狼少年 -SIDE B-

 血が沸騰する感覚と言う物があるのなら、正しくそれだった。普段見慣れていた腕に突き立てられた鈍い銀の光に、理性が飛びそうになる。ほんの一秒にも満たない時間の中で、瞬時に相手をどうすれば社会的に抹殺出来るのか。そんな事まで考えている自分がいた。
 それでも次の瞬間にはその熱も押し留め、柔らかな空気を纏う事に成功する。人目があったからだろうか。それとも、別の理由だろうか。そんな事、自身にも解りはしなかったのだけれども・・・
* * * * * * * * *
「オレはちょっくら色々あるから、まだ残るわ」
 負傷した椿を心配して保健室へと向かう相談をしていた榛葉に、安形はぽつりとそれだけ言った。それは言外に自分は付いて行きませんと言う意思表示だ。難色を示す榛葉に軽く肩を竦めて見せる。一瞬、椿が酷く心細そうな表情になった気がしたが直ぐにそれは消え失せる。
「・・・ああ、だから、保健室には三人で行ってね」
 予想していなかった榛葉の言葉に、内心、安形は動揺した。正直、出来れば一人に成りたかった。さっきから自分の内側で渦巻く訳の解らない感情を取り繕うのは限界に近いと感じていた。なのに榛葉は上手く後輩達を丸め込み、さっさと送り出してしまう。何故だか追い詰められた気がして、安形は軽く拳を握った。
「・・・・・・別に何の用がある訳でもないだろ」
 日が落ちていく中、小さくなっていく三つの影をぼんやりと見ていると不意に声を掛けられた。声が呆れているのが声音から感じられる。
「別に・・・連れ立ってぞろぞろ行くもんでもねぇだろ」
 言い訳染みているとは解っていたが、それしか言えなかった。その言葉に対して背後に居る友人がどんな表情をしているのか安形には見えない。
――いや、見たくないんだ・・・
 安形にだって人並みに他人の態度に対する恐怖はある。長い付き合いの友人ならば、尚更。その表情から読み取れる情報も多いだけに見たくはなかった。
「怒れば良かったのに」
 悲しそうだと感じた。表情を見ない様にしても簡単に声音から感じ取れてしまう。けれど何が起因してそんな感情を示すのか、安形は捉え切れずにいた。
「何の事やら」
 だから、そのままそれを言葉にしてみた。ついでにひらひらと右手を上げて振ってみる。未だ顔を向けられないまま。
「大事だと思うなら、大事にすればいいだろう?」
――誰を。
 問わない、否、問えない質問を心で呟く。代わりに出たのは自分でも呆れるほど惚けた声だった。
「だから、何の事だよ」
――この問いに答えるな・・・
 きっと自分は全て解っている。けれど解りたくないから気が付かない振りをする。
――それで丸く収まるんだから、これ以上、
「好きなんだろ、椿ちゃんの事」
 畳み掛ける言葉に、安形は泣きそうになる。そんな事は無いとわざと小声で吐き出して、否定の意を示すため手を左右に振ってみる。
「まさか、男だろ、椿は」
 一番絶望的な言葉を自ら口にする。在り得ない事だから、それは存在しないのだと。
「じゃあ、こっち向けば? 見極めてあげるから」
 振り返ってやろうと思って、でも体が動かなかった。
――振り返って、
 目を見て、
――違うと一言・・・
 ほんの少しの動作が、たった一言の言葉を告げる事が、どうしても出来なかった。
「戯言だな」
 否定でも肯定でも無い言葉は自分が逃げている事の証なのだけれでも。それで漸く自分を保てるのも事実だった。まだ何とか動く足でふらりと歩き始める。
「何処までそうやって嘘つき続けるんだっ」
 背後から、一番聞きたくない言葉が投げ付けられた。違うと唇に上らせて、
「・・・・・・嘘なんて、ついてねぇよ」
 これだけは聞こえる様に口にした。自分に言い聞かせる為にも。
――大事な後輩、それ以上でも以下でもない。多少、気に入っていて他の人間よりは大切にも思っている。それだけだ。
 だから、これは恋では無いのだと。もう一度しっかりと確認する。ただ自分は後輩を心配する先輩なだけなのだと。

『嘘をつく時のコツは自分自身がその嘘を信じ込む事』


 昔聞いた誰かの言葉がふと脳裏を過ぎった。軽く首を振り、それを頭から追い出して。やけに柔らかく感じる地面を安形はそれでも歩いて行った。
* * * * * * * * *

 ある日、本当に狼が出た時、少年が「狼が出た」と叫んだ所で誰も信用してくれません。
 少年はその狼に震えながらも、ふと思いました。
「これは、ずっと嘘をつき続けてきた自分が見ている幻かもしれない」
 もう誰も信用してくれないから、嘘を真実にする為に見ている幻覚かもしれないと少年は叫ぶのを止めました。
 最後に見えたのは、鋭い牙と自分を飲み込む赤黒い口腔だけ・・・

これで、おしまい


2011/03/06 UP
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