春の邂逅

 月がまた一つ変わった、春休みの中日。椿は読み終わった本を返却する為に図書館へと足を向けていた。通い慣れている道の途中でふと足が止まる。
――そう言えば、会長の家はこの付近だったな。
 何気に思いつつも、だからと言って家に向かう為に足が動く事は無い。近くを通ったから。そんな言葉を容易く使えるなら、春休みが始まってまだ一度も会っていない事態になど陥ってはいない。
 ため息を一つ漏らして椿は再び歩き出そうと一歩を踏み出し、そしてまた止める。まさに目前に先程の言い訳の対象を見つけて。
「よぉ。久し振り」
「あ・・・」
 挨拶をしようとした椿の唇が、そのままの形で固まる。視線は上げられた安形の右手に留まっていた。そこは幾重にも包帯が巻かれ、痛々しい太さになっている。
「あの、あ、それ・・・」
「ん? ああ、何でも無ぇ」
 さらりと言われた言葉に、椿の顔が強張った。この目の前の天邪鬼な人物が、何か有る時ほど「何でも無い」と言い募る事を知っているから。
「何が有ったんですか?」
 つかつかと安形に歩み寄ると包帯が巻かれた腕を掴む。手首を中心に巻かれた白い包帯を睨み付けてまじまじと見た。
「お、おいおい、椿」
 椿の行動が予想外だったのか安形は動揺を含んだ声で椿の名を呼ぶ。それすら耳に入らない状態で、椿は観察を通り越した視線をそこに注いでいた。
「捻挫・・・にしては、包帯が厚いですね。折れては無いから固定はして無いんでしょうけど・・・・・・誰ですか?」
「は?」
「誰にこんな事をされたんですか?」
「え? いや、誰って・・・」
「隠さないで下さい。庇ったりする様な相手なんですか。そうでないなら、ボクが・・・」
「ストップ! ちょっと待て、椿っ!!」
 話していく内にどんどんと険しくなっていく椿の表情に、安形が慌てて大声を上げる。やれやれと苦笑を浮かべて椿の手から自分の右腕を引き抜いた。
「ホント、お前・・・」
 左手の指を右の白の端に掛けるとその先端を持つ。そのまま安形が左手を引けば、包帯はきれいに解けていった。
「・・・素直、過ぎ」
「・・・・・・・・・」
 呆然とする椿の目の前に、普段と変わらないきれいな腕が曝された。何処をどう見ても、そこには擦り傷一つ見付けられない。それを示す様に安形は右手を握ったり開いたりして見せる。
「椿、今日は何日?」
「・・・ついたち、です」
「うん。四月のな」
 視線を腕から動かせば、気まずげな安形の顔が目に入る。そこで漸く、椿は事態を呑み込んだ。
「親戚の看護士してる人が家に来てて、な。ちょっと仕込んで貰って・・・・・・」
 別に椿をターゲットにした訳では無く、近所の友人達をからかう程度のつもりだったのだ。それを告げた瞬間、椿の顔が一気に真っ赤に染まった。
「何を考えてるんですか貴方はーーーっ!」
 今までの憂慮が一気に怒りへと変わる。手に取る様に解る感情の変化に言い返す言葉も無く、安形はそのまま大人しく怒鳴り声を受け止めていた。
「悪かったよ」
「悪かったじゃないですよ! 人がどれだけ心配したと思ってるんですかっ」
「ちょっとした悪ふざけだよ。そこまで怒る事でもないだろ」
「他の人ならそんなに心配も怒りもしませんっ! それをちょっとした悪ふざけで済まそうとしないで下さい!!」
 叫ばれた椿の言葉に、安形の目が丸くなる。本人はきっと気づいていないたった一言に、心の奥の感情が擽られた。
「お前、それ、なぁ・・・」
 気まずそうにしながらも安形は少しだけ顔を染める。それを隠す為に自分の口元を手で覆った。
「まさか、こんなに心配されるとは」
 思わないじゃないかと小さく続ける。しかし当の椿は安形の言っている事が理解出来ず、顔に疑問符を浮かべ安形を見ていた。彼にとっては至極当然な事なのだろう。それが余計に安形の体温を上げた。
――何か、やっぱオレってこいつの特別なんかな・・・
 ちらりと椿の顔を見て、やっぱお前にはやられるわと呟く。そのまま自分だけ相手に良い様に振り回されるのも癪に障り、安形はふわりと椿に顔を寄せた。
「!!」
 唇で触れた頬から椿が硬直したのが伝わる。少しだけ気が済んで安形はいつもの調子を取り戻した。
「なっ、な、なに・・・!」
「心配してくれた、お礼」
 不意打ちの行動に目を白黒させる椿を見ると安形は満足そうに笑う。そんな笑顔に椿の顔が恥ずかしさと悔しさとに歪んだ。
「・・・・・・ここが、何処かご存知でしょうか」
「あ、うん。オレん家の近所」
「往来です!!」
 安形の惚けた台詞に、椿の鉄拳が飛んだのは言う迄も無かった。

2011/04/03UP
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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