猫の様に気まぐれに

 猫と言う生き物は大体の人間に気まぐれなイメージを持たれている。それはこちらが構いたい時はそっぽを向く癖に、構いたく無い時に構ってくれとサインを出すからだろう。例えば新聞を広げたり仕事をしようをパソコンを立ち上げたりした瞬間、その上に乗ってきて「ここを撫でろ」とばかりに腹を見せたり、など。
――きっと、いい迷惑なんだろうな・・・・・・
 目の前の光景を眺めながら、椿はそんな事を考えていた。作り掛けの書類の上に横たわる安形。まるで困った猫の様に椿に顔を向け、右手でペンを握ったままの椿の頭を撫でている。
 数分前まで椿は今日中に処理しなければならない書類を片付けていた。文化祭前の多忙な時期でもあり中々に片付かない書類に辟易としている中、一人、二人と仕事の終わった仲間達が帰っていく。気が付けば生徒会長である安形と二人きりの状態となっていた。
 それに気付いた瞬間、嫌な予感はしていた。それでも後数枚で終わる書類をやっつける事だけを考え、敢えて意識を仕事に向けた椿の視界に突然安形の身体が飛び込んできたのだ。
「他に誰も居ないのに、眉間に皺寄せて書類ばっか見てんじゃねぇよ」
 身勝手な言い分に、椿は小さなため息を漏らした。
「退いて下さい。書類が作れません」
「そんなの、明日でいいだろ。今日じゃなきゃ駄目な事しようぜ?」
「それも今日でなければならない気はしませんが」
 えぇー、と安形は不満げな声を上げる。ふにふにと椿の柔らかい頬を軽く摘み、弄びながら続けた。
「文化祭の所為で最近、二人っきりになれてないだろう。明日もそうかもしれねぇし」
 ほら今日じゃなきゃ無理だと平然と言ってのけた安形に、椿は言葉を詰まらせる。こうやって人を煙に巻くのが上手い恋人を少し恨めしく思った。
「明日も二人になれるかも知れません」
「これから文化祭準備本番なのに?」
 心ばかりの反論はあっさりと覆された。もう、ここはストレートに行くしかないと、椿は決意する。
「この書類を今日中に仕上げなければ、段取りが狂って他に影響が出るんです。ボクには義務がありますから。そんな訳で邪魔なので退いて下さい
 わざと邪魔の部分を強調して相手に強く出る。だが、そんな事で怯む様な安形ではなかった。
「ああー、そう言う? いいよ、どいても。でも、」
 一瞬、安堵しかけていた椿だったが、次の言葉に逆に窮地へと追い遣られる。
「椿がキスしてくれたら、だけど」
 椿は一瞬呆れた顔をしたが次の瞬間には何とも言えない微妙な表情を作った。その表情自体は安形もまだ見た事が無く、どう言う感情を有しているのか量り兼ねる。
――絶対、怒ると思ったんだが。
 予想外の反応に少し驚きつつも初めて見た椿の表情に満足がいき、そろそろ許してあげようかとも考えていた安形を不意の感覚が襲った。頬に柔らかな物が触れたのだと悟り、次に自分から離れる椿の顔にそれが唇だと知った。
「え? おい、つば・・・・・・」
「これで、退いてくれますよね」
 椿は微かに頬を染め、安形から視線を外しながら再度イスに腰掛けた。これは知っている表情だ、と安形は思う。椿は照れると決して安形を見ようとしない。
「普段からそうならいいのに」
 余韻を楽しむ様に安形は自分の頬に軽く手を触れながらそう言った。椿はまだ視線を外したまま、それに応える。
「・・・・・・いつもは人前ですから」
――そう言う事か。
 安形は思う。言われてみれば大体椿が激しく抵抗する時は見られている時や、誰かに見られる可能性がある時だった。安全な場所であれば確かに驚く程椿は従順で。驚きとは別に込み上げる感情に、安形は暫く無言になる。それを不審に思ったのか椿が顔を上げた。
「何をにやにやされてるんですか」
「そう言う線引きがあったとは知らなかった」
 自分に視線を戻してくれた椿に安形は心から笑顔を作る。
「嬉しい」
 知らなかった表情、知らなかった感情。
「椿の新しい事が理解って嬉しい」
 そう繰り返すと椿はまた頬を赤くして今度は俯いてしまった。それを安形は顎を掴んで上を向かせる。目が合うと椿は更に顔を赤くして動揺していたが、構わず安形は口付けた。先程自分の頬に触れた物を今度は唇で味わう。その時とは違った柔らかさに、安形は角度を変え、幾度もキスをした。
「かい・・・ちょ・・・・・・」
 やっと離れた唇から漏れた呼び名は、いつもと違って少し擦れている。口付けの間ずっと息を止めていたのか、椿の息は少し上がっていた。その様子も、いつに無く長かった口付けに目を泳がせる様も、全てが安形にとって愛おしい。
「好きだ」
 だから、言った。別段、言葉にする必要は無いのかも知れなかったが、何故だか言いたくて堪らなかった。愛おしい思いを少しでも伝えたい。安形は切実にそう感じていた。
 その台詞に椿は少し目を見開き驚きを示したが、次にはゆっくりと瞳を閉じる。それを合図に安形は椿を抱き寄せた。再度の口付けを交わす為に。
「・・・・・・・・・おーまーえーらぁー」
 しかし唇まであと数ミリと言った所で唐突に第三者の声が響いた。腕の中で椿の身体が強張るのを感じつつ、安形は視線を声の方へと向ける。
「ミチル、帰ったんじゃなかったのか?」
 そこに居たのは脱力してドアにもたれ掛かる榛葉だった。恐らくはドアを開けて飛び込んできた光景に、ぐったりとしてしまったのだろう。
「忘れ物があって、戻ってきたの! そう言う事すんなら鍵ぐらい掛けとけっ!!」
「あー、今日は最後までするつもりなかったから、掛けてなかったわ」
「最後だけでなく最初の時も掛けとけよっ! オレ以外だったらどうする気だったんだ!!」
「あー、学校公認?」
 かっかっか、といつもの様に笑っていると、腕の中の体が小刻みに震えているのが伝わってきた。視線を向ければ椿は顔を真っ赤にさせて微かに涙ぐんでいる。
――あ、これはヤバいかも・・・・・・
 いつもの鉄拳が来るかと思わず腹筋に力を入れたが、予想に反してそこよりも上の部分に力が掛かった。簡単に言えば椿はそのまま前へと両腕を突き出し、安形の身体を押し退けたのだ。ただし力一杯。
「ごっ、おわぁっ!」
 そのまま安形は机の上を転がり、反対部分から床へとダイブした。机の上の物を体でなぎ倒しながら。
「痛ぇーーー! 刺さってる! 何かが背中、刺さってる!!」
「か、かええりますっ!」
 今日終える予定の書類も何もかも放り出し、椿は鞄を掴むと唖然としている榛葉の横を擦り抜け、走り去っていった。榛葉は「転ばないようにね」と椿の後姿を見送ると、安形へと歩を進める。
「良かったね。今日は殴られなくて」
「いいから背中のペン抜いてくれよっ!」
 今日も校舎に安形の悲痛な叫びが響いていた。

2011/2/21 UP
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -