それまでの間の日常

 スケット団の廃部を掛けての戦いが幕を開けて早二日。相変わらずの空気の中、何とか劇は形に成り始めていた。
「もう疲れたっ! いったん休憩なっ!!」
 ボッスンこと藤崎の掛け声で、おのおのお菓子を食べ始めたりジュースを飲み始めたりと動き始める。そんな中で藤崎はツッコミで疲れた頭を冷やす様に、窓にもたれ掛かり身体を後ろに逸らせて頭だけを外へと突き出していた。
『お疲れv』
 唇の端をほんの少しだけ持ち上げるだけの笑顔で、笛吹が藤崎へと紙コップを差し出す。
「いや、お前も疲れさせた原因だし」
 このメンバーでツッコミがオレとヒメコだけかよとぼやきながらも藤崎はその紙コップを手にした。
「・・・・・・あんま、緊張感ねぇな」
『そうか?』
「あ、いや。別にみんなが頑張ってないとかじゃなくて・・・」
『それは分かってる』
 いつも通りにしてはいるが廃部が掛かっているのだ。皆がそれぞれに必死になってくれている事を藤崎が解っている事を、笛吹もまた理解していた。
「みんな、不安じゃねぇのか?」
『何処か、安心はしているだろう』
 藤崎の疑問にあっさりと笛吹が応える。
『オレもそれほど不安ではない』
 今度はちらりと藤崎が笛吹に視線を向けた。笛吹はと言えば、憩中の皆を見ている様で、その視点は何処か遠くにある。
――副会長が実務を行っているとは言え、最終、判を押すのは生徒会長だしな。
 心の中で呟く。一度切り会っただけだが忘れられない記憶。ほんの半年前に過ぎないそれを思い返しながら。
* ** * * * * * *
 日差しが日に日に強くなり、夏の気配を感じられる様になった季節。笛吹は一人、校舎裏を歩いていた。いつもの二人は今日は用があったので一人の時間が出来た彼は校内を探索する事にしたのだ。
――ほんの数ヶ月前までは一人で学園内をうろつくなどとは夢にも思っていなかったのに・・・
 そんな自分の変化を素直に嬉しいと感じていたし、同時にあの部屋から連れ出してくれた人物に感謝もしていた。あの時の事を思い出すと今でも涙が滲みそうになる。少しだけ歪んだ視界に、笛吹は立ち止まり視線を上に向けた。しかしそんな風にしんみりとしていた笛吹の目の前に、突然
「おぉわっ!」
 人間が、降って来た。事態を飲み込むのに数秒を擁しはしたが、それが目の前の木から転落して来たのだと気が付くのにそう時間は掛からなかった。
「・・・やっぱ、木の上で寝るとか無理あっか」
 大柄な人物はぶつぶつと呟きながら身体を起こし、ズボンに付いた汚れを片手で払う。そして、まさに今気付きましたとばかりに笛吹に視線を向けた。
「げっ、人が居たのかよ・・・」
――見てはいけなかったのだろうか?
 どうにも判断が付きかねて笛吹は困惑の表情を顔に浮かべる。それを気遣ってなのかどうなのか、落ちて来た人物は笑みを浮かべて話し掛けてきた。
「みっとも無ぇとこ見られちまったな。悪ぃ、驚かせて」
 片手を上げてかっかっかっと笑う人物は酷く人懐っこい性格らしく、そのまま笛吹の肩をぽんと叩く。
『ぶつからなかったので、問題は無い』
 どう反応して良いか戸惑いつつも、結局は無難で当たり障りの無い事実を告げる事にした。その音を聞いて相手の顔が微妙に変わった。困惑を瞳に乗せた不可解な表情。笛吹が初対面の合成音声ソフトで話す時、面白がる者もいるが多くの人はそう言った反応を見せた。
――正直、この瞬間は苦手だな・・・
「・・・んー、お前、見ない顔だなぁ。転校生? ・・・って、転校してきたって話は聞いて無ぇし」
 考えていた笛吹に意外な言葉が降ってきた。彼は右手を顎に当てると一人考え込んでぶつぶつと呟いている。
「何年?」
『二年だが・・・』
 不意に話し掛けられる。気圧されて笛吹は思わず素直に答えた。表情こそ崩れてはいないものの、相手の独特な雰囲気に内心は動揺しっ放しだ。
「ああ、」
 思い至ったと言った風にぽんっと手を叩くと、随分とすっきりした顔をして彼は笛吹を指差した。
「お前、笛吹和義だろ?」
 今度こそ笛吹の顔にはっきりと動揺が現れる。見知らぬ人間が自分の名前を知っていると言う事実は彼にとって意外なほど大きな衝撃だった。
『・・・・・・そんなに有名か』
 自分が一年の時の事件から引き篭もっていた間の事。自分の顔が知られるまでに人の口に上っているのかと思い、笛吹は俯き軽く唇を噛む。しかし、そんな笛吹の思いを彼はまたもや快く裏切ってくれた。
「え? 何が??」
 心底訳が分からないと言わんばかりの顔をされた場合どうすればいいのか。少なくとも現段階の笛吹のマニュアルには載っていない。ここは落ち着いて根本的な事を聞いてみようと、笛吹はキーボードに指を走らせた。
『何故、名前を?』
「ん? オレ、一応生徒会長してっからな」
 あっさりと言われた台詞。今までとは違った驚きに笛吹は弾かれた様に顔を上げた。まさか、と思う。
『まさか、全校生徒の名前と顔を覚えているの、か?』
「まぁ、それ位は。っても、一年に一回しか写真確認しねぇから、雰囲気変わると思い出すのに時間が掛かるけど」
――この学園に生徒が何人居ると思ってるんだ。
 マンモス校では無い物のそれでも一学年の人間は三桁に上る。それを写真と言うデータだけで記憶出来ると言うのは掛け値無しに天才だ、と笛吹は感じた。
『生徒会長と言う事は・・・安形惣司郎か』
「そっちも似た様な特技、持ってんだな」
 素早くキーボードに指を走らせ情報を引き出してきた笛吹に、安形は感心している。次いで、漸く笛吹が手にしているパソコンに気が付いた。
「おほっ、それどうやって喋ってんだ?」
『音声合成ソフトだ。文字を入力すれば喋ってくれる』
 昨日見たテレビは面白かった? それ位のニュアンスで聞かれた。だから笛吹も素直に応えられる。やっといつもの調子に戻れた様な気がして、微かな嬉しさを含む安堵を覚えていた。
『しかし、ここまで遅れて反応した人間は初めてだ』
「そうか? 普通に話出来てたし、意外に皆気付かないんじゃね?」
『普通? そう言われたのも、初めてだな』
 初対面である筈なのに何故こんな話をしているのか。笛吹は自分でも不思議だった。
『自分の口で話せない人間を、普通とは言わない』
「普通だろ」
 安形はあっさりと言い切った。
「質問に質問で返す訳でも無けりゃ、人の話を聞かずに暴走する訳でも無ぇ。きちんと相手の話を聞く耳を持って、相手を傷付けない様気を使って。普通の会話、だろ」
 人にも引力が有るすれば確実に目の前の人物はそれを持っている。そう思える程に淡々と極自然に安形は語った。
『今はそれでいいかも知れないが、社会に出れば・・・』
 常に抱えていた不安を吐露する。いつだって付きまとう不安は常に未来に対しての物だ。沈んで行く笛吹の表情に安形は少し困った顔をした。
「・・・今は猶予期間みてぇなもんだろう?」
 腕組みをして少し思案する間を取ると、安形は再度口を開く。
「オレは、学生生活ってのは社会に出るまでの猶予期間みたいなもんだと思ってんだ。時が来れば否が応でもがんじがらめにされるけれど、それまでに出来る限りの事が出来る。
 誰だってよ、家庭環境とか持病だとか、自分じゃどうしようも無い物って有んじゃねぇか。それを受け入れる期間が、きっと今なんだと・・・・・・まぁ、オレ個人の勝手な見解だけどな」
『それは、今の間に諦めろと言う事か?』
「違ぇよ。諦めたら何も進展しねぇだろ」
 安形は笛吹から目を逸らさず、確りと見据えながら続けた。
「覚悟を決める期間だよ」
「見つけましたよっ、会長!」
 真剣な空気に水を差す様に第三者の声が頭上から降り注いだ。二人して顔を上げれば、三階の窓から顔を覗かせて烈火の如く怒り狂っている人物が見えた。
「げっ、やべぇのに見つかった!」
「聞こえてますよ!! 今すぐそこに行きますから、絶っっっ対に動かないでくださいね!」
 それだけ吐き捨てると、窓から顔が消える。言葉通り、ここに向かっているのだろう。
「悪ぃ、アイツが来たら面倒だから、オレ逃げるわ」
 そう言うや否や、安形は迷わず目の前の校舎へと向かった。運良く開いたままの窓に手を掛けると当たり前にそこを乗り越える。
「ああ、そうそう。さっきの補足な」
 窓に腰を掛けた状態で器用に靴を脱ぎながら、安形はにっと笑った。
「病気にしろ家庭にしろ、一生付き合っていく覚悟さえ出来りゃ、方法ってのは後から付いてくんだ。今はきっと、その方法論を見つけ出す猶予期間だ。参考までにオレの意見な」
 言い切って校舎の中へと飛び降りる背中が随分と大きく見えた。こんな人間も居るのだと感心し、そして驚く。
『ありがとう。話が出来て少し楽にはなったな』
「そっか。そりゃ良かった。じゃ、お礼はアイツを上手くあしらっといてくれ」
 視線だけを戻して目で挨拶を交わす。そうして安形は校舎の中へと消えて行った。その余韻に浸る暇もなく、三階で叫んでいた人物が猛ダッシュで笛吹の側に来る。
「くっ、もう居ない・・・やっぱり三階から動けなくなる様、攻撃すれば良かった・・・・・・」
――三階から攻撃とはシャレにならない気がするが。
 辺りを見回して悔しげに呟くのは、本人の威勢に比べると随分と可愛らしい人物だった。三階からここまで全速力で走ってきたらしく、肩で息をしながら袖で汗を拭っている。
――さっきのが生徒会長なら、これは副会長の椿か?
「君! さっきここに居た全体的にだらしない感じの男が何処に行ったか知らないか?!」
 凄い言われ様だなと思いつつ、笛吹は無言で椿が来た方向とは反対の――つまりは安形が逃げたのとは明後日の方向を指で示した。
「そうか、ありがとう」
 律儀に礼を言って、椿はまたしても全力疾走していった。きっと窓から出入りする人間などいないと思っているのか、人が自分にメリットの無い嘘をつかないと思っているのか。少しも笛吹の事を疑わないその様を見ていると、何故か少し笑みが漏れた。
――猶予期間、か・・・
 タイムリミットは決まっている。逃げる事は出来ないのだろう。けれども、時間は零ではないのなら、
――いつか、覚悟が出来るだろうか。
 それがいつなのか、どんな覚悟なのか、まだ分からない。それでも向かっていける場所が見つかった気がして、漸く地面に足を付けて歩み出した心持になった。
* ** * * * * * *
「おーい、スイッチ、どうかした?」
 不意に時間を今に戻されて笛吹はハッとする。急に黙り込んだ彼を窺う様に、藤崎は少し屈んで笛吹を見上げていた。
「何? オレ、何か変な事言ったか?」
――ここ一番の度胸が有る癖に変な所で小心者だな。
 頼れる癖に何処と無く卑屈で。そんな彼を見ていると、自分とは違う人間だけれども何処か同じ物を持っているのだと感じる。まるで遠く何処かに離れているのに肩を組んで歩いている様な錯覚。それは酷く心地良くて、そして安堵出来る。
 一生、自分はこのままかも知れないと幾度と無く思い、孤独も感じた。けれど、目の前の人物にそれを吐き出せば、きっとこんな答が返ってくるのだろう。

いいんじゃねぇ?
そのままで。


 それは決して問う事の無い質問だろうけど、きっとそうだと感じられる。それが覚悟を持つ事へと繋がっていくと、笛吹は信じていた。
『・・・・・・皆、お前を信頼してるんだ』
 唯一言えるだけの言葉を渡す。全てを解って貰いたいとは思わないが、少しは知って欲しいと思うから。
『頼りにしてるぞ、リーダー』
「も、何言ってんだよ・・・もっと言えよ、チクショウ」
 相変わらずの照れ顔でそれでも素直な要求をしてくる藤崎に、笛吹はこの辺が落とし所かと用意していた台詞を打ち込む。
『今この瞬間に全責任がボッスンの肩に乗ったな』
「やめろよっ! オレ、プレッシャーに弱いんだからっ。メッチャ、チキンなんだからっ!!」
 くるくる変わる表情が面白くてもう少しからかいたかったが、向こうから鬼塚の「練習再会するでっ」の声が響き、それは断念せざるを得なかった。それに応えて藤崎は手を上げながら教室の真ん中へと歩んで行く。
――こうやって一緒に歩いて行けるなら、
 笛吹も自分の肩からパソコンを外すと、代わりに衣装のマントを羽織ってその後を追った。
――きっと、覚悟を得た時の道は無数に広がる。
 笛吹の背中が見慣れた顔の集団に身を埋め、溶ける様にその中へと消えていった。

そして、日常が始まる。


2011/02/27 UP
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テーマ「人外ファンタジー」
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