スキャットダンス

 随分と高い天井を見上げ、椿は淡々と考えていた。
――尻尾とは動かすと意外と楽しいんだな。
 いつもより大きいパースの狂った様な景色を見ながら、椿はそれを持ち上げる。
――藤崎に『今度は犬になってこい』とは言われたが、
 椿はたんっと尻尾を机に叩き付けると、ふっと自嘲気味に笑う。
――何でボクは完全な猫になってるんだ?
 化学準備室の薬品棚に映るのは、フラスコやビーカーと共に机に座る黒い子猫。そして現実、椿が居るはずの正にその場所でもあった。数分前スケット団に仕事を依頼してのち、化学準備室を訪れた椿は中馬から渡されたサイミンの錠剤を飲んだ。はずだったのだが・・・眩暈と共に机に倒れ込んだ後、気が付けば現在の状況となっていた。
「っかしーなー」
「みゃーっ! みゃーみにゃーっ!!(ですねよ! 人間が完全に猫になるって有り得ないですよね!!)」
「この薬、もう全部使ったと思ってたんだけどな」
「みゃーーーっ!(そっちですかーーーっ!)」
 焦ってみゃーみゃー鳴く椿に対し、中馬はのんきに頭を掻いている。それでも琥珀の目をぐるぐるさせながら尻尾を何度も机に叩き付ける様子に流石に椿が怒っていると分かり、中馬はまぁまぁと椿を宥めに掛かった。
「元に戻る薬もセットでここに有るし・・・」
「みゅあ゛ーっ!(有るならさっさとくださいーっ!)」
 中馬が取り出した薬に思わず椿は飛び掛かる。しかしその予想外の行動に中馬が思わず薬を取り落した。転がる薬を見た瞬間、椿の中で本能が動く。要は転がりだした薬を前脚でつつき始めたのだ。
――こ、こんな事をしてる場合ではっ・・・でも、止められないっ・・・
 つつく度に転がる薬を追い掛けて椿は走り始める。訳の分からないテンションに操られ、大きく前脚をそれに叩き付けた。そのまま薬は勢い良く転がり・・・
「みゅあーっ(あーっ)」
「あーあ・・・」
 ・・・薬品棚の下へと消えて行く。悪足掻きをして前脚を伸ばしてみるものの椿の前脚が薬に届く事はなかった。
「災難だったなー」
「みゃーみゃみゃみゃーっ!(誰の所為だと思ってるんですかーっ!)」
 はっはっはっとさも愉快そうに笑っている中馬に椿は抗議の声を上げるが自分で聞いていても悲しくなるほど、ただの猫の声にしかならない。本当に何だか泣きそうになっていた所に中馬から希望の言葉が出てきた。
「大丈夫だって。ここで作った薬だから材料もちゃんと揃ってんだ。すぐに同じ薬作れるぞ」
「みゃあぁー!(本当ですか!)」
「本当だって。ほら、これとこれとこれと・・・・・・アレ?」
「みゅあ?(アレ?)」
 最後に中馬が発した言葉のイントネーションの違いに椿は黒猫の姿で首を傾げた。何だかじんわり中馬が汗ばんでいる事に気づき、椿自身も変な汗が出てくる。
「一個、足りねーな」
 その言葉にびんっと椿の尻尾が立った。全身の毛も微妙に逆立っている。
「茎わかめ、全部食っちまってるよ」
「みゅーみゃみゃ、みゃみゃみゃーっ(クッキーならボク持って来てます!)」
 焦った椿はそのままの格好でドアにダッシュした。運良く開いていたドアの隙間にその身を滑り込ませる。流石、猫になっているだけ有って全く物音も立てずに。お蔭で中馬は全くそれに気付かないまま自分の机を漁っていた。
「ま、心配しなくても、その薬自体一時間位しか効果が続かねーから」
 そう言って笑いながら振り返った中馬の視界から椿は既に消えていた。
「あれ? アイツ何処行った?」
 きょろきょろと周りを見回したが椿の姿は見えない。その視線が床のある物で止まり、おいおいと中馬はぼやいた。
「・・・一時間以内に帰ってくんだろうな、アイツ」
* * * * ** * * *
 化学準備室を飛び出した直後、椿は凄まじい障害にぶち当たっていた。凄まじい障害――そう、女生徒の群れと言う障害に。
「きゃーっ! 猫だよ、猫!!」
「やだっ、カワイー!」
 学校に猫が忍び込もうものなら当然こうなる。ましてや今、椿は毛並みの良い生後10ヵ月程度の子猫になっているのだ。猫好き人間だけでなく普通の可愛い物好きの女生徒も放って置く訳が無かった。
「えー、この猫ちっちゃいーっ」
「みゅーっ(小さいとか止めてくれっ)」
「鳴き方がカワイイ! 子供の鳴き方だ」
「んみゃーっ(君と同い年だっ)」
「やだーっ、可愛過ぎてぎゅってしちゃうー!」
「みゅー・・・(これは、いいかな・・・)」
 自分の身体に当たる柔らかな感触に一瞬血迷い掛けたが、次の瞬間椿ははっと我に返る。こんな所で同年代の女子達に揉みくちゃにされている場合では無い、と。
「みゃーみゃみゃー(早く生徒会室に・・・)」
「この子、男の子? 女の子?」
 何とか抱き締められていた胸から解放された椿の耳に、嫌な予感のする言葉が飛び込んでくる。逃げないといけないのでは、と考えた瞬間、
「あ、男の子だよ」
 椿はその女子の手によってひっくり返され、とんでもない格好にさせられた。姿は猫だが中身は思春期の少年。当然の事ながら椿の目に涙が浮かんできた。
「み゛あ゛ーーーーーっ(もう婿に行けないーーーーーっ)」
 そのまま椿は女子の手から飛び降りると滅茶苦茶に走り出す。とにかく一刻も早く校舎から離れたい。ただ、それだけを考えながら走り続ける。
 泣きながら走り続けた椿は気づけば人気の無い校舎裏に来ていた。人が居ない事にほっとして漸く足を止めるときょろきょろと周りを見回す。誰も居ない事に安心もしたが、暫くすると今度は逆に不安になってきた。
――このまま戻れなかったらどうしよう・・・・・・
 少しだけ尻尾が持ち上げられて左右に揺れる。しかし、それもすぐにぺたりと地面に付き動かなくなった。さっきまでとは違う涙が椿の目から流れ落ち、地面に吸い込まれる。
――誰か、助けて・・・・・・
「あ、猫」
「ん? 何処に?」
 不意に聞こえてきた声に椿の耳がぴんと立った。顔を上げるとそこには見慣れた顔が二つ有る。不安に駆られていた椿にはその二人――安形と榛葉が救いの神にすら見えた。
「みゃみみゃーっ!!(かいちょーっ!!)」
「うわっ!」
 本能のままに泣きながら安形に飛び付くと安形は驚いて声を上げる。構わずに泣きながら縋り付いているとその身体を両手で優しく包まれた。
「・・・迷子かな?」
「かもな。家が恋しいのか?」
「みゅぅぅぅ・・・」
――気付いて貰える訳、ないか・・・
 切なげな声を上げてみたものの安形は一向に気づく気配を見せない。当然の事であっても椿の目からはまた涙が溢れ出た。
「すんげぇ泣いてんだけど、この猫」
「本当だ。よっぽど帰りたいんだね」
 ぐりぐりと安形は親指の腹でその涙を拭う。そのままよしよしと頭を撫で始めた。
「ははっ。こいつ睫毛凄ぇ長ーぞ。椿みてー」
「みゅー・・・(本人です・・・)」
 訴えた所で伝わる訳が無い。そう思いつつも呟いた椿の目の前で、安形の顔が不思議そうに歪んだ。ちょっとだけ左上空を見て再度視線を戻すと、両手を椿の脇に持ち替えて自分の顔の前に椿を持ってくる。
「・・・・・・・・・椿?」
 ほぼ真顔でそう呟いた安形に榛葉が驚きの表情を浮かべた。そのままぽんっと安形の肩に手を置くと視線を逸らしながら言う。
「睫毛の長い生き物が全部椿ちゃんに見えるっておかしいの通り越して病気だよ、安形」
「そう、かな? いや何か椿っぽく思えて・・・」
「みゃー・・・みゅあー・・・(そうです・・・ボクです・・・)」
 今度は感動してしまい、椿は再び涙を流し始めた。
「ほら、猫も怯えてるだろ?」
「みゅー・・・(違います・・・)」
「いやいや、これ椿かもよ。悪い魔法使いに魔法を掛けられたお姫様で・・・」
「・・・安形、ここ校内だから、ちょっと抑えようか」
 そんな訳無っかーといつもの笑い声を上げる安形に椿は少しがっかりしてしまう。
――この人だけは分かってくれると思ったのは幻想だったのかな・・・
「でも、万が一って事で」
 項垂れ耳を伏せていた椿の顔に安形のそれが近づく。驚く間も無く猫ではあるが椿の唇に安形の唇が、触れた。瞬間、ぴんっと膨らんだ耳と尻尾が立ち上がる。
「王子様のキスっとかってな!」
 馬鹿な発言をしながら横を向いて榛葉に顔を向けた安形の手に、急にずしりと重みが掛かった。
「あーーーーっ!」
 その瞬間、榛葉が随分と驚いた顔で安形を見ている。正確には自分と+α。おや?と思い安形が再度猫へと視線を向けると・・・
「え? あれ? 椿が何で・・・」
 安形の言葉通りに魔法の解けたお姫様がそこに居た。ただ童話と違う部分は、
「・・・裸なんだ?」
 お姫様は全裸でした。
「ーーーーーーっ!」
 最初は椿も訳が分からずに安形に腕を絡めたまま立っていたが、状況を一気に理解すると真っ赤になって前を隠す為地面に座り込む。それでも現状は変わらず脂汗を掻きながらぐったりと項垂れた。
「ちゅ、中馬先生の薬で・・・」
「・・・・・・猫に、なった、とか?」
 その際、服が全部脱げていたのだが、椿は気づかずそのまま化学準備室を飛び出していた。制服から下着までしっかりとそこへ残して。全身を赤くしてへたり込んでいる椿の前に安形はゆっくりと自分も膝を折る。そっと椿の肩に手を置くと、かつて無い程真剣な顔で口を開いた。
「お前、このまま一番近い便所行けるか?」
「こらーーーっ!」
 思わず榛葉が安形の後頭部に膝を一発入れたが、全く安形は動じない。こんな人に感動してたのか、と椿は怒りで震え始めた。
「・・・・・・ボクがこんな状態にゃのに、にゃにを言ってるんですかっ」
 猫に成る薬の効果は切れたものの肝心のサイミンの効果が切れていなかった誤算。安形の顔からすっと血の気が引いた。
「この状態で猫語とか・・・いいだろ、もう。そこの草叢でいいだろっ!」
「いい加減にして下さいにゃっ!!」
 半端ない猫パンチを繰り出した椿に吹っ飛ぶ安形。それを見ながら榛葉は自分の上着を脱いで椿に掛けてやった。
「服と薬を化学準備室から取ってくればいいのかな?」
「・・・・・・・・・お願い、します」
 最終、椿は自身の情けなさに今日何度目になるか分からない涙を流していた。

2011/04/22 UP
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