grow up

「せんせぇ、さよーならー」
「さよならー」
 ここはビスケット幼稚園。今日も楽しく一日を終えた園児達が、先生に手を振りながら保護者と共に園を後にする。
「おー、さよならー。また明日なー」
 それに答えながら手を振りつつ、きちりと全員が見えなくなるまで見送っているのは教員の安形だった。殆どの園児が帰って静かになった運動場の眺めると、そこは夕日で赤く染まりつつある。
「んー、まだ五時過ぎなのに、随分日が落ちるのが早くなったな」
 軽く伸びをしながら安形はため息混じりに呟いた。吐く息は白くないものの肌に触れる空気は冷たい。冬の少し手前の秋の匂いがしている。
「えぇーと、あと残ってるのはっと」
 冷える腕を摩りながら教室へと向かう。今日は預かり保育は無かったはずと思っていた安形の目に、教室に残る小さな影が映った。
――あれ、オレ勘違いしてたか・・・?
 窓から顔を出して見て見ると残っていたのは名物双子のボッスンとサスケだった。この二人は両親が自営業のため、ちょくちょく迎えが遅くなる。今日もそうなのだろう。見れば母親を待ち疲れて眠ったサスケの身体にに、ボッスンが何処から出したのか毛布を掛けてやっていた。
――家でも、ああなんだろうな。
 何となく想像が付いた。忙しい両親に負担を掛けないため、同い年にも関わらず『兄』として『弟』の面倒を見るボッスン。行動の端々にそれは滲み出ていた。簡単に出来る事ではなく、そしてそれは大人の理解を超える努力があるのだろう。そんな風に安形は思っていた。
「・・・・・・」
 安形はなるべく音を立てない様にドアを開け、そっと二人に近付く。ボッスンの横に腰を下ろすと、おもむろにその頭を撫でた。
「サスケに毛布掛けてやったんだな。優しいな、ボッスンは」
 こう言う時、安形は決して『偉い』とは言わない。無意識に性格による優越を付けるのを避けているのだろう。だからこそ安形は園児達にとても好かれていた。
「・・・・・・オレはサスケの兄ちゃんだから、当たり前だ」
――ん?
 何となく感じた違和感に安形はボッスンの顔を覗き込んだ。その表情は歯を食いしばり、何かを抑えているかに見える。こんな風に誉められた時ボッスンはとても誇らしげな顔をする分、余計に不審に思えた。
「どうかしたか? 痛いトコでもあるか?」
「・・・・・・ない」 体調が悪いのかとも思ったが、そうでも無いらしい。外部要因でなければ内部要因かと、安形は続けて聞いてみる。
「何か悲しい事でもあったか?」
「・・・・・・・・・」
 当たりだったらしく、ボッスンはそのまま黙ってしまった。
「そうかぁー・・・・・・」
 そのまま安形はボッスンの頭を撫で続けた。別に話したくなければ話さないでいいし、話したければ話せばいい。ただ自分が悲しい事があった事を知っているよと伝われば、それでいいと思った。
「・・・・・・・・・・・・オレは、兄ちゃんなんだ」
 暫くそのまま頭を撫でられていたボッスンが、不意にぽつりと言葉を漏らした。
「兄ちゃんだから、誰より知ってんだ」
「うん、そうだな」
 ぽつりぽつりと呟くボッスンに、安形は短い相槌を挟むだけで余計な事は言わない。
「サスケがちゃんと出来る子って知ってんだ。ホントは劇だってできるし、お歌だって歌えるし・・・・・・」
――ああ、そうか。
「・・・・・・安形せんせいが気がつくより前に、オレは知ってたんだ」
「うん、兄ちゃんだもんなぁ」
「オレがいっとう、サスケのこと、知ってんだ・・・・・・」
 ぽたぽたと床に涙が落ちた。もう顔を覗かなくても、その表情が悔しさに歪んで涙を流しているのが分かる。
――悔しくて仕方ないよな。
 今までずっと面倒を見てきた弟の自分の知らなかった面を知った衝撃と、それを自分以外の人間が見つけた無念さと。
「そうだな。お前が一番、知ってるもんな」
「安形せんせいより、オレのが、ずっと・・・・・・」
 後は続かなかった。小さな嗚咽とぽたぽたと涙が落ちる音だけが、空の教室に響いていた。
* ** * * * * * *
 泣き疲れたのか、ボッスンは安形の膝に頭を預けて小さな寝息を立てていた。夕日は既にその半身を隠し、教室は茜色へと姿を変えている。その中に落とされた小さな影を、安形は愛しげに見詰めていた。
――もう、声を上げずに泣くのを覚えたのか。
 あの劇から数日後、ボッスンが園に来れなかった事もあってサスケの交友関係は一変した。ボッスンとは違ったグループと相性が合った事もあり、ボッスンが再度園に来る頃にはグループの中に解け込んでいたのだ。兄のボッスンが「遊ぼう」と誘っても「今はこっちで遊ぶ」と意思表示をする。一緒に遊ばなくなった訳ではないが、その時間は以前に比べて減っている様に見えた。
 それでもボッスンは腹を立てるでも悲しむでもなく見えたので、これで兄離れ弟離れがなされたのだと、勝手に安形は思っていた。
 入園したての頃は過保護な程にサスケに構い、そしてそれが自分の自慢でもあったボッスンが、ほんの一年にも満たない時間で相手の意思を尊重するまでに変わった。悔しくも、悲しくも、ないのに。
――子供は、どんどん大人になる。
 何でもしてやるのが愛情でもなく、ただ与える事に意味が無い事を知り、相手が決して自分の思い描いた人間でない事を解り。あっと言う間に強くなっていく。それが安形にとって嬉しくもあり、そして
「ちょっと、寂しいなぁ」
 思わずぽつりと呟いた。その声に反応したのか毛布に包まったもう一人の体が動いた。まだ眠たげな目を擦りながらもサスケは上半身を起こす。
「悪ぃ、起こしたな」
「せんせい、さみしいの?」
 自分の言葉を聞かれた事に、安形は少しバツが悪そうな顔をした。半ば苦笑になっている安形の顔を不思議そうに見ていたサスケだったが、ふと安形の膝を枕にしている兄の姿を見つけると慌てて起き上がった。何をするのかと見ていれば、先程まで包まっていた毛布を引きずり、今度はサスケがボッスンの体に毛布を掛ける。
「ん、サスケもやっぱ、優しいな」
「・・・・・・・・・」
 優しいと言われたサスケはほんのりと頬を赤くした。照れているらしく、ちょっとだけ下を向く。暫くはそうしていたものの、今度は何かを思い出したかの様に、とてとてと安形の目の前に移動した。
「・・・・・・先生、なにがさみしいの?」
 さっきの安形の呟きを確りと覚えていたらしく、サスケはじっと安形を見詰めてそう言った。まさかボッスンの成長が寂しいとは言えず、けれども嘘ではない台詞を選んで安形は言う。
「もう少ししたらお前ら年中クラスになって、お別れすんのが寂しいんだ」
 そう言った安形からサスケは目を逸らさないまま、ほんの少し口をもごもご動かした。それは安形も最近になって気が付いたサスケの癖。喋ろうとする言葉を考える時、いつもサスケは少しだけ口を動かす。今まで極端に無口だった分、人より少し考える時間を擁するのだろう。
「じゃあ、ボク、ここに残る」
「嬉しいけど、それは出来ねぇんだ。でも、ありがとな」
 左手でぽんぽんとサスケの頭を撫でてやると、またしても頬を染めて少しまごまごとする。こんな顔もあと数ヶ月もすれば見れなくなるのだ。そんな風に考えながらサスケを見ていると、撫でられたまままごまごし続けていたサスケの口元が少し動いている事に気がづいた。
「それなら、ボク、ずっと先生がさみしくないよう、お願いする」
 何を言うのだろうかと待ち構えていた安形の耳に、意外な台詞が飛び込んできた。
「クラスが変わっても、先生がボクのこと忘れても、ずっとずっとお願いする」
――・・・・・・おいおい、
「さみしくなったとき、ちょっとでもボクがお願いしてること思い出したら、きっと先生さみしくなくなるよね」
――オレの事、泣かす気かよ、こいつ。
 思わず、安形は左手でサスケを抱き締めた。
「ありがと。元気出た」
 サスケは少しだけ驚いた様だったが、安形の元気が出たと言う言葉を聞いた事で嬉しそうに微笑む。
「でも、一個だけ、間違いな」
 え?、と胸の中の子供から声が漏れるのを聞きながら、安形はそのまま続けた。
「お前らみたいないい子、オレは忘れねぇよ」
 駄目押しの様に、サスケの頭を後ろから撫でてやる。
――こいつらが大きくなったら、どんな大人になんだろうな。
 それを考えると楽しくもあり、嬉しくもあり、やはり少し寂しいのだ。
 もう少しすれば日は完全に落ちる。それでもまだ薄っすらと明るい教室で、もう一度安形はありがとうと小さく呟いた。

2011/2/16 UP
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