岐路

 安形が生徒会を引退してから数週間。毎日会う事は無くなっていたけれども、それでも時折、安形はふらりと椿の前に姿を現していた。現在は休日の椿の部屋へと上がり込み、楽しい時間を過ごそうと目論んでいたのだが。
「・・・・・・・・・」
 何故か椿はむっつりと黙り込み、クッションを抱えたままベッドに背中を預け、浮かない顔をしていた。
「椿ぃ〜・・・急に押し掛けて悪かったよ」
 アポ無しでいきなり訪れた所為で機嫌を悪くしていると考え、安形は何とかそれを修正しようと猫撫で声を上げながら椿に近付く。それでも全く微動だにせず、ぼんやりとしている椿に、安形は軽く首を傾げた。
「・・・椿? おい、聞いてるか?」
「えっ? す、すみませんっ!」
 真横近くから声を掛けて漸く、椿は顔を上げる。向けた顔が安形のそれに触れそうな距離にある事に動転して、椿は慌てて背中を逸らせた。
「わわっ!」
「おいっ」
 その所為でバランスを崩して後ろに倒れ掛けた椿の身体を、安形は慌てて腕を掴んで支える。驚いた表情のまま、椿はもう片方の手を床に突き、身体を支えた。
「どうした? 何かあったか?」
 安形の言葉すら耳に入らず、下手をすれば安形が来た事さえ上の空で受け取っていた椿に、心配げに安形の眉が顰められる。眼差しの意図に今度は、椿の顔が泣きそうに歪んだ。床に触れていた手に力を入れ、椿は身体を前へと傾けると、そのまま安形の胸の内に頭を押し付ける。滑らかなうなじを見ながら、安形がまた、おい、と声を掛けた瞬間、同時に椿の唇が開いた。
「ボクは・・・」
 震えているのは声なのか、喉なのか。音が空気を震わせるのだと変に実感しながら、安形は言葉の続きを待つ。
「・・・ボクがしている事は、正しいのでしょうか?」
 掴んでいたままの腕に、椿の腕が絡まってきた。その次に、もう片方が服の裾を掴む。
「加藤を見ていると、伝えたくなる。お前は独りじゃない、と、ただ伝えたくて・・・」
――加藤・・・新しい庶務、だったけな。
 外野から少し聞いた新庶務との確執を思い起こし、安形の瞳がゆっくりと伏せられ、また開かれた。それに気付く事も無く、椿は呟きに近い告白を続ける。
「それは唯のボクのエゴなんでしょうか? ボクは・・・何かを成し遂げたくて生徒会に入って・・・独りで何とか出来るとずっと思っていて・・・・・・結局は、何も出来なくて」
 過去の自分を振り返る所為なのか、触れている指先が微かに震えていた。視線を動かせば、その細い肩も同じ様に小刻みに震えて。
「・・・・・・みんなが手を差し伸べてくれて、初めてそこで何かが出来た。そこで漸く、」
 震えながらも指先が、きつく服の下の肉を握り締めてくる。歯噛みする音さえ聞こえてきそうな静けさに、安形は息を潜め、言葉だけに聞き入った。
「ボクはずっと、仲間が欲しかったんだと気付いて・・・・・・加藤にも、同じに気付いて欲しいと思うのは、唯の押し付けでしょうか? 所詮は他人の中に自己を見る、唯の傲慢に過ぎないんでしょうか?」

――これは正しいのですか?

 最後に続くはずの言葉は、そのまま喉の奥に仕舞い込まれた。道標も無く歩く闇の道の様に惑う中、唯一の明かりが欲しくて投げ掛けた言葉に、何一つ返答は返って来ない。いつまでも明かりの点らない焦燥に、椿はそっと顔を上げた。その顔を見た安形はそっと微笑むと、絡まっていた腕も裾を掴んでいた指もやんわりと解き、その両手を本人の腕の前で合わせる。
「オレは他人の行動を正しいかどうか、言える様な人間じゃねぇし、そんな資格も有るとは思っちゃいねぇ」
 唯、と告げて、安形は合わせた椿の手を、一廻り大きな自分の手で包み込んだ。そのまま手を持ち上げると、祈る様に自分の額へとそれを押し当てる。
「でもな、お前ぇがオレ達と一年、色々と思って感じた事ってのは、いつだってここに在るだろ?」
 包み込んだ手のひらの中の、更にその奥に。刻まれた一年が、確かに残っていた。
「自分が正しいって思った事、逆に間違ったって思った事、オレ達が思った事、言った事、感じた事、全部とっくにお前ぇん中に在んだよ」
 安形の手のひらの暖かさが、伝わってくる。それが何かを渡されている様で、椿の胸の奥から切なさに似た痛みが起きた。
「もう、お前ぇはオレの下で動いてんじゃねぇんだ」
――切ないって・・・
 咽の奥がひりひりと痛んで、何故か涙が零れそうになる。
「なぁ? これからはお前ぇが、作ってくんだよ。問うな、仰ぐな」
――切る、と書くんだったな・・・
 けれど、きっと泣くのはこの場面に相応しくはないと、椿は無理に唇を笑みの形にしようとした。
「でも、心配すんな。オレらはいつだって、お前ぇと一緒にここに在るんだ」
――ああ、もう・・・笑おうと思ったのに・・・
 祈る様にしていた手から額を外し、安形の瞳が真っ向から椿を見る。言葉以上に暖かい眼差しに、笑みを形作ったままで、椿の目から涙が落ちた。それでも必死に唇だけは微笑んで、はい、と椿は何とか声を絞り出す。
「・・・・・・もう少ししたら、泣いたって涙拭ってやれねぇぞ?」
 意地悪く、けれども何処か切なそうに安形が声を上げて笑った。言いながらこの人も切られているのだと、椿は何処かで感じる。
「構いません。これで、涙は最後にしますから」
――強かになろう。
 だから、と椿は目を閉じて、軽く顔を上向かせた。
――正しいか正しくないか、迷いながらも動ける程に。
 今は最後だから、と甘えを許して欲しい。それを示した唇に、安形の唇が応えた。触れる唇の熱、流れた涙の熱、それよりも熱い何かが、両手の中に流れ込む。短くはなかった時間に作られた思いに決意を後押しされ、椿はしっかりとその根源を握りしめていた。

2001/09/04 UP
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