君が居るから

「お前は出来が違うから、きっと受験勉強の苦労なんて無いんだろうなぁ」
 廊下で雑談していたクラスメイトにそう言われ、思わず安形は苦笑した。最近はこの手の嫌味が富に増えた。皆、受験と言う一生を決めるイベントが近付き、ピリピリしているのだろう。
「そうでも無いさ。これでも勉強してるぜ?」
 冗談めかして言ってはみたものの、クラスメイトは唇を少し上げるだけの卑屈な笑みを浮かべるだけだった。
――これ以上話してても悪化するだけだよなぁ・・・
 どうした物かと考えあぐねて視線を逸らした安形の目の端に、見知った顔が映った。これ幸いとばかりに級友に別れを告げ、いそいそとその人影――椿に近付いていく。
「何? 珍しいな。お出迎え?」
「・・・・・・いえ、用があったもので」
 問い掛けた安形に、椿は言葉少なに答えた。むっつりと唇を横一文字に結び、眉間には皺を寄せている。その様に安形は首を傾げた。
「戻ります・・・・・・」
「え? 待てよっ」
 それだけ言っていつもより足早にその場を去っていく椿を、安形は慌てて追いかける。それでも歩を緩めようとしない椿に少しだけ廊下を走り横へと並んだ。今の椿の表情を読み取ろうと顔を除けば、椿はその視線から逃れる様に顔を背ける。
「おい、椿っ」
 余りの様子のおかしさに安形は強引に椿の肩を掴んで自分の方へと向き直らせた。漸く目にしたその顔は、まるで泣き出す一歩手前。それが安形の目に曝された事で、余計に歪んでいく。
「つば・・・・・・」
「離してください」
 短く言われた言葉に思わず安形の手が緩む。その隙に椿は身体を安形の手から離すと再び歩き始めた。追うか追うまいか考えている間にも椿と安形の距離は開いていく。その事実に焦り、迷いながらも安形は再び椿を追い掛けた。
 漸く安形が椿に追い付いたのは、既に彼が生徒会室に身を滑り込ませた瞬間だった。目の前で閉められそうになったドアに手を掛け、自分もそこへ入り込む。久々に必死に走ったものだから、安形の息は随分と上がっていた。
「なんで、そんな顔、してんだよ」
 もう少し体を鍛えておけば良かったなどと心の何処かで思いながら、安形はまだ上手く整わない息のまま言葉を紡いだ。それに対して椿は俯いたまま何も言わない。
「なぁ、椿」
「・・・・・・たが、」
 聞こえてきた声は掠れていて。安形は心配げにその顔を近づける。
「貴方が、怒らないから・・・」
 泣きそうになっているのを、必死に抑えているのが手に取る様に分かった。それでも椿がそれを押し隠しているのが知れて、安形は距離を詰める事を止めて静かにその言葉を聞く。
「・・・出来が違うとか、有りえないのに。貴方が努力をしている事を知りもしないでそんな風に言ってっ・・・・・・悔しくないんですか?」
 段々と言葉が荒くなっていく。
「ボクは悔しいです。貴方がそんな風に言われるのもっ、貴方自身がそれを享受するのもっ!!」
 うん、と小さく呟いて、安形は椿の頭に手を乗せる。頭を撫でてやれば、そこから震えが伝わってくる。顔を見なくてもその瞳に涙が溢れているのは明白だった。
「理不尽な事を言われれば、怒って下さい・・・でないと、ボクは悔しくて溜らなくなる・・・・・・」
「そうだな・・・・・・」
 不意に安形の手が離れる。軽くなった頭に椿が顔を上げれば、そこには安形の笑顔があった。
「・・・なんで、笑ってるんですか」
 目頭を濡らす涙を安形は親指の腹で拭ってやる。その真っ直ぐな琥珀の瞳を覗き込むと、さも満足げな自分の顔が映った。
「そりゃお前ぇ、嬉しいからだろ」
 頬を伝った涙ごと包み込む様に手を添えれば、自然と椿の顔が上を向く。本人はそんなつもりは無いのだろうが誘っている様に見えて、安形はそれに惹き寄せられる。誘われ、触れたのは眉間。そこへ軽く口づけると、椿の双眸が瞬いた。溜っていた涙が再び零れ落ち、目尻から落ちたそれを舌で嘗め取る。
「会長・・・」
「お前が代わりに怒ってくれたから、もうそれでいいんだよ」
 これだけを言葉にして、今度は唇へと口づけた。甘い香りがする錯覚に一度離した唇を再度重ねる。深く、貪欲に。
――お前が解ってくれるだけで、こんなにも救われてるんだよ、オレは。
 告げ切れ無い想いは、全て口づけに乗せて。ただ相手を抱きしめ続けた。きっと人は理解される事に弱い。誰しもが気持ちを解って貰える事に。そんな相手が居る事がこれ程までに心を歓喜させている。
「・・・・・・ありがとう」
 耳元で囁いて、ひた向きにその体温を感じていた。

2001/03/26 UP
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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