NIGHTMARE 4

 うっかりすると意識が飛びそうになりつつも何とか安形は家まで帰り着いた。そのまま無言で自室へと戻ると制服のままベッドへ倒れ込む。
――ああ、やっと・・・
 引き摺られるままに意識を沈めていく。深く暗い穴に落ちる様な浮遊感を感じたのは一瞬で、次の瞬間には安形の意識は完全に途切れていた。
――ゆっくり、眠れる・・・・・・

 安形が次に目を覚ましたのは翌日の午後だった。酷い空腹感とそれに伴う痛みに自然に目が覚める。まだぼんやりとする頭を無理矢理持ち上げると軽く左右に振って目を開けた。
「おはよ」
「うわっ、ミチル何で居るんだよ!」
 驚きに安形の頭が一気に覚醒する。部屋の隅では榛葉が先程まで読んでいた本を閉じて自分の横へと置いた所だった。
「それはおばさんがお前が呼べど叫べど起きてこないと心配してオレにメールを寄越したからだよ。年頃の男の子の部屋に母親は入ったらいけないから、代わりに見てくれってさ」
「何で母さん、ミチルのメアド知ってんだっ!」
 それはオレも謎なんだよねと榛葉は呟きながら、叫び疲れた安形にペットボトルを放って寄越した。それを受け止めると安形はぶつぶつと文句を言いながらも口を付ける。自分で思っていた以上に喉が乾いていたらしく、安形は一気にその中身を飲み干した。ふと時計を見れば時間はとっくに四時を回っている。それで漸く丸一日とは言わないまでも、かなりの時間眠っていた事に気が付いた。
「・・・・・・寝過ぎで頭が痛い訳だ」
「ついでに腹も減ってるだろ」
 榛葉はそう言うとついっと皿を差し出す。そこにはおにぎりが数個、ラップを掛けられていた。誰が作った物なのか問わずとも安形には分かる。
「母さん、何か言ってた?」
「別に・・・ただ、やっぱ心配はしてたよ。サーヤちゃんもね」
 ふうんとだけ呟いて安形はおにぎりを一つ口にした。具材が自分の好物だとか詰まらない事に気づいてしまう。無言で食べ続けている内に最後の一つに辿り着く。
「・・・・・・オレ、結構周り見えてなかったみたいだな」
「そうだよ。でも、」
 手にした一つに噛り付けば結局どれも味が違っているのが分かった。手間暇掛かる事をしたその意味も。
「それだけ椿ちゃんが好きだって事でしょ」
「ああ・・・・・・」
 飲み込んだ最後の一口は酷く苦かった。吐き出しそうになる思いを抑えて一気に飲み込む。それで漸く安形は息をついた。
「認めちまえば、こんなに楽だったんだ」
 安形は言いながら昨日そのままで眠ってしまったため酷く皺になっていた制服の上着を脱ぐ。ネクタイもシャツも窮屈な物全てを脱ぎ捨てると何だか解放された気分になった。
「あんな風に終わったけど、逆に変に希望持たずに済んだし・・・・・・結構、すっきりはしてる」
 ベッドに身体を投げ出すと白い天井が目に入る。安形はその白さを見ない様に自分の顔を覆った。
「でも頭のどっかにさ、スイッチが有って」
 ゆっくりと頭の芯を眠気が登ってくるのが感じる。ここで眠ってしまうのはと思いながらも、安形は自分が見えない手に引き摺られるのを感じていた。
「好きって感情を簡単に切れたらって思う」
 降りてしまった瞼の裏に時折光が走り抜ける。その中で昨日のあの椿の顔が幾度も見えては消え、心を苛んだ。
「あんだけ拒絶された癖に、まだこんなに好きなんだ・・・」
 静かにそれを聞いていた榛葉が立ち上がる。ベッドに近付けば安形は既に寝息を立てていた。
「感情が思い通りに動けば、本当に楽なんだろうね」
 ベッドの端に追い遣られていた掛け布団を掴むとそっとそれを掛ける。ゆっくりと眠ればいいとその顔を見ながら思った。
「だから好きなだけ泣きも喚きもすればいいよ」
 今日は奇しくも長い連休が始まる初日なのだから、と。そして榛葉は静かに部屋を後にする。ドアが閉まる音だけが小さく部屋に響いて、そして消えた。
* * * * * * * * *
 どうやって家に帰り着いたのかも、椿は覚えていなかった。ただ気が付けば食卓に座って夕飯を食べている自分が居た。
「佐介?」
 心配げに呼ばれた母親の声に、はっと椿は我に返る。お箸止まってたわよと言われ、自分が考え込んでいた事に気付いた。
「学校で何かあった?」
 そのまま無言になった椿に向かいに座る父親が矢張り心配そうな瞳を向けている。
――言える訳が無い・・・
 二人にだけではなく誰にも言えない事。それを抱えてどうすればいいのか椿は考えあぐねていた。
「・・・ちょっとだけ」
「本当?」
 身を乗り出す母親に少しだけ椿は考えて話せる事だけを口にする。
「自分が原因で尊敬する人を傷つけてしまって・・・」
 言葉を選びながらゆっくりと続けた。
「・・・謝りたいと思うんだけど、その前に出さなければならない答があって」
――好きだと聞いたあの言葉に、ボクはどう応えればいいんだろう・・・
「それがまだ、判らないんだ」
 自分の胸の内を計れず椿は思わずため息を漏らした。それを見て両親は顔を見合わせる。少しだけ流れた沈黙の後、最初に口を開いたのは母親だった。
「じゃぁ、しょうがないわね」
「え・・・・・・?」
 母親の言葉の意味が分からず椿は顔を上げる。そこには微笑む母親の顔が在った。
「答が出るまで悩むしかないわ」
「そうだな」
 続いて父親も口を開く。
「お前が納得出来る答が出せるなら、幾らでも悩んだらいい」
 いつだって見守っていると言われた気がして胸がつかえた。本当の子供でも無い自分に、これ程注がれる愛情にともすれば涙が零れそうになる。それに応えるだけの物を自分は持てるのだろうか、とも。
「・・・・・・明日、道場に行って身体を動かしてくる」
 せめて何か行動しよう。きっとそれが自分に出来る最大の事なのだと、椿はそう思った。

 道場の隅で椿は動かした身体を休める為にベンチに腰掛けていた。上を向いたままタオルを被り長い息を吐く。頭の中が真っ白になる位身体を動かしたものの結局の所まだ答は出てはいなかった。
――尊敬は、してる。
 心の中にある想いを一つずつ紐解いてみる。
――けれど、そんな風に考えた事はなかった・・・
 きっと誰よりも特別で自分に取って大切な人。そこに恋愛感情が介在するかと言えばそうとは言い切れなかった。
――・・・・・・不快ではないのに、
 だからと言って寄せられた想いに嫌悪は感じていない。それは今もそのはずなのに。
――あの時に感じた恐怖は何だったんだ。
 足元を這い上がる恐怖に思わず安形から逃げ出したあの瞬間。思い出すだけで今でも震えが走る。安形が怖かった訳ではない。その想いに対しても。なら、あれは・・・
「佐介?」
 そこまで考えた所で自分の名前を呼ばれ、椿は驚いて身を震わせる。掛けていたタオルを外すと目前に良く知った人物の顔が有った。
「やっぱそうだ。久し振り」
「ああ、東雲・・・久し振りだな」
 同時期に空手を始めた友人――東雲の顔を見て椿は顔を緩ませた。途中で椿が空手を止めた事と高校が別になった事とで多少疎遠になってはいたが、こうして顔を合わせば話をする仲ではある。
「元気してたかー?・・・って言いたいけど、どうせ違うんだろうな」
「何が?」
「だって、佐介って悩みがあるとここ来るじゃん」
 図星を突かれ椿は言葉に詰まる。公式の練習生ではない椿が解放されているこの道場に来るのは決まって悩み事が有ってもやもやとしている時で、そしてこの友人はそれを良く分かっていた。
「・・・・・・まだ空手は続けてるんだな」
「うん、続けてる。で、悩み事って何?」
 それとなく話題を逸らそうとしてみた椿だったが相手が悪かったのか、あっと言う間に元の話題に戻される。そのまま東雲は椿の隣に腰を降ろすと、鞄から飲み物を取り出して完全に聞きの体勢に入った。
「その・・・高校の先輩で同じ生徒会の人が居るんだが」
 何だか逃げられない雰囲気を感じ、どうせ東雲は安形の事を知らないと言う開き直りも相俟って、椿はここに来た理由を話し始める。
「先日ボクの事を好きだと言われた」
「えっ・・・ちょ、恋愛系の悩み?! そんでそんでっ!」
「・・・・・・言われたと言うか、そう他の人物に言っている場面に出くわしてしまって。ボク自身はその人をそんな風に考えた事もなかったから・・・驚いて」
「まぁ驚くわな、それは」
「逃げてしまった」
「えっ・・・えーと、」
 そこまで話した所で椿が東雲の顔を見れば、彼はちょっと困った顔をしていた。その表情からは見知らぬ相手の感情を思って気の毒になっているのだろう事が窺い知れる。
「やはり、傷付けただろうな・・・」
「告白するつもりだったら別だけど、立ち聞きの上に逃げられたら女の子としては辛いと思う・・・」
――いや、男なんだが。
 流石にそれを言う訳にはいかず、椿はそれを飲み込む。
「酷い事をしたと言う自覚はあるんだ・・・謝ろうとは思っている。けれど」
 そこで椿の言葉が途切れる。次の一言が重く感じられて唇に力が入った。
「その人の気持ちに対する答が出せない限り、顔を合わせられない」
「・・・・・・」
 真剣な椿の顔を見て東雲は少し思案する。うーん、と唸ると椿に顔を向けて口を開いた。
「嫌いなの、その先輩」
「いや・・・嫌いではない。尊敬、しているし」
「じゃ、付き合っちゃえ」
 実にあっさりとした台詞。自分の悩みの重さに反比例する様な軽さに一瞬椿の視界がぐらりと歪む。
「簡単に言う事じゃ・・・」
「簡単だろ? 嫌いじゃないなら付き合えば。それならその子も幸せになれるし」
「相手の真摯な気持ちに対してこちらも真摯に考えるべきじゃないか?!」
「固過ぎーっ! もっとシンプルに考えればいいだろ。結局は一緒に居たいか居なくても平気か」
 その一言に椿の目が驚きに見開かれた。そんな事考えた事も無かったと言わんばかりの表情に東雲は苦笑する。
「それに実は尊敬の中に『好き』って気持ちもあるかも。それこそ付き合ってみないと分かんないだろ。何をそんなに怖がってる訳?」
「・・・・・・・・・怖がってる様に見えるのか?」
「見える。怖がって言い訳して結論先延ばしにしてる。ここ来たばっかの佐介みたい」
「その頃の事を言うなっ・・・そうか、そう見えるのか・・・・・・」
 がっくりと項垂れる椿に東雲は困った様な顔をして自分の頬を人差し指で掻いた。短いため息を一つだけつくと落ち込ませるつもりはなかったと続ける。
「大体、お前固過ぎなんだよ。空手止めたのもオレが昇段試験落ちた理由聞いたからだろ?」
「えっ・・・・・・?」
「違った?」
「違わない、が・・・」
 誰にも言った事の無い話だった。東雲はかなりの実力の持ち主で順調に級を重ねたがそれが急に段手前で止まった。理由を聞いたのは彼が三度目の昇段試験を落ちた時。『年齢が若いから』ただそれだけの理由だった。逆に年齢がある程度であれば昇段するものだと知り、その不条理さを飲み込めなくて椿は空手を止めた。
「こーゆーのは人伝に聞いたりするもんなの。最初はオレも納得いかなかったけどさ」
 東雲はよっと声を掛けて立ち上がると椿の正面に立つ。
「結局は段が欲しいんじゃなくて空手が好きって気が付いた訳だ。これってさ、」
 手を伸ばして椿に差し伸べて。
「オレが昇段試験に馬鹿みたい挑まないと分からなかったんだよね」
 進む事も挑む事も決して無駄ではないのだと。その手はそう語っていた。
「な、久々に組手しようぜ」
 お前との組手が実は一番好きなんだと東雲は続ける。ああと応えて椿はその手を取った。これからしなければならない、大きな決断を想いながら。

NEXT⇒

2011/04/18 UP
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -