それだけの話

 必要科目の授業を終えた榛葉が廊下を歩いていると、廊下の窓際でぼんやりと外を見ている見知った姿を見付けた。生徒会の会長の役も降り、身軽になったはずなのに、その姿は自由の中で動けずにいる様に見える。
「安形」
「ん?」
 声を掛けると、安形が榛葉に視線を向けた。いつも通りに笑って見えて、酷くそれが空々しい。
「何かあった?」
「なんも・・・別に、寒くなったなぁ、とかって」
 憂いも含んだ顔に、榛葉は思わず、隣が?、と聞きたくなって苦笑した。心中を察せられるのを嫌ってか、安形の視線が榛葉から逸れる。しかし、その視線は向かいの棟の窓の一つで一瞬止まり、すぐに下を向いた。
「・・・椿ちゃんだね」
 榛葉も視線を動かせば、今は生徒会長の腕章を腕にした椿がそこに居る。
「だな」
 榛葉の言葉に素っ気無い返事を返した安形は、そのまま窓と窓との間を埋める柱に背中を預けた。自然、向かいの棟からは安形の姿が消える。
「隠れるとか、どうかな、と思うよ」
「隠れてねぇよ。見つからない様にしただけ」
 背中を預けたコンクリートは更に身体を冷やすのに、それでも安形は軽く笑った。それを見た榛葉の顔から苦笑すら消え、怒っているとも取れる表情に変わる。
「窓から手を振るとか、それくらいしたら?」
「・・・・・・・・・」
「無理に距離、取ろうとしてない?」
 榛葉は最近感じていた疑問を、率直に安形に投げ掛けた。無言を貫くかと思えた安形だったが、いや、と天上を見上げて軽く声を上げる。
「無理にって事ぁねぇよ。どっちにしろ、オレは」
 天上を見る振りで何処か遠くを見ている安形に、今度は榛葉が無言になった。周りは放課後の空気に騒めいているのに、二人の周りだけが切り抜かれた様にやたらと静けさを帯びる。
「もう旧体制の人間だからさ」
 榛葉の目の端で、椿は新しく入った生徒会の一員と話をしていた。安形に付き従っていた彼しか知らない榛葉は、後輩に真剣な眼差しで色々と指導している椿の姿に、頼もしさと同時に一抹の寂しさを感じる。それ以上に安形の言葉にも。
「あいつが真剣に新しい組織作ってんだ。昔の人間があれやこれやなんて、な」
 手出しも手助けもしねぇよ、と呟いた安形の顔に、彼に対して時折感じる怒りが滲み出た。ぎゅっと下唇を噛むと、罵倒の準備を始める為に息を吸う。だが、そんな榛葉の心の中で、ふと脳裏を過ぎった記憶に、言葉を一時止めた。
「・・・・・・カッコつけの馬鹿野郎」
 それでも罵倒はしておこうと、用意した言葉を投げる。図星を突かれた安形が、口を歪めて目を閉じた。
「あんま、椿ちゃんの事を馬鹿にするなよ?」
「どう言う意味だよ」
 何故、急にそんな台詞が出てきたのかと戸惑う安形に、榛葉は見下す様な視線を向けながら、思い返す。『ほんの』なのか『もう』なのか、分からない数ヶ月前の記憶。まだ自分も安形も生徒会の人間だった、あの時の出来事を。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 いつもと同じに談笑していた榛葉が、その視線に気付いたのは偶然か必然か。彼のスキルを考えれば、後者なのだろう。教室や廊下でそうするのと同様に、安形の肩に手を置いて笑い転げていた榛葉に、一瞬突き刺さった視線。おや、と軽く目を動かせば、それは逃げる様に動き、視線の主は気不味そうに下を向いた。小さな嘆息を漏らし、榛葉が安形から離れると、少し安堵しているのが感じられる。
――難しいよなぁー。
 苦笑いを顔に貼り付けて、榛葉は自席へと戻った。考えつつも手を動かして仕事をする合間に、他の人間とも会話を重ねる。
――男同士で恋人ってのも、考え物だね。女の子だけじゃなく、男も恋敵になり得るんだから。
 後輩を悲しませる真似はしたくない。けれども安形は親友だ。どうにも思っていない相手なら、距離を置いて安心もさせられるが、榛葉にも譲れない部分はある。
――ごめんね。椿ちゃんも大事なんだけど、安形も大切なんだよ。
 時折刺さる視線の意図をそう解釈して、榛葉は心の中だけで椿に謝った。自分と安形の距離が近付くと無意識にきつい視線が飛び、それに榛葉が気が付けば、椿は榛葉が気付いた事で自分の無意識に気が付いて――自責に駆られて俯く。
 何度かそんな遣り取りを繰り返し、ある日とうとう榛葉は我慢が出来なくなった。視線に対する憤りは無い。むしろ、気の毒になる程に自分を責めているのが分かる椿に、憐憫の情が湧いたからだ。
「あのさ、椿ちゃん」
 辟易とした表情で両手を組んで、榛葉はその上に顎を乗せる。安形すら居ない、珍しく椿と二人だけの生徒会室で、榛葉の声が響いた。
「オレは椿ちゃんの事も好きだから、あんまり睨まれると、へこむよ?」
「あ、の・・・・・・」
 瞬時に困り顔になった椿に、榛葉はやれやれとため息をつく。安心させようと、更に言葉を続けた。
「嫉妬するななんて言えないけどさ・・・安形に近付く人間全部にそうしてたら、椿ちゃんが磨り減っちゃうよ」
 安形の隣で話をするのは自分以外にも居る。それ全てにこんな風に反応していたら、椿がどうにかなりそうだと思って、榛葉はそう言った。
「安形は椿ちゃんしか見えてないし。古い付き合いだから分かるけど、椿ちゃんは凄く安形の特別だよ?」
――これで少しは安心してくれればいいけど。
 だが榛葉の思惑に反して、椿は安心する所か逆に泣きそうに顔を歪めた。手にしていたバインダーを立てるとそこに顔を隠し、榛葉から表情を遮る。
「椿ちゃん・・・」
「・・・・・・榛葉さんだって、特別です」
 呼び掛けると呼応する様に、震える小さな声が耳に飛び込んできた。はい?、と思わず榛葉は微妙に嫌そうな表情で首を傾げる。
「ずっと古くからの付き合いだから、榛葉さんは気付いてないですけどっ」
 顔は見えない。けれど、代わりに震えている手が見えた。それがきっと自己嫌悪の震えだと気付いて、榛葉は椿の次の言葉を静かに待つ。
「榛葉さんは会長と話す時、凄く優しい顔になるんです! 会長もっ・・・」
 椿は安形に近付く万人に嫉妬しているんだと、単純に思っていた。それは全くの勘違いもいい所で、実は榛葉と言う一個人に対する物だと、漸く彼は気が付く。
「・・・榛葉さんには子供っぽくなって、甘えるみたいに、するんです。ボクの事は、子供扱いするくせに・・・・・・」
「その、安形が恋人を甘やかすタイプなだけで、子供あつか・・・」
「でもっ、ボクは、会長と、対等で居たいんです・・・っ!」
――あーあ・・・
 思い違いに後悔をしても、時間は最早戻らない。半ば榛葉が無理矢理引き出させた言葉に、椿自身が傷付いて泣いていた。気不味い思いで俯いて、榛葉は言った言葉が戻せない事を悔やむ。
「ごめんね。オレ、一番最悪な慰めしちゃった・・・」
――ホント、椿ちゃんは良く見てる・・・・・・オレと安形は、確かに対等だね。
 付き合いが古いだけではない。対等でなければ、友情なんて続かない。お互いがお互いを認めて立つ場所に、椿は嫉妬していた。なのに榛葉は、それを誇示する慰めを椿に突き付けた。些細な言葉が、最大の凶器になる。言葉は脆くて、そう言うものだと分かっているつもりでも結局は言葉で人を傷付けた現実に、榛葉も泣きそうな気分になっていた。
――安心して欲しいって・・・上から目線で何て物言いになってんだって感じだよな。
 たとえ心が違っていても傍から見ればそうなるのなら、それが真実に成り得る。現実はそうだと痛みを感じた事が多々有って、なのに忘れてまた間違いを積み重ねた。そんな自分に辟易としている榛葉に、涙声が被さる。
「・・・謝らないで下さい。榛葉さんが悪いんじゃないんです」
 顔を少し上げれば、バインダー越しに震える声がただ、続いた。
「会長だってボクが知らない昔が在るんです・・・そこに誰かが居たから、今の会長が居るんです。それが、ボクが、好きな人、なんです」
 だから、と響く声が、今の榛葉の過ちと、そして過去のそれとを許している気がする。
「あの人の過去の何かに、嫉妬するボクが・・・悪いんです・・・・・・」
 積み重ねられた時間。そこに在った想い。そこから出来た、人と為り。だからこそ続く関係。立ち入れない立ち位置の意味。起因する全てを鋭く見て、感じ入って、それ故の嫉妬。
――もう、嫌になるなぁ・・・
「椿ちゃんは、ほんっっっと、安形が好きなんだね」
 榛葉の唇から、笑みとため息が漏れた。驚いた椿が、バインダーから少し顔を覗かせる。涙に濡れた目が、微かに見えた。
「安形が椿ちゃんを凄く好きで、」
――・・・どうしようか、ちょっと、
「椿ちゃんが本当に安形を好きで、」
――寂しいじゃないか。
「だから、オレが出来ない事、椿ちゃんが安形にしてあげれるんだ」
 親友だから嫌になる部分が有った。それを解って欲しくて、そして変わって欲しかった。けれど言葉はいつも飄々とかわされて、届く事はなかった。
「椿ちゃんが安形を好きになってくれて、良かった」
――嘘じゃ、ない。
 椿だけが、それを届けた。そして変わった親友。それを見て、嬉しいと思うのに。
「オレじゃ、安形の後ろ向きな所、どうにも出来なかったもの。椿ちゃんは・・・やっぱり、特別だよ。オレじゃなかったってのは、実は・・・・・・悔しいけど、ね」 気付いてしまった自分の内面が、少し恥ずかしく思えた。気付けば言葉を吐き出す自分の手も震えている。自分の嫌な心と向き合うと、震えが走るんだ、と榛葉はそう実感した。
「・・・・・・も、です」
 震えている拳を頑なに手で覆っていた榛葉に、声が掛けられる。やはりまた、バインダーの向こうに隠れてしまった椿から、思いも拠らない言葉が聞こえた。
「榛葉さんも、特別です。榛葉さんが居なければ、その・・・会長は凄く鈍感と言うか・・・思い込みが激しいと言うか・・・」
「・・・馬鹿な奴なままだった、とか?」
「・・・・・・・・・それですね。あの人のそう言う所は、ボクにはどうにも出来ません」
 本人が居ない事を良い事に、二人して酷い話をする。何となく可笑しくなって、最初に榛葉が、それに釣られて椿が笑い始めた。
――ああ、今、初めて、
 笑い過ぎて二人して、涙が出る程に。
――椿ちゃんと人間同士の話が出来た気がする。
 ここに居ない人物の背中が見える。お互いにその両脇に立って、そっちがいい、そっちの方がいい、と言い合ってくるくると位置を変える。人から見れば馬鹿馬鹿しいダンス。けれども真剣な、位置の奪い合い。一人の人間越しに踊りながら、けれどいつしか手を取り合う。
「・・・・・・アイツの恋人が、椿ちゃんで良かった」
――ちゃんと、オレ自身が好きになれる人間で、良かった・・・
 そして榛葉は、ありがとう、と一言だけ言った。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 おい、と声を掛けられ、榛葉は今現在に引き戻される。不意に黙り込んだ榛葉を、安形は不思議そうな顔で見ていた。
「だからさ、結構、椿ちゃんはちゃんと見てるんだよ」
 目の端で、椿が榛葉の姿を認めたのが見える。あの位置からは安形は見えないはずなのに、榛葉の頬に慣れた視線が突き刺さった。
――安形がオレを見る時、どんな顔するかだとか、
 ゆっくりと目を閉じて、そしてまた開ける。合点のいかない顔をした安形の顔が、榛葉の目に映った。
――オレが安形を見る時、どんな顔をするかだとか、
「見てるんだ・・・それだけの、話だよ」
 視線は安形に向けたままに榛葉が視界の端だけで捉えた椿は、少し慌てた様子で後輩に何かを言って、渡り廊下のある階段へと小走りに向かい始める。
――ほら、気付いた。オレの前に誰が居るか。
「じゃあ、オレは帰るから。お前は後五分はここに居ろよ」
「? 何でだよ」
 安形の顔に榛葉は、苦笑して肩を竦めた。今、安形と賭けをすれば、勝てる気すらしてくる。たとえ相手の事を思いやっての行動でも、相手の気持ちを置いてきぼりにする様な行動を取るなと榛葉が怒鳴るよりは、きっと椿に殴られた方が安形の為になるだろう。五分後にこの場で現実になる光景を思って、その前に安形の隣から離れた。
――オレが馬に蹴られたくもないのもあるけどね。
 譲る為に離れた背中を、榛葉は少し寒く感じる。それでもまた自分がここに戻る時もあるんだと思うと、何処か戦友に背中を預けた気分にもなっていた。

2011/10/22 UP
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