つまらない事で喧嘩をしよう 【後編】

 安形と椿の喧嘩から一週間後、家に帰った榛葉が自分の部屋に入ると、部屋の片隅に見慣れない物体が有った。
「来るなら、連絡入れろよ! オレ、今すっごい驚いたよ?!」
 いつからそうしていたのか部屋の隅で蹲っていた安形を見付け、榛葉は思わず鞄を取り落して叫ぶ。安形はゆっくり顔を上げると、覇気の無い声でそれに応えた。
「おばさんには挨拶したぞ」
「あー、母さん、電話中だったな」
 ため息交じりにそう言って、榛葉は床へと腰を下ろす。そのまま安形が口を開くのを待っていたが、一向にそんな気配は無く、安形はただぼんやりと天井を見上げていた。
「・・・・・・で、何しに来たの?」
 例の喧嘩の件では榛葉も少なからず怒っていた為、最初こそ無言だったが、結局は沈黙に耐え切れなくなって榛葉が口を開く。
「何って・・・家に帰りたくなくて」
「帰りたくないって、何でまた?」
 てっきり何か話があって来たのだと思っていただけに、驚きを隠せないままに榛葉は尋ねた。安形は一瞬顔を上げたが、また顔を伏せて暫く無言になる。
「椿がよー・・・居るけど、居ねぇんだ」
「居るけど居ない? よく意味が分からないんだけど・・・椿ちゃんが帰ってこないって事?」
 首を傾げながら、榛葉は問い掛けた。怪我の手当てをした後、椿は二人のマンションでなく自宅へと戻ると言っていた事を思い出す。
「・・・帰ってはいるみてぇ。掃除とかしてあるし」
 またちらりとだけ視線を向けて、安形は目を伏せてぼそぼそと話し出した。
「物が動いてたり、減ってたり、増えてたり。気配は有んだよ」
 部屋の風景を思い出しているのか、安形は自分の手のひらを開いて見詰め、握り締める。
「アイツの姿だけが、無いんだ」
 そう言って、安形は目を閉じて歯を食い縛った。握り締めた手を、額へと当てて項垂れる。
「居たくねぇよ、あんな部屋・・・」
 沈痛な面持ちの安形を見て、榛葉は微かに息を吐いた。少し考えて、だったら、と口を開く。
「さっさと謝れよ。椿ちゃんが何で怒ってたのか、分かってる?」
「分かってるよ・・・オレの体、心配してんだろ? それっくらいは、分かってんだ」
 結局の所、椿があれだけ怒ったのは心配の裏返し。榛葉にもそれが分かっていたからこそ、安形が謝らなかった事に怒りを覚えた。
「なら何で、謝らないんだよ」
 思わず榛葉がそう尋ねると、安形は、だってよ、と答を口にし掛ける。その瞬間、榛葉がハッとして言葉を遮った。
「待てっ! 聞いておいて何だけど、それってオレが聞くべきじゃないよ! 椿ちゃんに言ってっ」
「・・・・・・・・・」
 叫んだ榛葉に返された返答は沈黙。何の応えも無い事を不思議に思って安形を良く見ると、いつの間にか眠っていた。
――寝てません、って話?
 ベッドが広過ぎるだとか、椿が帰ってくるのを寝ずに待っていただとか、その辺りの理由だろうと、榛葉は呆れてため息を漏らす。
「それだけ好きなら、折れればいいのに」
 呆れながらも榛葉は、自分のベッドから布団を剥ぎ取ると安形に掛けた。自分も大概お人好しだと思いながらも。
「一緒に暮らすって言うのは、やっぱり簡単じゃないって事かな・・・」
 ため息をまた一つ漏らす。そして榛葉は、携帯を手にしてそっと部屋を後にした。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ** * *

 マンションのドアに鍵を差し込み、音を立てない様にゆっくりと回す。慎重にドアノブを回して、そっとドアを開け、そして椿は中の様子を窺った。
――居ない・・・
 玄関に靴が無い事を確認をしてほっと安堵の息を漏らすと、椿はなおも息を殺してドアの間から身体を滑り込ませる。家の中に人の気配が無いかを注意深く探ると、漸く靴を脱いで廊下へと足を上げた。

『安形、寝てないみたいだよ』

 電話で榛葉から告げられた言葉が頭を過る。時々、今の様に帰っては部屋の中を片付けては、碌な食事をしていないと気付いていただけに、会話もそこそこに椿はマンションに足を向けた。それでも、マンションの前で数時間、迷いながら佇んだ。思い切ってドアの前に立ってみたものの、足が竦んで更に何時間も動けないでいた。寒さよりも別の物に耐え切れなくなって鍵を取り出して、そして今、安形が居ない事に安心してしまった事に下唇を噛む。
――やっぱり、まだ顔が見れない。
 喧嘩をしたから、謝って貰えなかったから。そんな簡単な理由では無かった。一緒に居たくて暮らし始めて、少しでも長く居たくて我慢をしていた事。ずっと胸に押し留めておけば良かったのに、あの瞬間にそれが全て唇から零れてしまった。後悔を思い返しながら、椿は手に残る傷を見る。
――この傷と一緒だ。
 二度と仕舞えないのが、言葉。無かった事に出来ないのは、きっとこの傷と同じ。指先で傷に触れて、椿は目を閉じて痛みを感じた。背後でカチャリと鍵の閉まる音が響いたのは、椿がそうして廊下に立ち尽くしていた瞬間だった。
「!!」
 慌てる椿の耳に、ドアを開こうとして鍵がそれを邪魔する音、そして再度鍵を開ける音が響く。
「・・・り、オレ、鍵掛け忘れてた?」
 不思議そうな声と共に、ドアから安形が顔を覗かせた。振り返ってドアを見ていた椿の姿を、安形が捉える。
「つばき・・・」
 安形の声に、椿は反射的に逃げようとドアに背を向けた。短い廊下を走って部屋に飛び込んだものの、そこから先には逃げられないと気付いて廊下と部屋とを分ける戸を閉めようとする。
「ざけんなっ!」
 怒鳴り声が響き、閉まる寸前に戸の隙間に手が滑り込んで勢い良く開かれた。数歩下がった椿の腕を、逃すまいと安形が掴む。
「離して下さいっ」
 安形の手を振り払って椿は叫んだ。しまった、と思って安形を見上げると、驚いた表情から怒りのそれへと変わる様が目に飛び込む。
「・・・いい加減にしろよ」
 押し殺す様な静かに低く響いた声が、怒りの程を示していた。どうしていいか分からずに身を竦ませた椿の胸倉を、安形が片手で捩じる様に掴み上げる。そのまま勢いを付けてベッドの上に身体を叩き付けられて、更に身体を固くして椿はきつく目を閉じた。ギシ、とベッドが軋むのと同時に、自分の上に重みが圧し掛かる。
「オレから逃げようとしてんだよな、お前ぇ」
 椿のシャツの中央、ボタンで留められている隙間に安形の両手が掛かった。
「っ・・・あ、がた、さ・・・」
 怯えに声を震わせながら椿が目を開けると、安形が冷たい瞳で見下ろしている。
「外、出れねぇ格好にしてやるよ」
 低い声を響かせて、安形は一気に両手を左右へと引いた。ボタンが弾け飛んで、椿が再び目を瞑る。そのまま乱暴に素肌を手が這い、首筋に噛み付かれた。
「・・・あ・・・ぅ・・・」
 きつく閉ざされた瞳に涙が滲み、覆い被さる安形の肩を椿が掴む。それを撥ね退けて、安形の手が今度はベルトへと伸びた。口付けも無いままに成される行為に、椿はベッドのシーツを握り締め、歯を食い縛って耐える。視界を閉ざしている所為で、肌を滑る手も舌も別人の物に思えながらも、それは彼の人の物だと言い聞かせながら。
「・・・・・・・・・?」
 そうして震えていた身体から、不意に重みが遠ざかる。突然の事に、恐る恐る目を開けば、涙で歪んだ視界の中で安形が椿の身体の脇に両手を着いたまま項垂れていた。
「・・・・・・何してんだよ、お前ぇ」
「え・・・・・・?」
「何で我慢してんだよっ!」
 安形は顔を上げて、椿に怒鳴り付ける。声にこそ驚いて一瞬、びくりと身体を震わせた椿だったが、安形の眉が泣きそうに歪んでいる事に気が付いて、掠れた声で安形の名前を呼んだ。
「安形、さん・・・」
「恋人だろーが何だろーがムリヤリ犯られ掛けてんだぞ? 抵抗しろよ。止めろって言えよっ!!」
「安形さん・・・」
「ずっとずっと、そうやって一年近くも我慢してきたってのかよ! ふざけんなよっ・・・」
 握り締めた拳が、ベッドに叩き付けられる。それでも安形の言葉と表情に魅入られて、椿は驚く事も出来なかった。
「・・・知らねぇ間にお前ぇに我慢させて、ある日突然それ突き付けられて」
 苛立ちに、安形の顔が更に歪んでいく。
「オレがどんな気持ちになんのか、考えた事あんのかよ?!」
 叫ばれて、身体を抱き締められた。その腕の強さが、気持ちの程を表している気がして、自然に椿の腕が安形の背中に廻される。
「一緒に暮らしてんのに、これじゃ同じ部屋に一人ずつ暮らしてる様なもんじゃねぇか・・・」
――ああ、
 強く強く、身体を抱き返す。
――間違ってた・・・
 違う涙が滲んで、視界がまた歪んでいく。
「好きだよ、佐介・・・一番大事に、してぇよ・・・・・・」
「・・・すみません。安形さん、すみっ・・・・・・」
 感じる重みが、今日初めて温かく感じた。それを握り締めて、抱き締めて、椿は何度も謝り続けた。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ** * * * *

 再び椿が部屋に戻ってきて、何とか二人でクリスマスイブを迎えられて安心していた安形は、当日にふと重要な事を思い出した。
「やっべ、ケーキの事、すっかり忘れてた・・・」
「・・・・・・榛葉さんが作ってくれてますよ」
 年末の忙しさもあり、すっかりケーキの存在を忘れていた事に青くなる安形を見て、呆れ気味に椿が口を開く。その程度の存在の物で、あれだけの大喧嘩をしたのかと思うと、自分自身にも呆れ帰った。
「その様子だと、榛葉さんに連絡入れてないですよね?」
「お、おぅ・・・普通に忘れてた・・・・・・」
「ボクらの事に巻き込んで、何の連絡も無しなのは、ボクはどうかと思いますよ!」
 安形を睨み付けて、椿が怒鳴る。それに対して安形はすまなそうに謝り、今度連絡を入れると返した。
――翌日が怖くて出来なかった事を、今してる・・・
 きちんとして下さいね、と念押しをしながら、椿は不思議な気分に陥る。あれから少しずつ喧嘩もする様になり、けれど何処か前よりも上手くいっていた。始めてみれば簡単な事だったのに、怖気付いて怯えていたのが嘘の様だと思える。
「分かったよ。所で、結局ケーキって何になったんだ?」
「そう言えば、聞いてなかったです。折衷案にした、と言われてたんですけど」
 椿はそう言いながら、冷蔵庫の中のケーキの箱を取り出した。机に置いて、その蓋を開く。そこには二つ、クリスマス仕様に飾り付けられたカップケーキが入っていた。
「クリームは生クリームみたいですね」
「あ、これ、チョコチップ入ってるわ」
 チョコチップの存在を目敏く安形が見付け、指を差す。一応は両方の意見を合わせた苦肉の策と言った所なのだろう。
「でもこれ、オレの要望はかなり低く見積もられてる気がする・・・」
「それは・・・ボクには分かりません。あ、メッセージカードが入ってますよ」
 安形の言葉は薄々椿も感じていただけに、言葉を濁して話題を変えた。カードにはコック帽を被った榛葉の自画像と『Merry Christmas! 仲直りおめでとう』の文字が書かれている。
「・・・だ、そうです」
 文字を読み上げた椿が、ふとその下に掛かれていた追伸に気が付いた。
「あと、『P.S.余った生クリームも入れておくから、良かったら使ってね』と」
「・・・・・・・・・ミチル、ファインプレイ!」
 椿の口からその言葉を聞いた安形が、瞳をきらきらさせながら拳を握り締める。何故安形がそんな行動を取るのか理解出来ず、椿が不思議そうな顔をした。
「どうして、ファインプレイなんですか?」
 椿は安形を見上げてると、小首を傾げる。その様子を見て安形は意地悪そうに小さく笑い、椿のこめかみに軽く口付けた。
「そりゃ・・・・・・後で実地で教えっから」
 良く分からないなりに安形が楽しそうにしていたので、思わず椿は擽ったそうに笑う。その後、自分に降り掛かる災難には気付かず、それならと椿は生クリームが入った容器をわざわざ冷蔵庫に仕舞うのだった。

2011/12/27 UP
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