る。目に飛び込んできたのは、やはり曇ったままの空だったが、切れ間が出来てそこから光が漏れ出ていた。
「あ・・・・・・」
 薄暗い街中に、白い幾筋もの光が、だからこそ輝いて降りている。その様に思わず椿は声を上げ、拳を下した。
「こう言う初日の出も、悪かねぇって思わねぇか?」
「・・・そう、ですね」
 身体ごと振り返って、椿は空を見る。ゆっくりと目を閉じて、また開き、景色が消えていない事を確認して。
「雲が流れてっから、すぐ消えるだろうけど・・・この場所で、この時間でしか見れないもんだよな、コレ」
 応える様に空を見詰めたままで、椿の手がそっと安形の上着の裾を掴む。触れられた手の感覚に、安形は目を細めて微かに笑う。
「明けまして、おめでとう」
「明けまして、おめでとうございます」
 確かに二人でそう言い合って、光が消えるまで空を眺め続けた。

2011/01/08 UP
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -