物語の結末

 新しい命の誕生はいつだって万人を感動させ、その小さくも力強い生に誰もが勇気付けられる。それ故、出産は祝福され、尊いものとされるのだ。が、
「ボッスゥーンっ! これカニミソ味やないかっ!! アタシ、新作のカニコウラ味言うたやんけっ!」
 現実はいつだってきれいな物ではない。現在も出産間近の妊婦が一人、病室で怒鳴り散らしている所だった。
「だ、だって近くのコンビニ売り切れてて・・・」
「他にもコンビニあるやろっ! 今すぐ、買い直してこいっ」
「でも、ヒメコが心配で・・・」
「お前に心配してもろても、股から子供出てけぇへんのやっ! 分かったら早、行けやぁぁぁっ」
 大体、出産直前の妊婦の性格は豹変する。母親、又は夫にキレる場合が多いが、ヒメコは後者のタイプだった。ヒメコは随分と大きなお腹を抱えてベッドの上に横になった状態で、夫のボッスンに怒鳴り散らしている。それでもヒメコを心配して側を離れようとしないボッスンに、険しい顔のままヒメコは秒読みを始めた。
「ほれっ、5、4、3・・・」
「う、うわぁーんっ、行ってきまーーーす!」
 スティックに手を掛けようとしたヒメコを見て、泣きながらボッスンが病室のドアを出て行く。それと入れ違いに背の高い白衣の人物が入ってきた。
「・・・・・・夫婦になっても変わんねぇな、お前ぇら」
 かっかっかっと笑いながら、白衣の医師――安形がヒメコの近くの壁へと背中を預ける。
「アンタか。担当のセンセでもあらへんのに、何の用や」
「いや、ちょっと道案内」
 くいっと親指でドアを示され、ヒメコの視線が動く。そこには息を切らせてドアに寄り掛かるスーツ姿のスイッチの姿が在った。その肩からは相変わらずノートパソコンが提げられている。
「スイッチ! アンタ、仕事はええんか?」
『納期さえ守れば何とでもなる仕事だ。早退してきた』
 暑い中、駆けつけた所為で流れた汗を拭い、スイッチはネクタイに指を差し込んで緩めた。
『ヒメコの一世一代の大仕事だからな。仕事なんぞしてられん。それより、ボッスンは?』
 夫より夫らしい台詞を吐きながら、スイッチはキョロキョロと辺りを見回して当人の姿を探す。
「ちょっと今、買出しや」
『こんな時に何も・・・』
「いや、アタシが行かせた」
 最初は怪訝そうな顔をしていたスイッチもそれを聞いてなるほどと頷いた。結婚して三年経とうと崩れない関係に、苦笑に似た笑みを漏らす。
「買ってきたぞっ、ヒメコ!」
 しかし感傷に浸る暇も無く、スイッチの背後からボッスンが現れた。その両腕には箱買いしたペロキャンが抱き締められている。
「早っ! 最短やないかい」
「何かツイッターで呟いたら、凄ぇ色んな人が助けてくれた」
「良ぉやった! ボッスンはやれる子ぉやて、アタシずっと思ってた!!」
 そう言いながらヒメコは起き上がり、ボッスンよりも先にペロキャンに手を伸ばした。しかし、そのパッケージを見た瞬間、顔色が変わる。
「・・・・・・ボッスン」
「え? 何・・・?」
 箱を右手で握り締めて仁王立ちになったヒメコに、冷や汗を掻きながらボッスンが返事をした。瞬間、右手の中の箱が握り潰される。
「買おてきたんが全部カニミソ味て、どんなボケやぁ! おもろないんやぁぁぁっ!!」
「嘘っ!」
「嘘やないわっ! 食うてみぃ!!」
「止めてっ! 確実に病室汚すから止めてぇ! ってか、ヒメコあんま激しく動くなよ!!」
 襟首を掴み上げられながらも、ヒメコを心配するボッスン。そこにひっそりと佇んでいた安形が口を挟んでくる。
「いや、ここまで来たら、ちょっと動くぐれぇがいいぞ?」
「って、何で居るんだよ、安形ーっ!」
「この病院に勤めてんだから、居てもおかしくないだろーが」
「勤めてっても、お前ぇ・・・」
「病院で騒ぐな、愚か者!!」
 のほほんと言った安形に更にボッスンが噛み付こうとした瞬間、新しい声が喧騒に加わった。全員の視線が一点に集中するそこには、猫目で睫の長いワイシャツの人物――椿が立っている。
「椿〜。来てくれたんかい。まぁまぁまぁ、そこに座りぃや。お茶、飲む?」
「陣痛の始まった妊婦がそんな事をしなくてもいい! 大人しくしていてくれ……」
 いそいそとお茶を煎れようとしたヒメコに対し、心配そうに眉根を寄せて椿はそれを制した。それに対してヒメコは軽く笑いながら応える。
「今、陣痛落ち着いとんねん。それよりも・・・大きゅうなったよなぁ、椿」
「うっ・・・親戚のオバさんみたいに言うのはやめてくれ・・・」
 さも嬉しそうに椿の手を取るヒメコに、椿はたじたじになっていた。
「ホンマ、驚いたわぁ。まさか椿が医者にならんと家の経理手伝う事になるやなんて。なぁ」
「け、経理は頼まれて・・・ボクの本職は弁護士だ」
「でも結局はここの顧問弁護士じゃねぇかよ」
 かっかっかっと笑いながら、安形が茶々を入れる。それを見た椿がムッとして安形に向き直った。
「他にもちゃんと仕事してますよ、ボクはっ! 安形先生こそ、きちんと仕事して下さい。この間も検査伝票を何枚も溜めて、婦長が激怒してましたよ」
「不思議と溜まるんだよなぁ・・・いいじゃん、処理出来てんだろ?」
「出来ていれば良いと言うものではないんです! あと、変な領収書が多過ぎるんですよ!! 日付も変ですし・・・」
 二人の遣り取りを見ながら、スイッチがぽつりと呟く。
『これがこの病院一の外科医だとは・・・・・・大丈夫なのか、ここは?』
 呆れ気味なスイッチに、安形は笑いながら右手を上げた。
「こんなでも腕は確かだぜ? オレが切って縫ったら、傷跡殆ど残らねぇし。ヒメちゃんも産むの面倒になったら言えよ? オレがやったら癒着なんて起こさせないから、三人目も四人目もバッチリだ」
「怖い事言うの、止めろよな!!」
 半泣きでボッスンが安形に掴み掛かれば、背後からヒメコがそん時はよろしゅう、ととんでもない台詞を投げ掛ける。それにぎょっとしたボッスンが、振り返って叫んだ。
「ヒメコォ! ほんっと、自覚して!! 普通より大変な事って自覚してぇーっ!」
「そんなん言うたかて・・・・・・また陣痛来たわ、イタタタタッ」
「ヒ、ヒメコ!」
 痛みにベッドに腰掛けたヒメコの側へと慌てたボッスンが近付く。痛みに耐えて歯を食い縛りながら、ヒメコはその襟首を掴んだ。
「ムシャクシャするから、殴らせぇ」
「え? 何で? 今の流れは夫が妻を元気付ける感動のシーンに繋がらねぇっ?!」
「ちょっ・・・この状態で喧嘩など止めろっ!」
 慌てて椿がヒメコを止めに入ると、ヒメコは目を輝かせて椿を見る。
「なんや、椿。心配してくれとんかい。あぁもう、ホンマ可愛ぇなぁ。きゅんきゅんし過ぎてうち、腹に力入って、思わず子供出しそうやわぁ」
「だ、出すなら正当な手段を取ってくれ!」
 慌てて椿はあたふたとヒメコの背中を撫でた。他に方法を知らなかったのだ。ヒメコはそれに嬉しそうな顔をしていたが、不意にその顔に戸惑いが生まれる。
「いや、ホンマなぁ・・・・・・腹に力入り過ぎたみたいで、今、破水したわ」
「「ぎぃゃあー!!」」
 瞬間、双子は全く同じリアクションをした。叫びながら二人してヒメコに群がる。それを安形が二人の襟の後ろを掴んで引き留めた。
「お前ら、慌て過ぎ」
『そうd、kんなとkぉど、おちうtk、くぁwせdrftgyふじこlp』
「メガネ、お前ぇもキーボード打ててねぇ」
 震えながらカタカタとキーボードを打つスイッチに呆れ気味の視線を投げ掛ける安形の手の中で、双子はまだじたばたと暴れている。当のヒメコは冷静そのもので、ナースコールを押すと看護士に現状を告げていた。
 すぐ行きますと聞こえた電子機器越しの声の通り、ほんの数分で移動式のベッドと共に看護士が姿を現す。それに乗せられて産室へと運ばれるヒメコの横にスイッチがぴったりと張り付き、手を握りながら励ましの言葉を掛けていた。その一方、ボッスンは未だに安形の手に捕まえられたまま、もがいている。
「こーすっと、どっちがお腹の子の父親か分かんねぇな」
「安形っー! 言って良い事と悪い事があんだよっ!!」
「へーへー悪かったな。ホレ、リリース」
 安形がぱっと右手を離すと、ボッスンは消え掛けていたヒメコを名前を叫びながら追い掛けていった。さっきまでの騒がしさとは打って変わって静まり返った病室。そこで、まだ安形に襟を掴まれた椿が小さくなる背中をを見送っていた。
「大体、大騒ぎし過ぎなんだよ。藤崎もメガネも・・・」
 やれやれと息をついて安形は左手を自分の胸元へ引き寄せる。当然、椿は安形の胸に半ば顔を埋める格好になった。そのまま安形は左腕だけを椿の肩に廻し、椿の頭へと顔を寄せると声を降らせる。
「・・・お前ぇも、な」
「そ、れは・・・だって・・・・・・」
 困った様な顔をして、椿は安形の胸の中で俯いた。続かなかった言葉に、安形の右手が椿の頭を優しく撫でる。
「どんだけの人間が双子産んでると思ってんだよ」
 その声と表情は、椿の髪を掻き分ける指同様に優しい。ヒメコのお腹に居るのが双子だと分かった時から今まで、同じ様に安形はこうして動揺する椿を慰めていた。
「悲劇ってのは奇跡と一緒で、そう簡単に起こらねぇから悲劇って言うんだ」
 諭す様に何度も、ゆっくりと指を動かす。自分の出生と今とをどうしても重ねてしまう椿の不安を解かす様に、幾度も。
「世の中の殆どは平凡で退屈で・・・現実は詰まらないほど当たり前に幸せなんだ。数時間後には全員で笑って写真でも撮ってるぜ。大丈夫だよ」
「・・・・・・ちど、言って下さい」
 掠れる声に続いて、椿の手がぎゅっと安形の白衣を掴む。安形は髪を撫でていた手を耳元へと移動させ、唇を寄せて言った。
「大丈夫・・・大丈夫だから」
 再度繰り返した言葉に、それでも不安を隠せない瞳を唇で閉じさせる。ちゅっと軽く響いた音に上向いた顔を両手で覆って、今度は唇にキスを落とした。触れるだけに終わらない口付けに、椿の手が更にきつく白衣を掴む。どれだけそうしていたのか。椿の顔だけでなく肌ごと上気するころに、漸く安形は椿を解放した。
「・・・・・・安心した?」
「・・・・・・・・・」
 それに言葉は返さずに、椿は唇の端を伝う唾液を乱暴に手の甲で拭う。何年経っても指と言葉で安心させられてしまう自分が悔しくて、目を逸らして地面を睨み付けた。それを安形はさも嬉しげに眺め、そっと耳元で囁く。
「まだ足りないなら、少し運動する?」
 その台詞に一気に椿は真っ赤になって安形を睨み付けた。続いて両手でバンッと安形の顔を挟む様に平手を打ち付ける。
「バッ・・・バカな事を言ってないで、仕事に戻って下さい!」
 怒鳴って椿は安形の胸から身体をするりと離した。ネクタイを締め直すと、両頬を手で覆って痛みに耐えている安形を残してドアへと向かう。
「はいはい。じゃ、夜にな」
 安形の軽口にぎろりと一度目を光らせると、改めて背を向けて椿は歩いて行った。その足取りがしっかりとしているのを確認し、安形はやれやれとため息を漏らす。
「平凡で退屈で、それが一番だよな」
 遠ざかる背中に語り掛ける。どんな物語も、だからこそ最後の一言はいつも短いんだ、と。

そして、みんな、末永く幸せに暮らしたのです。

2011/06/12 UP
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