つまらない事で喧嘩をしよう 【前編】

 クリスマスを二週間前に控えた静かな日曜の昼下がり。とある清閑なマンションの一室で、
「だからよっ、意見が分かれるってのは仕方が無いけど、何でオレの意見が却下されなきゃいけねぇんだよ!」
「ですから、何度も言ってるじゃないですかっ! 何で何回も同じ事を言わないといけないんです?!」
 壮絶なバトルが繰り広げられていた。小さな座卓を挟んで怒鳴り合っているのは、今年の春から椿の卒業を機に一緒に暮らし始めた、安形と当人の椿。そして、向かい合って怒鳴り続けている二人に声も掛けられず、俯いて正座している榛葉だった。
――どどどど、どうしよう・・・何で、こんな事に・・・・・・
 冷や汗を掻きながら、榛葉は居た堪れない気分で床を眺め続ける。

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 事の起こりは数十分前。近くに寄ったからと二人の暮らすこの部屋に、榛葉が遊びに来た。それはいつもの事で、普段通りに会話が流れていたはずだったのだが・・・
「そう言えば、二人はクリスマスのケーキ、どうするの? まだ予約とかしてなければ、オレ、作るけど」
 会話の内容が今年のクリスマスの事になり、二人が付き合い出してゆっくりとクリスマスを迎えるのは初めてだと言われたのを聞き、榛葉は改めて何かをしたいと思った。なら自分が得意な料理で何か、と。それは多分、二人に伝わっていたらしく、安形と椿は二人して視線を交わして微笑んだ後、同時に榛葉に向かって口を開いた。
「んじゃ、ブッシュドノエルってヤツ」
「ショートケーキをお願いしても、いいですか?」
 瞬間、榛葉の視界の中で微妙に椿の眉が動く。少し強張った顔で、椿は一呼吸置いて安形に顔を向けた。
「・・・・・・普通のオーソドックスなケーキじゃ駄目ですか?」
「折角、ミチルが作ってくれるんだし、どうせならクリスマスらしいのが良くねぇ?」
 椿の小さな変化には全く気付かず、安形は浮かれた顔でさくさくと自分の意見を述べる。
――安形っ、椿ちゃんはやんわりとお前の意見否定してるよ! 気付いて、早く!!
 それを見ながら、榛葉は心の中で必死に友人にアイコンタクトを送るものの、主は全く気付く気配も無かった。
「その・・・夕飯はオードブル頼むって言ってましたよね? 余り重いケーキでは・・・それに、榛葉さんも忙しいのに、そんな凝った物を頼むのも」
 考え込んだ安形を見て、
「あー、そうだったな。じゃあ・・・」
 榛葉はやっと気が付いたのかと安堵する。けれど、次の瞬間にそれが間違いだった事を思い知った。
「・・・ガトーショコラ」
――あがたぁぁぁっ! 何でそこで椿ちゃんの案を拾わないの?!
「・・・・・・重いケーキは、どうかな、とボクは言ったつもりだったんですが」
 そろそろ表情を隠し切れなくなってきた椿が、それでも声を抑えつつ安形に言う。その様子に漸く気付いた安形が、半ば不思議そうな顔を椿に向けた。
「そこまで重くもねぇだろ」
「・・・・・・・・・・・・重いですよっ!」
 椿が我慢し切れず、激しい声を響かせる。それに一瞬安形は驚いたが、次の瞬間には怒鳴られた事にカチンときて、表情を硬くした。
「怒鳴る事でもねぇだろ。大体、ホールケーキなんて二人で食い切れねぇし、残ったら次の日でいいじゃねぇか」
「次の日に持ち越しても、食べる量は変わりませんよね? そんな大量に甘い物取るのはどうかな、とボクは日頃から言ってるんですが・・・」
「そんな大量って程かぁ? 高々、ホール一個だろっ」
「十分です! 普通のケーキでも凄い糖分なのに、何でチョコレート系とかに走るんですかっ! あと、ずっと思ってたんですけど、安形さんはコーヒーも凄い飲みますよね? 一日に何杯飲んでます? コーヒーは刺激物なんですよっ」
――うわぁ、椿ちゃん、そこで違う話混ぜたら駄目っ! 話、スライドさせると、収拾がつかな・・・
「何て? 今、コーヒーとか関係無ぇだろーが! どうしてここで違う話出してくるんだよっ」
――安形ぁっ! 椿ちゃんの案を拾わないで、何でそんな所を拾うっ?! 流せよ、そこはぁっ!!
「ボクに取っては同じですよ! それだけじゃなくて・・・」
 あからさまに日頃の鬱憤が爆発した椿の口から、次々と安形に対する不満が漏れ始める。それに対して安形も一々反論をし始めて、

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 現在に至っていた。そもそもの喧嘩の原因が自分なだけに、榛葉はハラハラとしながらもその場を動けず、ひたすら黙って二人の怒鳴り合いを聞く。気が付けばヒートアップし過ぎた椿が、座卓に手を突いて腰を浮かせた状態で安形に詰め寄っていた。
「・・・だから、ずっと言ってるじゃないですかっ! 糖分も刺激物も過剰に取れば体に良くないんです!!」
「何回も聞いてるし、その度に量減らし・・・」
「その時だけで三日後には元に戻ってるから、ボクは何度も言う羽目になるんですよっ!」
 流石に言葉半ばで叫ばれた安形が、うんざりとした表情を浮かべる。いい加減、怒鳴り疲れた事もあり、投げ遣りな態度で椿に言い放った。
「あーもう、分かったよ! んじゃ、オレどうすりゃいいんだ?」
 手をひらひらとさせ、言ってみろと態度で示す。それを見た椿の拳がぐっときつく握られるのを見て、榛葉は反射的にその場から後ろへと後退った。その行動は間違っておらず、椿の握り締められた拳が高く掲げられる。
「そんな言葉が出る時点で、既に分かってないって事ですよ!!」
 振り上げられた拳は、勢い良く座卓へと叩き付けられた。衝撃に耐え切れなかった座卓が、真ん中から真っ二つに圧し折れる。
「つつつつ椿ちゃんっ、割れたっ、机、割れたっ!」
 驚いて思わず榛葉が口を開いた事で、椿がはっと我に返った。第三者の存在を忘れていた事に気不味い思いをしながらも、それでも安形への怒りが収まらないのか唇をぎゅっと横一文字に結んだまま、拳を震わせている。
「お前ぇ・・・」
 流石に安形も呆然としていたが、割れた机を見て口を開いた。やっと本気で謝るかと榛葉がホッとし掛けた矢先、安形の口から信じられない言葉が飛び出る。
「・・・この机、気に入ってたのに何て事してくれんだっ! 現品限りだったから、同じのもう手に入らねぇんだぞ!」
「馬鹿か、お前ーっ! 今はそれ所じゃないだろ!!」
 思わず榛葉は心の中だけでなく、声に出して安形に突っ込んだ。それに対して安形が、オレは悪くねぇよ、等と言ったものだから、当然、椿は抑え込もうとしていた怒りが再燃し、榛葉の脳裏に見なくても分かるほど椿の表情がありありと浮かぶ。
「知りませんっ! もう、好きにしてくださいっ!!」
 それだけ言うと、椿は立ち上がって部屋を出て行ってしまった。追い駆ける素振りも見せない安形とおろおろとしている榛葉の耳に、玄関の鍵が開く音と乱暴にドアが閉められる音が響く。
「あーがーたー・・・・・・」
 榛葉が責める口調で名前を呼ぶと、その段階で漸く、安形の顔にしまったと言わんばかりの表情が浮かんだ。今更そんな表情を浮かべる安形をじっと睨み付けると、安形は悪戯が見つかった子供の様に榛葉から目を逸らす。
「・・・どうすんの? 謝るの??」
「正直、謝りたくねぇんだけど・・・」
 ぼそりと言った安形に、榛葉は呆れて大きく口を開いた。この期に及んで何の意地かと、頭を痛めながら、取り敢えず安形の胸倉をぐいっと掴む。
「お前、ここまできて、それ?」
「アイツの言いたい事も分かるけど・・・・・・あんな言い方されて、オレが我慢して謝って終わりっての、納得出来ねぇ」
 その一言で、今度こそ榛葉は心底呆れ、安形を殴る事すらせずに手を離した。表情を消したまま無言で立ち上がり、壁に掛けてあった椿の上着を手に取る。
「おい、ミチ・・・」
「椿ちゃんと同意見。勝手にしろよ」
 それだけ言うと、榛葉は振り返る事も無く椿の後を追って部屋を出て行った。残された安形は、怒りのままにピシャリと閉められた戸を眺める。独り固く口を結んだまま頭を抱え、そして目を閉じると深いため息を一つ、吐き出した。

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 椿を追ってマンションを飛び出した榛葉は、程無く目的の人物の背中を見付けた。思わずため息が漏れる程小さくなっている背中は、寒さに耐えられないのか自分自身を抱き締める様に手のひらで両腕を掴んでいる。
「椿ちゃん、上着」
 呼び掛けて振り返った顔は、寒さの所為だけで無く赤くなっていた。歪んだ眉が、泣く一歩手前である事を告げる。
「すみません・・・折角来て頂いたのに、こんな・・・」
「いや、あれは安形が悪いから」
 真実思った事を口にしたが、椿はそのまま俯いて無言になってしまった。榛葉は椿の背中にそっと上着を掛けると、慰める様に背中を軽く叩く。先程の安形の言葉を告げようかと口を開いたものの、他人の口から聞く事の無意味さを思い、そのまま口を閉じた。
「・・・・・・手、大丈夫?」
 代わりに叩き付けた拳を気遣って、椿の顔を覗き込む。一瞬見た拳は、破片で擦ったのか軽く血が滲んでいた。
「はい、平気で・・・っ・・・」
 椿の言葉が詰まり、深く顔が下へと沈み込む。そのまま地面に落ちた雫に気付かない振りをして、榛葉は空を見上げた。
「手当するよ・・・家においで」
――二人とも、意地を張り過ぎなんだよ・・・
 ため息を飲み込んで、心中で微かにぼやく。それでも、二人とも引けない理由が何となく分かってしまうだけに、榛葉はそれに気付かない振りを続けるしかなかった。

2011/12/26 UP
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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