NIGHTMARE 2

 不安に駆られて、いつしか走り出していた。泥濘るんだ地面に足を取られ、気を抜けば転びそうになりながらも安形は走り続ける。
――何処まで続くんだよ、これ・・・
 終わりの見えない不安を感じて背筋を冷たい汗が伝う。光一筋すら見えず、に自分が真っ直ぐ走っているのかすら分からない。どれ位そうしていただろうか。不意に声が響いた。
『本   うし う  く     き  に』
「違う・・・」
 聞こえてきた声に弱々しく反論する。けれど声は響き続けた。
『だ   うだ  ?    にな    から、  が   った』
「そんな筈無ぇ!」
 思わず振り返って怒鳴りつける。しかし、それは唯の虚勢にしか見えない。
『 の  ム   そう 。   んてど     かっ 。 だ、  を叩  め   った  』
「違うっ、違う違う!」
 耳を塞いで頭を左右に振って否定する。それでも声ははっきりと聞こえ続けた。
『   輩、  る   演     し た。    っと特   思   』
「煩いっ・・・何言ってんだ・・・」
『 に本    別 が  るま  』
「黙れっ・・・もう、」
『                』
「解ってるんだ・・・・・・」
 怒鳴り過ぎて喉が痛い。痛みと悔しさとで涙が滲んできた。耳を抑える気力も無くなって両腕を下げると、その手に何かがぶつかる。それがドアノブだと気づくのに数秒。理解した瞬間、安形はそれに飛び付いた。
――出られる!
 ここから逃げ出せる。その思いだけでドアノブを回す。眩し過ぎる光に一瞬目が眩み、けれども次にはっきりと視界に飛び込んできた光景は、
* * * * * * * * *
 びくりと身体を震わせて安形は目を覚ました。視界を動かし、また朝が来た事を確認する。恒例にすらなりつつある寝汗を拭って安形は大きく息を吐いてベッドから這い出した。
――勘弁、してくれ・・・
 あの日からずっと悪夢が続いている。夢の中ではあれほどはっきりと聞こえていた声も起きればその内容すら思い出せないと言うのに、追い詰められた感覚だけは異様に確りと身体に残っていた。眠りも浅いらしく体調も良くない。特に胃の辺りが酷く重かった。
 それでも毎日朝が来る事に嫌気を感じつつ、安形はのろのろと自室のドアノブに手を掛けた。だが、そのままの体勢で身体が強張る。
――あのドアの向こうに何が在った・・・?
 それもまた、夢の外に居る安形には思い出せなかった。

 演技は上手い方なので体調不良を誰にも悟られる事無く、安形は今日も昼まで過ごす事が出来た。それでも昼食時だけは胃の調子が良く無い事を悟られるので人目を避ける為ここ数日は生徒会室で取っている。
「胃に優しい物ってリクエストで何でから揚げが入ってるんだよ・・・」
 生徒会室の来客用ソファーに腰掛けて弁当箱を開けた瞬間、思わず安形は呻いた。こう言う事があるから一人で無いとならない訳だが。ぶつぶつと文句を言いながらも安形はから揚げを箸で摘まんで口に運ぶ。思った通りに喉がまず拒否をし、吐きそうになった。
「・・・・・・お前なぁ」
 ほぼ涙目でから揚げを無理矢理飲み込んでいた安形の頭上から呆れた調子の声が降ってきた。顔を上げれば声の調子そのままの表情で榛葉が立っている。
「食べれないなら、残せよ」
「いや、作って貰ってそれはちょっと・・・」
 妙に律儀な奴だな、と呟いて榛葉は安形の向かいに座った。自分の弁当箱を開けると安形のそれと入れ替える。
「こっちなら、いける?」
「・・・ホント、ヤな奴だな、お前」
「普通はお礼じゃない? そこ」
 強がりな安形が自分が弱っている事を知られて喜ぶとは思ってなかったが、わざわざ消化にいい弁当を作ってきた自分の努力を顧みられないのも癪に障って榛葉はムッとした。
「何で分かったんだよ」
「A組にお前以外の友達もいるの、オレは」
 ため息交じりにそう言って榛葉は安形の弁当に箸を伸ばす。一口口にして微妙な表情になった。
「おばさん、味濃い目が好きなんだね」
「いや、好きってか・・・昔、オレが味が薄いって文句言ったら、それから死ぬほど濃くする様になった」
――胃が悪いのによく完食する気だったよ。
 それは言葉には出さずに榛葉はやれやれと嘆息する。安形のその様が家族にすら頼れない状況だと見て取れたから。
「変な溜め方してないで・・・」
「んー・・・・・・」
 文句の一つも言ってやろうとした榛葉の目の前で不意に安形の頭が傾いだ。何の力も入らないまま重力に引かれて落ちる頭を慌てて榛葉は腰を浮かせて片手で押さえる。それで何とか落下は止められた。
「・・・おまっ」 今のは確実に机に頭を強打していたと思うと心臓が激しく波打つ。それを抑えて榛葉は怒鳴り掛けようとしたが、自分の手の向こうの見えた安形の目の下に薄らとした隈を見つけると言葉に詰まらせた。
「悪ぃ・・・起きたら、食う・・・・・・」
 それだけ言うと安形の身体がソファーに崩れ落ちる。間も置かず聞こえ始めた寝息に力の抜けた榛葉の腕が下へと落ちた。
――ちゃんと寝てるのか・・・?
 身体を投げ出す様にソファーに座り直し、榛葉は自分の額に先程まで安形の頭を支えていた腕を掲げる。手の甲の向こうを見ながら先程見た光景に我知らず言葉が漏れた。
「サイアクだろ、これ」
 誰にも聞かれない言葉は榛葉の耳にだけ響く。その後に続いたため息は重く地を這っていた。

 ほんの数分とは言え昼休みに休んだお蔭か、安形は午後の授業は比較的楽に熟す事が出来た。それでも矢張り頭は重いし足元は飴の様に粘ついている。
――何か、自分を後ろから見てるみてぇだな。
 授業を受けながら。友人と笑いながら。そんな必死に何でも無い日常を続けようとしている自分を数歩後ろから冷静に眺めている気分になる。自分が自分である感覚が薄らいでいた気がした。時折それを取り戻すのは取り繕った自分の仮面が不意に剥がれ掛けた時だけで。
――歩いてるのかすら解らなくなる・・・
 自分が歩いていた事を確認する為に立ち止まってみた。意味の無い行動だと思うと自嘲の笑みが漏れる。その瞬間、自分の背中に何かがぶつかる衝撃が走った。
「って、悪ぃ!」
 背中からの声で安形はそれが人にぶつかられたからだと悟る。振り返ると見知った顔がそこにあった。
「げっ、安形・・・」
「ご挨拶だな」
 自分の顔を見た瞬間に嫌そうな表情を浮かべた藤崎を見て、安形は目を細めてムッとする。
「何だよ、廊下にぼさっと突っ立ってる方も悪いんだろっ。怒ってんじゃねぇよ」
 その言葉に安形は軽い衝撃を受けた。些細な事に怒りを覚えて更にそれを表に出した自分の素の姿。そんな物はいつだって曖昧な笑みの下に隠す事が出来ると思っていた。今だって本来なら笑いながら藤崎にちょっかいを出していた筈だ。
――何だって、こんな事で・・・
 眩暈がしそうになって思わず右手で自分の顔を覆う。不自然な安形の行動に藤崎の表情が怒りから違う物へと変わった。
「なぁ、具合悪いんじゃねーの? 大丈夫か?」
 自分を心配する言葉。気遣う表情。それを目にした瞬間、安形の中にあった何かに火花が散る。後ろで冷静な自分が止めろと言っている。けれど止められない。次の瞬間、安形は藤崎の胸倉を掴み上げていた。
「お前にだけは、心配なんてされたく無ぇんだよっ!」
 後ろで自分が自嘲っているのが解る。何処かで馬鹿みたいだと思っているのも、知っていた。
「お前が、」
「・・・あ、がっ」
 両手で掴んだ藤崎のシャツを締め上げる。苦しさに手が伸ばされていたが安形の手は緩まない。
「お前さえ、現れなかったらっ」
――藤崎が居なかったら?
 自分の言葉が耳に届いて突然冷静になった。自分の言おうとした言葉の続きに一気に血の気が引く。呆然として力の抜けた安形の手を払い除けると藤崎は窓に寄り掛かり激しく咳き込んだ。その首筋にははっきりと絞められた跡が赤く残っている。それでも藤崎、震える自分の手を見詰めている安形に更に言葉を掛けようとした。
「・・・・・・ホントに」
 続く言葉に意味合いを理解した安形の手が拳を作り壁に叩き付けられた。激しい音が響き渡り、藤崎がびくりと身を竦ませる。
「もういい・・・さっさと消えろ」
――これ以上、憐れまれるのは真っ平だ・・・
 安形の言葉に気圧されて藤崎が一歩下がる。それでも視線が憂いを含んでいる事に、もう苛立ちを隠す事もせずに安形は藤崎を睨み付けた。それで漸く藤崎は踵を返し去って行く。その後姿を眺めながら安形は自分の失態にともすれば笑い出しそうになっていた。
――こんな姿、誰にも見られたく無い、な。
 そう思っていたのに。
「会長・・・?」
 最悪のタイミングで最悪の人物が現れた。声だけでそれが誰か判っただけに安形は振り返る事が出来ない。
「あの、今、藤崎と言い争って・・・」
「何でも無ぇよ」
 椿の言葉を遮って無理矢理に会話を終わらせる。それでも椿は諦めずに安形に近付いてきた。
「ですが、」
 仕方無しに振り返ると安形は言った。
「本当に何でも無ぇって」
――まだ虚勢が残ってんだな・・・
 椿の顔を見た瞬間には体勢を立て直して笑顔を作れていた自分をそう評する。まだ何か言いたそうな椿の頭を左手で撫でて言葉を封じた。
「ちょっと廊下でぶつかっただけだ」
 乱雑に頭を撫でると椿の表情が少し悔しそうに歪む。その癖、手を離せば縋る様に安形を見る。それに胸の痛みを覚えながら安形は椿に背を向けた。これ以上、取り繕うのは無理だと感じる。
「用があるから・・・・・・またな」
 歩き出した自分の背中に視線が突き刺さるのを感じながら、安形は逃げ出す様にその場を離れるしか出来なかった。

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2011/04/06 UP
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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